
あー、なんだかあたまがぐるぐるするなあ。
心臓があるらへんがざわざわする。
残ったカブのスープにごはんを入れて雑炊にして食べながら
いろんなものに対する違和感について考えていた。
雑炊の湯気ごしに窓の外を見て、朝起きたての、
いつもの半分くらいの思考速度で考える。
やわらかいごはんが胃に広がって、なんだかじんわりじんわりと
こんがらがったものがとけていく。
考えすぎて物事を複雑にしてしまってるんだ。
きっと もっと ずっと単純 って。
人生も、恋愛も、絵を描くこともそれを仕事にしていくことも、
友達も、社会とか世界とかいうやつも、私の気持ちも、
なんだか複雑でややこしくてちっとも簡単じゃあない。
そんなことを思いながら薄暗い森のなかをずっと歩いていたら、
上から何かが落ちて来て頭にコツン。拾い上げれば木の実ひとつ。
手を見て、木を見上げ、そしてあらためて廻りを見渡したときに
ふと今までと世界の見え方が変わってしまう瞬間が来て、
そこからはなんだ森の多様性の洪水、もうとめどなく。
ああ、なんて単純で本当のもの、と打ちのめされてそこで気が付く。
ものの見方をややこしくしていたのは私のほうだ、と。
そのような感じ。わかりにくいか。
いや、まあでも問題はひとつ。
私にとって大切なものってなんだろう。
ゆずれないものってなんだろう。
見失ってはいけない部分はどこ。
もっと自然にやれるかもしれない。
たとえば色が湧くように。音が湧くように。
壊れた絵画の断片に世界のすべてが存在するとして。
よろこびだとか、かなしみだとか。
きれいだとか、きたないだとか。
ひっくるめてぐちゃぐちゃにしてぜんぶぜんぶぜんぶ。
冬の遊びの醍醐味はポジティブに閉じることにあり。(注:私の場合)
部屋の中で繰り広げられるは凝縮された甘美な怠惰。外の寒さを頭の片隅には意識しながらもストンと忘れ、
暖かい部屋で本を読むなど、映画を見るなど、ネコをなでるなど、あー幸せ。そこはぜひスープを煮込みながらなどが良い。
このあいだのワークショップであまった紙が袋いっぱいあったのでそれを部屋中にばらまいて切り貼りして遊ぶ。
模様に模様にまた模様、紙のさわさわした感じに、ごっちゃりとしたしかし目には美しいもの。それはそれは幸せなカオス。
もちろん部屋はあたたかくして、わたしは紙を切り、貼り、うずたかく積まれた紙の模様の重なりにたまにうっとり手を止めてはまた頭からっぽにしてただ手を動かす動かす。冬の遊びはそうやって続く。
混沌とわたしが呼ぶ紙の山の中からひらりと秩序あるカタチが出来上がっていき、物語が動き始める。
冬の夜は暗くて長く、たぶんきっと終わらない。
<いろいろな柄の包装紙をつかって、黒い背景に絵を描こう>
というようなことをワークショップで子供たちとやったんだけど、子供に限らず他人の頭ん中ってほんとおもしろい。
いや、正確に言うか。想像すること発想すること見方に手順、あたりまえだが全くもって予測不可能みんなちがってみんないい。
そのあたりが均一化することを良しとしてしまえば、とたんにいろんなものが貧しくなっていくんかもしれんなとぼんやり思う。
「お嬢さん、まったく同じものなんて、世の中にありゃしないんですよ。あったとしたらなんてつまらぬ世の中だ。」
と、ネコがすれ違いざまにつぶやくを聞く。そいつは長いしっぽをピンと立て凛とした姿勢で歩き去る。
そうですね、カオスですものね(って、何が?)。自分の頭ん中だって、まったくわかったもんじゃない。
冬が長い国に住んでいたときに覚えたのは、冬を夜を寒さをどのように楽しむかってことだった。
そして、どううまく閉じるかってことも。そのうえでどう人と付き合うかを含めてね。最近はそれがうまく出来ないな。
