アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

皆様、大変にご無沙汰しております。ヤマガミユキヒロでございます。


本年二度目のブログリレーでございます。
もう一度言います。本年二度目ですよ。もはや誰にもバトンを渡していないリレーでございますね。ミラクルすみません!
言い訳はしないと決めたので言いませんが、もし独り言を聞いて頂けるのであれば、「はい。忙しかったのです。」という事になりますが、これは独り言です。
そして、早いものでもう師走。と言う事で本年2回目にして早くも2013年を振り返ってみようかと思い立った訳です。


本当に今年は様々ありました。素敵な展覧会に参加出来たのがとても良かったですし、それをきっかけに様々な出会いもありました。4月の京都のgallery PARCでの個展、同じく4月、京都芸術センターでのグループショー、6月の浅草のアサヒアートスクエアでのすみだ川アートフェスティバル、9月の神戸の六甲ミーツアート。制作はいつもギリギリまで粘りながら行ってましたので体力的にはへとへとになりましたが、その分沢山の素敵なご意見、ご感想も頂きました。そしてやはり数多くの素敵な人との出会いがとても嬉しかったです。
特にこの人との出会いは財産ですね。作品を見てくださった方、お手伝いをしてくださった方はもちろん、一緒にお仕事をした方、そしてこれから一緒にお仕事をしていく方。全てがキラキラと輝く財産です。ありがとうございます。そして今後ともよろしくお願いします。


さて少し話は変わりますが、僕はアーティストにとって一番大事な事はモチベーションコントロールだと思っています。常に高いモチベーションを維持し続ける事は大切ですが、それは非常に大変な事なのです。そしてそれと同じくらいに大変なのは一度失ったモチベーションをもう一度高める事です。このモチベーションを維持し続ける事と、失ったモチベーションを再び高められる事は、アーティストにとってとても大事な事だと思っているのです。日々の訓練と言いますか、心がけに近いと思いますが、僕は結構気を使っています。まぁ具体的に何をどうしてるって言う事は無いのですが、目先の目標だけではなく、中長期的な目標を常に立てておくという事ですね。目先の目標だけならね、それが達成した瞬間にすぐ燃え尽き症候群になっちゃうので。言い方は悪いかもしれませんが、「ここまではあくまで、あそこへ行く為の必要な通過点」であると考えていれば、燃え尽きたくても燃え尽きません(笑)
そして、このモチベーションを維持する為には、自分一人の力だけではなく、一緒に仕事をして行くパートナーや仲間の存在が欠かせません。あ、パートナーと言っても世間的に良く言うステディな異性という意味ではありませんので悪しからず。。


もとい。そのパートナーの存在と後押しによってモチベーションを高め、維持し続ける事が比較的楽になることがあります。そして時に、僕らのアクセルを踏み込んで120%やそれ以上の力を発揮させるため、さらにモチベーションを高めてくれる場合もあるのです。これはね、なかなか一人では難しいのですよ。客観的な意見ってとても大切です。
お仕事をしていく中で、このような人との出会いが実はとても大切な財産になっていると、今年を振り返って痛感しましたね。僕は様々な方から良い刺激をもらっていますので、出来れば僕も誰かの刺激になれれば良いなぁと、改めて思っています。


とまぁ偉そうな事を言いながら、早くも2013年を振り返ってみました。


それでは皆様、少し早いですが、良いお年を!
また年明けの1月6日にお会いしましょう!(ほんまかいな)


ヤマガミユキヒロ


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どうも皆様、大変にご無沙汰しておりました。約9ヶ月ぶりのお目見えとなります。
ヤマガミユキヒロでございます。


もうすっかり忘れ去られているかとは思いますが、はい、一応ブログリレー毎月6日担当のヤマガミでございます。
でももう言い訳とかは言いませんよ。はい。
「忙しさにかまけて、すっかり忘れておりました。」
この一言に尽きます。すみません。
編集長の「今月はアップせいや、ごらぁ!」(本当はもっと優しい言い方です)の鶴の一声が無ければ、今頃もアップを忘れ飄々としていたに違いありません。。
来月は!来月こそは!きっと必ず期日を守ります!!
*というか、来月の僕のブリグリレー担当日は2週間後なのですね〜。。。


