アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

こんにちわ。ヤマガミです。


寒いです
今年の冬は
寒すぎる


季語や韻はおろか、インテリジェンスの欠片も見あたらないお粗末五・七・五でスタートさせてみましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?


さて、本題でございます。
古典的な油彩絵画表現は、技法も確立してますので体系的に作業を進めることが出来ますね。現代では様々な技法解説書が出てますし、偉大なアーティストの使用した絵の具やら、下地やら、ありとあらゆる研究がし尽くされています。僕も1冊解説書は持っていますが、パラパラとページをめくっているだけで、とても面白いです。今日はその辺のお話です。


ルネッサンス期の絵画では人物描写の下地としてテールベルトを塗っておくというのがセオリーだったようです。テールベルトとは、緑色の土の顔料です。テンペラ(顔料を卵で溶き描く古典技法)でテールベルトを下地にし、上から肌色を重ねるととても深みのある表現となるようです。まぁ、一般的に肌色といえばオレンジ系統の色味なので、その補色対比である緑を下地に塗ると深みが出るのでしょう。特に影になった部分とかですね。影に補色を重ねるというのも、古典絵画では定石表現ですし。補色対比とは、ずばり反対の色です。反対の色って言われてもピンとこないかもしれませんが、すごーく簡単に言えば、色の三原色、赤・青・黄を各々足したときに、「余る」色のことを補色と呼びます。たとえば、赤と青を足せば、紫色になりますが、残りの三原色の黄色は紫色に入っておりません。その時、黄色は紫色の「補色」となるのです。


話は変わりますが、この前ハリウッド近未来系の映画を見ていて、「やっぱりハリウッドは印象的なシーンを作り出すなぁ」なんてストーリーとは全く関係ない絵作りにおいて関心を持っておりました。特に切迫したシーンなどで主人公の表情に観客の視線を向けたいときなどに、とても効果的に主人公の表情に目が行くように編集されているのですもの。役者さんの演技がすばらしいのも当然ですけどね。僕は映画のショットの中で、時折絵画的に見える瞬間がとても好きなのです。ドキッとしますね。絵として、素敵ならば。逆に映画を見るときにそれを常に探してるのかも知れませんが。絵画っぽいショット。
その近未来系映画鑑賞時に感じたのが、俳優さんの肌色をクローズアップさせる為、背景が青緑っぽく撮影されている感じだったのです。そう、なんかね、テールベルトっぽいんですよ。周りが。先の話での、肌色に対しての補色対比というやつです。念のため軽く調べてみると、やはりそのような処理および撮影をしているとのこと。最近のハリウッド系映画では割と流行っている(?)撮影方法みたいです。補色対比。だって、とても印象的に映るんですもの。役者さんの、なんというか、存在感みたいなものが。


古典絵画のイコン絵は、実在を描くのではなくあくまで空想の、しかし見る人にとってはとても印象的で、存在感のある絵に仕上げないといけなかったはず。試行錯誤の末、テールベルト+肌色という組み合わせが誕生したのではないでしょうか。遠近法も含め、ルネッサンス期の写実表現技法のロジックの懐の深さを目の当たりにした感じですね。

明けましておめでとうございます。ヤマガミです。
本年もどうぞ宜しくお願いします。


さて、平成24年辰年、一発目のブログでございます。今年はブログを全12回、全て書き上げますよ。初志貫徹、有言実行でございます。
とは言うものの、すでに1日ほど遅れておりますが・・(笑)


とまぁ、ブログ所信表明みたいな感じになりましたが、作品も同上でして、初志貫徹、有言実行でやり遂げます。


ここにきてようやく頭がスッキリしてきたと言いますか、身軽になってきたと言いますか、今まで点であったものが繋がり、しかもそれが単一の線ではなく、いくつもの分岐点をもったノードとなって、僕の作品を広げていってくれる、そんな感覚になってきました。
これは、わざと感覚を拡張しようとして自分で広げた蜘蛛の巣に足が絡まり、身動きが取れなくなってしまう感覚とは全く違います。まぁ、そのような時期も必要だとは思いますが。
具体的に言えば、絵画と映像の明確な差異と一致も自分なりに整理もついてきました。別に混同していたわけではありませんが、不必要な物を削ぎ落とす勇気が無かったのかも知れませんね。だって各々、とても魅力的なメディアであることは間違いのないことですし、両方共に僕は大好きなのです。
もっと言えば、映像をようやくメディウムとして使いこなせてきた、という感覚になってきました。ある表現を実現するための、メディウムとしてですね。鉛筆、油彩、水彩、ペン画、アクリル、そして映像。全部、僕の中では同じ物なのです。昔から表現したいモノ自体はあまり変わってはないのですが、方法論はスッキリとしてきましたね。
僕は大体いつも、ある興味から次にこんなモノを作りたい、という考えはあるのですが、今まではそれが漠然としすぎていて、結局何に興味が沸いていたのか、自分でもよく分からなくなって、作品を没にすることもありました。
今はその興味の実現のために、どのようにそれを作ればいいか、それを実現するには何が必要で何が不要かを見極め、判断出来るようになってきたと思います。
ま、早い話が、大人になったのですよ(笑)


と、いうわけで皆様、本年もアートと共に、どうぞ宜しくお願い致します。

ヤマガミユキヒロ

こんにちわ。ヤマガミです。


2ヶ月と2日ぶりに皆様にお目にかかります。なぜこんな失態を犯してしまったのかは、後述するとしてまずは告知させてください。
もう始まっておりますが、現在展覧会中です。


ヤマガミユキヒロ展【Sheltering Sky】
期間 11月29日(火)〜12月11日(土)
時間 11:00〜19:00
場所 gallery PARC(京都 三条御幸町角)
詳しくは http://www.grandmarble.com/parc/


作品は従来から発表しております、キャンバスプロジェクションの新作と旧作も出品しております。
初めての試みである鉛筆画プロジェクションの作品です。
もう残りわずかな会期でございますが、是非ご高覧くださいませ。


はい。
告知、終わりました。


え〜、まず2ヶ月間もブログをサボってごめんなさい。
「展覧会前だったので忙しかったのです」、というありがちないい訳は、いかがなものかと思いますが、その通りでございまして、実際、展覧会前でバタバタしてたからです。いや、「あ〜今日ブログの日だなぁ」と分かってはいたのですよ。そうです。確信犯です。一番たちの悪いやつですね。
しかし、ブログをサボってまで仕上げた今回の展覧会は、自分でも大満足の仕上がりになっております。作品が終わったときは、泣きそうになったくらい時間と気合いを入れました。ので、皆様見てください!(笑)


で、そろそろ本題ですね。


皆様、師走です。早いものですね。この一年どうでしたでしょうか?僕は今展覧会に費やした一年でした。
というか、絵画の一年だったと言うのが正しいかもしれません。
僕の多くの作品はタブローの上にプロジェクターで映像を投影した作品ですが、僕は映像作品として制作しているわけではなく、あくまで絵画の延長としてやっているわけです。絵画をスクリーンとして使用しているのではありません。逆に映像を新しい絵の具として捉えているわけです。毎作、画家脳で制作していますが、映像部分を編集しているときはどうしても映像脳になります。当たり前ですけどね。コンピューターでの作業というのは、とても数学的で、よく「直感的に〜」とかソフトウェアのキャッチコピーになってますが、「直感的な数式」程度のものです。やはり組み立てや作業は感覚的にとは行きません。逆に絵画は、基本的には感覚的なものです。数学的な方法論も出来ますが、一般的にはやはり感覚的ではないでしょうか。
僕は今まで、「ある程度数学的な絵画」と「ある程度直感的な映像」という捉え方で、制作を進めてきました。ま、これでもしっくり来ていましたし悪くはありません。作品によってはまたこのバランスで制作すると思います。
今回の作品はこの方法論をすこし変えて「精密な絵画」と「ドローイングみたいな映像」という捉え方で作業を進めました。まぁ、結果的に「ずっと絵画脳」という形になりましたね。先述したとおり、映像編集中はどうしても映像脳ですが、極力絵の具として捉える事に努めました。今回の作品の質がこちらの方法論の方があっていたためですが、結果的に良い結果が生まれましたね。
映像の独特の考え方であるレイヤー構造は、残念ながら絵画にはありません。手前、奥、その奥という考え方や、絵の具のグラッシなどもレイヤー的方法論ではありますが、それでもそれを一般的にレイヤー構造とは呼びません。僕は、制作中常に絵画上にも映像部分のレイヤー構造の考え方を持つようにしてます。なので、絵画制作中に少し映像脳での考え方をしているのかもしれません。最終的に映像を絵画上にグラッシするのです。
*グラッシとは、薄く溶いた絵の具を乾いた絵の具の層の上に塗ることです。


と、まぁなんとも偏った絵画な一年でしたが、来年も負けじと制作の一年にしていきたいと思っています。
ブログをサボらない、というのも来年の抱負として本年のブログを締めくくりたいと思います。


それでは皆様、大好きなアートと共に、良いお年を!