で、本題。


の前に、少し宣伝させてください。


すみだ川アートプロジェクト2013に作品展示で参加させていただいております。
期日は2013年6月15日〜7月31日
展示場所ですが2会場あります。


1 アサヒアートスクエア
開館時間|平日 14:00〜20:00|土日祝 12:00〜20:00|火曜日定休
アクセスは、こちら


2 アサヒグループ本社1階ロビー
開館時間|10:00〜17:30|定休なし(土日は守衛さんがいらっしゃいますが、作品を見たいと言えば入れます)
なお、アサヒグループ本社ロビーの作品は警備の関係のため17:30まででご観覧終了ですのでお気をつけ下さい。


*すみだ川アートプロジェクト2013では毎日イベントが開催しております。
イベントスケジュールは、
>>公式サイト
>>フライヤーPDF
でご確認ください。
イベント開催中でも作品はいつでも見れます。お気軽にお越し下さい。


で、改めて、本題。


僕は行ってた高校が普通科で、部活も美術部ではなかったため、美術大学の受験のため所謂、画塾とか研究所なるところに通っておりました。
知らない方もいらっしゃるでしょうから簡単に説明しますと、美術系大学の入学試験は、主に実技試験が行われます。僕は主に油絵とか洋画などの西洋絵画のコースへの進学を希望していたので、その入学試験にあった実技訓練を受けるのです。画塾や研究所というのは、通称のようなもので、本当に一般大学で言うところの「塾」です。入学試験に備えた、専門的な訓練校ですね。
そんなところに行かずに、生まれ持った才能で大学に入学してくる賢者もいらっしゃいますが、僕が大学受験をした15年以上の昔は、受験倍率もかなり高めで、割と訓練校へ行く学生が多かった様に思います。
僕も例に漏れず、行っておりました。高校に入ってすぐ位から通ってましたっけ。


ただ、僕が高校時代に通っていた所は、一般的な画塾とは違っておりました。
いわゆる画家先生の自宅兼アトリエにお邪魔する。というかたちのものです。受験用の訓練校という感じではなく、のんびりと絵を描く的な所でしたね。
高校時代はずっとこの個人の先生のアトリエに通っておりました。結局は、一般的な画塾に入り、大学へ進学しましたけど。
しかしながら、そのときの経験が印象的で今も時々思い出します。


その先生は、バリバリのリアリズム絵画の先生で、本当に「写真みたいな絵」を描く人でした。先生のお気に入りのモチーフは、バリバリのリアリズム絵画には欠かせない「牛頭骨」とか「ウサギの肉」とか「美人さんの裸体」とかではなく、なぜか「紙風船」「張り子の虎」でした。今考えても「なぜ??」と思ってしまいますが。
しかしながら、テクニックは秀逸で、素早く下描きをして、速攻本描きで、丁寧に仕上げていきました。側で制作過程を見れてよかったと思います。いろいろ、勉強になりますね。横で見ることは。「技術は目で盗め」ってのもあながち間違ってないですね。師匠、先輩の一挙一投足を観察することは大切です。


僕は一応「受験対策」としてその先生のアトリエに通っていたのですが、いわゆる「受験対策」といった感じで教わることは一度も無かったのです。普通はね、過去の問題を検証して、今年はこういうのが問題に出そうだとか、とりあえず去年の問題(モチーフ)を描いてみろ、と言った感じで「受験対策」が行われるのですが。
僕がその先生に教わったのは
1 鉛筆で、白い石膏でできた、立方体の描き方
2 鉛筆で、白い石膏でできた、三角柱の描き方
3 鉛筆で、白い石膏でできた、円柱の描き方
4 鉛筆で、白い石膏でできた、三角錐の描き方
5 鉛筆で、白い石膏でできた、球体の描き方
以上。
後は宿題というか毎日のトレーニングで、スケッチブックを黒く塗る(ただし途切れることの無く、一筆書きでスケッチブックを塗りつぶす)という訓練をする。
という、ベストキッドとかに出てきそうなくらいの、なんじゃこりゃ感満載の特訓でした。その時は、他を知らなかったので画家は皆、こうしてるはずだと思い込んでおりました。
これは先生の考える万物の基本的な構成要素の、立方体、三角柱、円柱、三角錐、球体の正確な形とそこにある正確な陰影を表現できれば、何でも描けるよ!と言うことを仰ってたのだと思います。
人間も風景も静物も、それらの単純な幾何学図形の集合体だということでしょう。
果たしてそうか!?という疑問は当時からありましたし、今も疑問はあります。でもね、今となってはいい訓練だったと思います。今やれと言われても、絶対嫌だし(笑)
その単純な動作(描画)の繰り返しによって絵を描くという行為が特別なものから、無意識な動作へと昇華するはずだ、というような内容の話をよくされていた様に思います。
まぁ、今から思うとですね、絵が巧くなる以上に忍耐力が付いた!と思いますけど。