ヤマガミユキヒロ

こんにちわ。ヤマガミです。


そろそろ秋の気配が近づいて来ましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか?
さて、今回のブログは少しマニアックな記事になりそうです。


僕が油彩を始める直接的なきっかけを作ってくれたのが、「ボブの絵画教室」でおなじみ(?)の、ハッタリペインティングパフォーマーの(失礼!)ボブ・ロス氏です。ボブ氏はこの&ARTサイトをご覧くださっている方の中にも、知ってる方もいらっしゃると思いますが、昔、BSなどで放映されていたHow to系の番組に出演されていたアメリカの画家さんです。僕も中学生の時にこの番組を見まして、油絵を始めました。
その番組である「ボブの絵画教室」は一言で言えば「30分ですばらしい風景画の描き方教えます!」という何ともハッタリ感が否めない、教育番組でした。油絵って、一般的に指蝕乾燥(指で触って絵の具が付かなくなること)2〜7日、完全乾燥7年〜50年と言われているくらい緩やかに乾燥します。乾燥というか、化学変化に近いので、特殊な薬品を使用しない限り乾燥を早めるとこは出来ません。さらに、油絵の具は、顔料を油で溶いているため、結構流動的で、すぐに混ざります。ドローイング的な、さらっとした描き方ならともかく、ボブ氏の絵画はいわゆる売り絵とかでよく見る重厚系リアル風景画なのです。通常ではあり得ないですね。絵の具を重ねて1枚の絵画を仕上げる手法で、30分で描き上げるなんて!ま、そこがこの番組の売りというか、ボブ氏が世界的に有名になったポイントでもあります。


そんなボブ氏は、特長だらけの人でして、まずはアフロヘヤーです。アフロのペインターというキーワードならこの人の右に出るものは居ないはず。次に、いつも同じ服(笑)です。ま、そんなことは決して無いのですが、印象が、ね。ちなみにブルーのシャツにジーンズスタイルが多かったように思います。正装なんですかね?次に、でっかいアクリル製の透明なパレットです。昔、あこがれました。あと、筆の洗い方です(笑)彼曰く「悪魔を追い払う儀式」だそうで。イーゼルで刷毛をぱたぱた叩きます。さらに、彼のスタイルの重要なファクターである、絵筆や絵の具も特徴的です。特に「ペインティングナイフ」と「扇形の筆」。まだまだたくさんあるのですが、挙げればキリがないのでこの辺で終わりにします。


僕が「ボブの絵画教室」にはまっていたのは中学時代でして、よくマネをしました。絵の具も彼とお揃いにするべく、色々買いあさった記憶があります。プルシャンブルー、インディアンイエロー、イエローオーカー、バーントシェンナ、などなど、パレットの色の配置も真似しましたね。絵筆やパレットナイフなんかも買いそろえましたが、ボブペイントの象徴でもある「扇形の筆」は針葉樹を描くときは最強ですが、それ以外に使い道は無かったです。今でもアトリエにひっそり佇んでいますが、ボブライク針葉樹以外で、使ったことはありません。なお、ペインティングナイフは、水面、山脈に使用すると効果的です。


たった30分で地塗りから始めて、見事に風景画を仕上げ、あげくサインまで入れちゃう彼のパフォーマンスは完璧で、絵の具が混ざらないように、細心の注意を払いながら、どんどんキャンバスに描きたいモチーフを書き込み、さらに同時に視聴者を飽きさせないように、素敵な話術で話をし続けるのです。すばらしいです。


しかし、残念なことにボブ氏の番組は僕が油絵を描くきっかけにはなりましたが、アートをするきっかけでは無かったのです。あくまで、入り口ですね。奥行きが、無いというか、入ったら、すぐ出口だったみたいな。
なので、正直ボブイズムはございません。僕の今の作品に、全く影響がないのです。しかし、人生にはかなり影響を与えた人だと思います。ボブ氏の番組を見てなかったら、油絵をしてなかったかも知れませんし。ま、分かりませんけど。


実は僕の周りでも結構いましたよ。昔ボブの絵画教室大好きだった人。ボブイズムはともかく、ボブシューレ的な人はかなりいると思います。


ボブシューレの人、今度、ボブ会でもしませんか?(笑)

こんにちは。ヤマガミです。


ガリガリなアイス君がとても美味しい季節ですね。


先月の半ばくらいに、また撮影のため東京へ行って参りました。映像系のアーティストの方も&ARTに参加されているので、事情は分かって頂けると思いますが、なんせこの季節の撮影は、地獄でございますね。長時間のロケを必要とする作品の場合は、熱中症との戦いのような感じですね。水分・塩分・日焼け止めが必須アイテムです。端から見れば、かなりの変人ですよ。街中で、猛暑の中、ただ、じっと、カメラの液晶を見つめる男。This is HEN-JIN


今回の撮影では、静止画と動画の両方の撮影だったので、必然的に荷物が多くなります。ここを楽してコンパクトにすると、せっかくのロケに行く意味がないので、妥協せず、いつも大荷物で出かけております。僕のメイン機材のビデオカメラは、HD黎明期のカメラなので、やたらとでかくて、重いのです。ただ、割と撮れる画の色が好きなので、買い換えるつもりはなく、ずっと使っております。
ただ、こうゆう遠方での撮影時で、さらに猛暑や、雨の日や、極寒の日なんかには、このでかくて重いビデオカメラが移動時の最大の仇となり、憎しみを覚えるほどです。
今回は静止画も撮影だったので、デジタル1眼も持って行きました。と、いうか、今まで持ってなかったので、急遽今回の撮影用に購入したのです。最近の動画も撮影出来るやつです。以前は借り物で、デジタル一眼の動画撮影をしたことがあったのですが、あくまでお遊び程度にしか撮影しませんでした。
今回は、せっかくなのでロケに行く前に自宅スタジオにて入念に撮影実験をしました。結果は実に普通にキレイに撮影出来ました。あらま。世代交代の時期が来たのかしら、と思ったのですが、念のため先月の撮影にはデカイビデオ君も持って行きました。だって、値段がね、1/8位なんですもの。画質が同じだなんて認めたくない自分がきっとどこかに居たのでしょうね。


ま、結論から言うと、デカイビデオ君は、一日中ホテルで待機、軽量なデジカメさんが、フットワークの軽さを最大限活かし、大活躍。機動力も大切ですね。


「飛べない豚は、ただの・・・」


うむ。みなまで言うな、わかっておる。


しかし、今まで苦楽を共に歩んで来て、我が作品の一端を担ってきた機材をそう易々と手放す気はありません。


と、ドナドナのメロディーを口ずさみながら、この文章を書いております。

こんにちは。ヤマガミです。


毎日暑いですね。京都の嫌なところのベスト3に入りますよ。梅雨時期の蒸し暑さは。川床なんかで涼をとれれば心地良いんでしょうけどね。皆様はいかがお過ごしですか?


僕は今年の年末に京都で個展があるので、今はその準備に毎日追われています。
また詳細は展覧会が近くなりましたらお知らせ致します。


さて、僕は最近では滅多に劇場へ映画を見に行ったりしなくなりましたが、今年は楽しみがあります。
皆様もご存じかと思いますが、チェコのアートアニメーション界の巨匠、ヤン・シュヴァンクマイエル先生の新作が夏以降に日本で公開されます。非常に楽しみというか、絶対観に行きます。実は結構、クレイアニメーションとか、好きなんです、僕。高校生の時から、シュヴァンクマイエル先生やブラザーズ・クエイ氏のショートムービーをよく観ておりました。今ではコンピューターの発展でファンタジーも比較的簡単に制作出来るようですが、昔はハリウッドクラスの予算があれば別ですが、おいそれとは制作出来なかったと思います。しかし、クレイアニメーション/ストップモーションの技法を使えば、いとも簡単に(簡単ではないのですが)低予算でファンタジーな世界を創りあげることが出来るのです。特に夢と現実の境目のようなシュールリアリズムな表現に向いてるのでしょうね。セル画のアニメにも、実写にも、もちろんCGにもない独特の世界観がそこにありまして、昔からワクワクして観ておりました。
シュヴァンクマイエル先生(僕は尊敬する人は先生と呼ぶので)の作品はほぼ全て観ていますが、この御大のすばらしいところは一貫して、夢と現実の境目・不条理な世界感・子供の頃の妄想的発想・自己完結の愛といったテーマで作品を作ってるところですね。シュールリアリズムの定番の表現方法ですが未だに想像力が枯渇せず、作り続けておられるところがすばらしいです。多分、御年77才。。すばらしい!