何度も言いますが、他を知らなかったし、生まれて初めて会った画家さんだったので、すべて鵜呑みにしておりました。今日の僕の作品に、その先生の教えが直接的に影響しているかどうかは分かりませんが、でもある程度(というか結構かな)影響してるかも知れませんね。特に忍耐力は(笑)
大学に進学してからというもの、全く連絡を取っておりませんし、どうされているのかは分かりませんが、またいつかご挨拶にでも伺いたいのもです。

「時間とは現代的な認識では相対的であるという。
時間とはある事象の始まりと終わりの関係性の中で生まれる。時間とは人が能動的に時間を進めることによって生まれたりもする。これは全て絶対的な時間ではなく相対的な時間である。
過去/現在/未来は一次元的な時間軸に配置されているのではなく多次元的に存在するのだ。過去や未来は見えて無くても既にあるのだ。ただ、過去と未来を同時に経験は出来ないだけだ。
次のような見方もある。地球から遠ざかると時間の進み方に変化が出る。これは時間が地球の重力の影響を受けているからである。時間は絶対的な存在ではなく、伸びたり縮んだりするのだ。
人は誰もが等しく時間を経験するが、時間の感じ方は人によって異なる。年齢によっても異なってくる。
グリニッジ標準時は人間が社会活動を適切に行うために定めたルールである。時計は絶対的に時を進めるのではない。あくまで便宜的にである。時計が作り出す絶対的な時間とは人間の思い込みなのかも知れない。時間は変化するものだ。


時間は変化するものだし、過去や未来は現在と同時に存在する。このことから、現在(9月)と5ヶ月前の過去である4月というのは、同じように存在するといえる。だから僕が5ヶ月ぶりの9月7日にブログをアップするということと、5ヶ月前の4月7日にアップするということは、多次元的な時間の解釈では、同じ意味を持っているのかもしれない。
このことから僕は、〈実は一度もブログの更新を怠っていなかった〉ということにはならないだろうか?」



・・
・・・
・・・・


というわけで、ものすごく言い訳がましく、結局意味不明の冒頭のエセ時間論から5ヶ月ぶりのお目見えとなります、ヤマガミです。本当にご無沙汰しておりました。そして、約5ヶ月間、ブログをアップできずにすみません・・。


病気、留学など、やむを得ない事情により原稿を落としていた、と、いうわけではなく、元気に日本で過ごしておりました。
思えば、今年の1月に所信表明(?)までやって、今年はブログを12回書き上げるぞ!なんて言ってましたっけ。。もはや半分を落としております。


え〜〜、なぜにそんなにバタバタしていたかと言えばですね、今年の10月1日にJR東京駅がリニューアルオープンをします。このところず〜〜っと工事をしていたのでご存知の方も多いはず。その東京駅の丸の内側、向かって正面が鉄道の改札、右側がホテル(だったと思います)そして左側(北側)に東京ステーションギャラリーという私立の美術館があります。その東京ステーションギャラリーも10月にリニューアルオープンするのですが、そこのプレオープニング企画展にお呼ばれしてまして、作品制作に四苦八苦しておりました。フライヤー、ポスターなどはまだ手元に来てませんので画像がアップできませんが、とても魅力的な展覧会となっております。詳細はまた告知欄にてお伝えいたします。
僕自身、とても良い展覧会に参加でき、すごく光栄に思ってます。それとともに気合い入りまくり状態となり、作品のサイズも大きめなので、作業に没頭することがここずっと続いておりました。で、ブログを落としまくった、という顛末です。ま、早い話が、言い訳話です。


でも、魅力的な展覧会ですし、作品もとても良い作品に仕上がったと思っております。(でも実は今日現在まだ未完成)
ので、皆様ぜひ東京へ行く際は展覧会もよろしくお願いします!