そんな、アートアニメーションファンの僕ですが、実は大学時代に作りました。1作、ストップアニメーション。
大学1年生か2年生とかの時代に作ったもので、シュヴァンクマイエル先生のオマージュというか、リスペクトというか、ま、もろパクリの作品ですね。たしか紙粘土で本体を作り、服も着せて、セットも作って、ライティングをして、と結構手間暇かけて制作した記憶があります。さらにその当時はビデオカメラではなく、あえてフィルムで撮影でしょ!と意気込み、8mmカメラやら、映写機やら、買い揃えて撮影に臨んだと思います。あほですね。今考えても。
8mmのフィルムカメラはその構造上、おおよそ3分程度しか撮影出来なくて、そのたびにフィルム交換をしなければいけません。そして、その当時でも8mmフィルムの現像はわざわざ和歌山の現像所へ送らなければ、現像も出来ませんでした。現像が仕上がってくるまでに2週間くらいかかりましたっけ。全てが、のんびりと制作してましたね。それはそれで良かったと思います。非常に楽しかったですね。
そういえば今も、8mmフィルムって売ってるんですかね?なかなか味わいのあるメディアですよ。


ちなみにこの作品は結局未発表でした。その僕の幻のアニメーション作品ですが、もう一度観たくなって部屋中探して、ようやくフィルムを見つけました。
意気込んで、その当時買った映写機も発見し、さぁ上映!と思って、部屋を暗くして映写しようとしたら、映写機のベルト(?)が切れていまして、フィルムが回りませんでした。映写機のメーカーに聞いても、映写機の事が分かる人も、部署もなく、当然修理も出来ず、幻の映像は幻のままとなりました。
まぁ記憶って、時間とともにかなりシェイプアップされますので、僕の中では結構良い作品だったような気がしていますが、実際観たら、どうせ悲惨な結果になるのでしょうね。記憶は記憶のままでそっとしておけ、という神様からのメッセージだと思って真摯に受け止めて、上映はやめにしました。


でも、いつかもう一度、ストップモーションのアートアニメーションの作品を作りたいですね。


film.jpg
幻の8mmのフィルム

こんにちは。ヤマガミです。


実は僕、先月の31日に関西大学に行ってきました。所謂、特別講義というやつに呼んで頂きました。
英米文化を専攻されている学生さんの授業だったので、どれくらい伝わったかは分かりませんが、僕自身もとても楽しく、良い経験となりました。
ゲストに招いて下さった小林先生、駅までのお出迎えと道案内などをしてくれた学生さん、最後まで講義を聞いてくれた学生の皆さん、この場を借りて改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
後になって、あーだこーだ思うことは沢山ありますが、なかなか人に伝えると言うことは、表現と同等かそれ以上に難しく、しかし面白味のあることだなと思いました。


さて、その時の講義内のキーワードは、ずばり「リアル」や「リアリティ」でした。
僕の作品は、僕の思う「リアル」を追求するために「フィクション」を多用します。逆にそれによって、「リアリティ」が増すと思っているからです。講義の後の学生さんとの対話での「現実がリアルなのかリアリティなのか、境目がよく分からなくなった」という意見が頭の中でグルグルと回り続けています。


僕は確信犯的にメディアの持つ「リアリティ」を使います。メディアによる素直なドキュメンタリーに細工をしてフィクション化した「リアリティ」をあたかもノンフィクションと偽って見せることによって、よりそのものに「リアリティ」を増すことが出来ると考えているからです。でもそれは決して「リアル」ではありませんし、それになりえません。

と、思っていました。
僕はそのことばかり考えていますし、メディアを道具として使っていますので、一歩引いた目線なのでしょう。しかしメディアの持つ「リアリティ」がそのまま「リアル」になる事自体は何もおかしくはありませんし、そう考えることの方がスマートですね。たぶん「リアリティ」も「リアル」の一つの側面に過ぎないのかもしれませんね。
メディアの発展によって、拡張に拡張を続けた結果、本来「リアリティ」だけを受け持っていたメディア自体が「リアル」となって(のフリをして、かな)それをのみ込み、結果、もうメディアの「リアリティ」が所謂「リアル」でいいじゃないか、と言う具合に変化してきたのでしょう。実際に見たり経験したりした「リアル」と、メディアを通して見たり経験したりした「リアリティ」は全く次元は違いますが、しかし全く同じ意味を持っているのですね。しかも最近ではその両方がまるでメビウスの輪のように連続し、くっつき、互いに表裏の関係を築き上げているような気もするのです。


なんか、今回の呼んで頂いた講義で僕自身も色々と気づくことが多かったのです。
そして今後様々な形で「リアル」と「リアリティ」の狭間の作品が生まれてきそうです。


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