東京駅丸の内側北側改札出口から、すぐ!(・・・家電量販店のCMみたいやな・・)


それでは、また来月にお会いいたしましょう。ごきげんよう。


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リニューアルも、展覧会のスタートもあと少しです

こんにちわ。ヤマガミです。


実に4日遅れのブログでございます。今年はブログを全12回、やり遂げる!と所信表明をしてはや2ヶ月。早くも暗雲が立ちこめて来てしまいました。
では本題。


えらく昔の話になりますが、ある著名な写真家の方が「どうすれば良い写真が撮れるのか?」という問いに対し、「とあえず1万回シャッターを切れ」と答えてらっしゃいました。回数に関しては1万回だったか10万回と言ってたのかは、はっきりと覚えてませんが、とりあえず頭で考える前にまずはシャッターを切ってこいと言う意味だったと思います。
これ、デジタルカメラが世の中を席巻する以前の話ですよ。写真のフィルムは36枚撮りでその名の通り、たった36枚しか撮れません。1万枚の写真を撮影なら単純に計算してもフィルム270本以上撮ってこいってことです。フィルムも買って、現像もしなきゃならないし、あら大変!写真はお金がかかるね!覚悟がいるね!・・という話ではなく、、、もっと観念的な話ですね。
1万回くらいシャッターを切ればカメラのレンズが自分の目になり、やがて体の一部になる、という趣旨の話です。僕は写真家ではないですが、すごくいい話だとその時感銘を受けました。全ての写真表現がフィジカルなものであるとは思いませんが、まぁ、その写真家の方の表現が街中スナップ系だった事もあるでしょうけど、その時はすごくすっと自分の中に入ってきましたね。


しかしこれ、絵画表現にも言えます。というよりも、表現全てにおいて言えるといっても過言ではないですね。絵画は当然絵を描きます。絵はメンタルな部分にもかなり左右されますが、それ以前として作家自身のフィジカルなものにかなり依存します。
ま、絵を鍛錬していなければ、思うように絵が描けない、という当たり前のことです。僕が高校生の頃に通っていたアトリエの先生の言葉を引用させてもらうと
「作家である前に、まず職人となれ」です。
随分極論的な言い方ですが、ある程度は正しいと、最近では思いますね。


しかし時としてそのフィジカルな部分が作品の本質を見失わせてしまうこともあります。
作品に、その時特に意識してなかった部分の箇所や処理が非常に上手くいった、偶然だけどかなり良いタッチが描けた、なんてことになると、作り手である僕自身も嬉しくなりますし、作品もその部位に引っ張られ、そのテンションがそのまま全体に波及していきます。
大抵は、この繰り返しで作品の質も向上しますが、時としてその「上手く描けた」ことによって作品に別の意味が生まれてきたりします。本来見せたいもの、表現したいものがあるにもかかわらず、偶然によって出来た「良い感じの箇所」というクレーターが徐々に作品コンセプトを支配してきて、最終的に何が描きたかったのか良くわからないものが出来てきたりします。で、見栄えだけは、非常に良いという(笑)やっかいですね。
テクニックが表現になってしまっては、何も伝わりませんものね。技法書じゃないんだし。
しかし、先の話に戻りますが、テクニックが無いと自分のコンセプトを伝えられないのも確かなのです。フィジカルな鍛錬とそれをコントロールすることは、作品を作り続けていく上で、ずっと行われるべきものです。
今の自分の作品に満足して、次回作が良くなるなんて聞いたこともありません。
一見諸刃の刃のような感じになりますが、メンタルなものも含め、それらのバランスが非常に大切なのです。


最後に何で語られたかは全く覚えていないのですが、ブルースリー氏の印象的な名言から


「限界などない。停滞期があるだけだ。そこに留まってはいけない。それを超えて行くのだ。」


ということでございますね。
すばらしき、お言葉。肝に銘じます。


それでは、ごきげんよう。

こんにちわ。ヤマガミです。


寒いです
今年の冬は
寒すぎる


季語や韻はおろか、インテリジェンスの欠片も見あたらないお粗末五・七・五でスタートさせてみましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?


さて、本題でございます。
古典的な油彩絵画表現は、技法も確立してますので体系的に作業を進めることが出来ますね。現代では様々な技法解説書が出てますし、偉大なアーティストの使用した絵の具やら、下地やら、ありとあらゆる研究がし尽くされています。僕も1冊解説書は持っていますが、パラパラとページをめくっているだけで、とても面白いです。今日はその辺のお話です。


ルネッサンス期の絵画では人物描写の下地としてテールベルトを塗っておくというのがセオリーだったようです。テールベルトとは、緑色の土の顔料です。テンペラ(顔料を卵で溶き描く古典技法)でテールベルトを下地にし、上から肌色を重ねるととても深みのある表現となるようです。まぁ、一般的に肌色といえばオレンジ系統の色味なので、その補色対比である緑を下地に塗ると深みが出るのでしょう。特に影になった部分とかですね。影に補色を重ねるというのも、古典絵画では定石表現ですし。補色対比とは、ずばり反対の色です。反対の色って言われてもピンとこないかもしれませんが、すごーく簡単に言えば、色の三原色、赤・青・黄を各々足したときに、「余る」色のことを補色と呼びます。たとえば、赤と青を足せば、紫色になりますが、残りの三原色の黄色は紫色に入っておりません。その時、黄色は紫色の「補色」となるのです。


話は変わりますが、この前ハリウッド近未来系の映画を見ていて、「やっぱりハリウッドは印象的なシーンを作り出すなぁ」なんてストーリーとは全く関係ない絵作りにおいて関心を持っておりました。特に切迫したシーンなどで主人公の表情に観客の視線を向けたいときなどに、とても効果的に主人公の表情に目が行くように編集されているのですもの。役者さんの演技がすばらしいのも当然ですけどね。僕は映画のショットの中で、時折絵画的に見える瞬間がとても好きなのです。ドキッとしますね。絵として、素敵ならば。逆に映画を見るときにそれを常に探してるのかも知れませんが。絵画っぽいショット。
その近未来系映画鑑賞時に感じたのが、俳優さんの肌色をクローズアップさせる為、背景が青緑っぽく撮影されている感じだったのです。そう、なんかね、テールベルトっぽいんですよ。周りが。先の話での、肌色に対しての補色対比というやつです。念のため軽く調べてみると、やはりそのような処理および撮影をしているとのこと。最近のハリウッド系映画では割と流行っている(?)撮影方法みたいです。補色対比。だって、とても印象的に映るんですもの。役者さんの、なんというか、存在感みたいなものが。


古典絵画のイコン絵は、実在を描くのではなくあくまで空想の、しかし見る人にとってはとても印象的で、存在感のある絵に仕上げないといけなかったはず。試行錯誤の末、テールベルト+肌色という組み合わせが誕生したのではないでしょうか。遠近法も含め、ルネッサンス期の写実表現技法のロジックの懐の深さを目の当たりにした感じですね。

明けましておめでとうございます。ヤマガミです。
本年もどうぞ宜しくお願いします。


さて、平成24年辰年、一発目のブログでございます。今年はブログを全12回、全て書き上げますよ。初志貫徹、有言実行でございます。
とは言うものの、すでに1日ほど遅れておりますが・・(笑)


とまぁ、ブログ所信表明みたいな感じになりましたが、作品も同上でして、初志貫徹、有言実行でやり遂げます。


ここにきてようやく頭がスッキリしてきたと言いますか、身軽になってきたと言いますか、今まで点であったものが繋がり、しかもそれが単一の線ではなく、いくつもの分岐点をもったノードとなって、僕の作品を広げていってくれる、そんな感覚になってきました。
これは、わざと感覚を拡張しようとして自分で広げた蜘蛛の巣に足が絡まり、身動きが取れなくなってしまう感覚とは全く違います。まぁ、そのような時期も必要だとは思いますが。
具体的に言えば、絵画と映像の明確な差異と一致も自分なりに整理もついてきました。別に混同していたわけではありませんが、不必要な物を削ぎ落とす勇気が無かったのかも知れませんね。だって各々、とても魅力的なメディアであることは間違いのないことですし、両方共に僕は大好きなのです。
もっと言えば、映像をようやくメディウムとして使いこなせてきた、という感覚になってきました。ある表現を実現するための、メディウムとしてですね。鉛筆、油彩、水彩、ペン画、アクリル、そして映像。全部、僕の中では同じ物なのです。昔から表現したいモノ自体はあまり変わってはないのですが、方法論はスッキリとしてきましたね。
僕は大体いつも、ある興味から次にこんなモノを作りたい、という考えはあるのですが、今まではそれが漠然としすぎていて、結局何に興味が沸いていたのか、自分でもよく分からなくなって、作品を没にすることもありました。
今はその興味の実現のために、どのようにそれを作ればいいか、それを実現するには何が必要で何が不要かを見極め、判断出来るようになってきたと思います。
ま、早い話が、大人になったのですよ(笑)


と、いうわけで皆様、本年もアートと共に、どうぞ宜しくお願い致します。

ヤマガミユキヒロ

こんにちわ。ヤマガミです。


2ヶ月と2日ぶりに皆様にお目にかかります。なぜこんな失態を犯してしまったのかは、後述するとしてまずは告知させてください。
もう始まっておりますが、現在展覧会中です。


ヤマガミユキヒロ展【Sheltering Sky】
期間 11月29日(火)〜12月11日(土)
時間 11:00〜19:00
場所 gallery PARC(京都 三条御幸町角)
詳しくは http://www.grandmarble.com/parc/


作品は従来から発表しております、キャンバスプロジェクションの新作と旧作も出品しております。
初めての試みである鉛筆画プロジェクションの作品です。
もう残りわずかな会期でございますが、是非ご高覧くださいませ。


はい。
告知、終わりました。


え〜、まず2ヶ月間もブログをサボってごめんなさい。
「展覧会前だったので忙しかったのです」、というありがちないい訳は、いかがなものかと思いますが、その通りでございまして、実際、展覧会前でバタバタしてたからです。いや、「あ〜今日ブログの日だなぁ」と分かってはいたのですよ。そうです。確信犯です。一番たちの悪いやつですね。
しかし、ブログをサボってまで仕上げた今回の展覧会は、自分でも大満足の仕上がりになっております。作品が終わったときは、泣きそうになったくらい時間と気合いを入れました。ので、皆様見てください!(笑)


で、そろそろ本題ですね。


皆様、師走です。早いものですね。この一年どうでしたでしょうか?僕は今展覧会に費やした一年でした。
というか、絵画の一年だったと言うのが正しいかもしれません。
僕の多くの作品はタブローの上にプロジェクターで映像を投影した作品ですが、僕は映像作品として制作しているわけではなく、あくまで絵画の延長としてやっているわけです。絵画をスクリーンとして使用しているのではありません。逆に映像を新しい絵の具として捉えているわけです。毎作、画家脳で制作していますが、映像部分を編集しているときはどうしても映像脳になります。当たり前ですけどね。コンピューターでの作業というのは、とても数学的で、よく「直感的に〜」とかソフトウェアのキャッチコピーになってますが、「直感的な数式」程度のものです。やはり組み立てや作業は感覚的にとは行きません。逆に絵画は、基本的には感覚的なものです。数学的な方法論も出来ますが、一般的にはやはり感覚的ではないでしょうか。
僕は今まで、「ある程度数学的な絵画」と「ある程度直感的な映像」という捉え方で、制作を進めてきました。ま、これでもしっくり来ていましたし悪くはありません。作品によってはまたこのバランスで制作すると思います。
今回の作品はこの方法論をすこし変えて「精密な絵画」と「ドローイングみたいな映像」という捉え方で作業を進めました。まぁ、結果的に「ずっと絵画脳」という形になりましたね。先述したとおり、映像編集中はどうしても映像脳ですが、極力絵の具として捉える事に努めました。今回の作品の質がこちらの方法論の方があっていたためですが、結果的に良い結果が生まれましたね。
映像の独特の考え方であるレイヤー構造は、残念ながら絵画にはありません。手前、奥、その奥という考え方や、絵の具のグラッシなどもレイヤー的方法論ではありますが、それでもそれを一般的にレイヤー構造とは呼びません。僕は、制作中常に絵画上にも映像部分のレイヤー構造の考え方を持つようにしてます。なので、絵画制作中に少し映像脳での考え方をしているのかもしれません。最終的に映像を絵画上にグラッシするのです。
*グラッシとは、薄く溶いた絵の具を乾いた絵の具の層の上に塗ることです。


と、まぁなんとも偏った絵画な一年でしたが、来年も負けじと制作の一年にしていきたいと思っています。
ブログをサボらない、というのも来年の抱負として本年のブログを締めくくりたいと思います。


それでは皆様、大好きなアートと共に、良いお年を!


ヤマガミユキヒロ



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