それにしても、夜が一番長い季節に、このきらめき。
クリスマスが12月にあるなんて、ほんとなんてよくできた話。



柿を食べていた。
その少し前、その場の話題は和菓子だった。
で、柿を食べながら「タネが入った柿にあまり出会わなくなったな」と言ったその人は続けて「和菓子の甘さは柿の甘さを超えてはならんそうな」とぽつり。生菓子のあのやわらかく深い色と舌触り、それに柿の潔い色と硬さが奇麗な対のイメージとなって頭に残った。
そもそも柿という果物、あまり好きなものではなかった。それが去年のちょうど今頃ある日突然そのおいしさに気づいてしまった。ばばばーんと雷に打たれるがごとくドラマティックに、というわけではなくて「あ、おいしい。」と、とても地味に静かに。しかしある種の衝撃を持って。
好みなんていとも簡単に変わるものだ。
ひとつ好みが変わると、それにともなって何かが少しずつズレ始める。「ああ、もしかしたらこちらもすごくステキなのでは?」と今まで見向きもしなかったものが急に光を放ち始める。そうやってふと顔をあげるとそこここに微細な隙間が出来てそこから光が漏れていることに気づく。ズレの連鎖はおもしろい。その連鎖こそが今まさに自分の興味の方向。そこを辿っていくとそのときに見るべきものが姿をあらわすのだ!・・・のか?
そこにあるものは変わらなくて、変わるのはこちらの意識のみ、でありますが、その変容の末に得うるものの膨大さたるや。
願わくばそれを受け入れるのに柔軟でありたいものだ、とかぼんやりと。
ああでもそんなことよりも和菓子だ和菓子。甘くて柔らかい生菓子を買いに行くのだ。
それに煎茶を淹れておいしく飲むのだ。器はどれがいいかしら。とそれが昨日からの私の全くの興味。
足田メロウさんのカップがものすごくステキ。
焼き上がりがとても気になります。いいな、いいな。
そういえば。去年の末に見た『柿喰う客』という劇団の芝居がものすごく面白かった。目からウロコぽろり。
一年ぶりにウィーンに戻ってきています。
京都での生活を制作をすこし離れたところから見直したかったのかもしれない。
先週はアカデミー時代の友人を訪ねてウィーンから電車で3時間半ほどのケアンテン州に行ってきました。
森と、湖と、朽ちた古城があるところ。そして何も無いところ。
そこで、本を読んだり、人のアトリエで絵を描いたり、美術教師をしている彼女の学校へ行ってゲストで授業してきたり(!)、庭のリンゴをかじりながら空を見上げたり。
旅をしたらすること、記憶の断片としての言葉集め。
ここから絵につながったりもするし、ただのメモで終わったりもする。
どうでもよくて、大切なもの、切り取られた一瞬。
先週のある日、突然に夏が終わって、当たり前の顔して冬が来た。
来月京都に帰ったら まだ秋がいてくれるといいけれど。
ーーーーーーーーーーーーケアンテンにてーーーーーーーーーーーーー
短縮された時間、それに比例する距離
一年間の秋
期待しなかった再会(よろこぶ)
14歳だった
アップルパイを焼く姉妹
もうクルミはいらないのに
アトリエジャック
留守中に熊出現
日本語はすべて四角である(もしくは視覚である)
気に入らなければ塗りつぶす、それでもだめなら切り離す
乾燥キノコ、野菜、中華風麺
真夜中の水温、プールルームの怪
夜、夜、夜、闇、樹、樹、夜
朝はすべてを浄化する
シナモン入りコーヒー
朝焼け、山の雪、降りた霜にシガー・ロス
ああ、音楽は風景だ
感情を溶かす
目の奥の興味、緊張、美術室
初めての街/歩く歩く歩く
ボルチーニ茸入りラビオリ、カボチャのクリームスープ
カフェ・ヴィンセント(インゴに会う)
風景が流れる
リサのママ
読書は台所で
くもりガラス越しには世界
つながらない電話
長い週末は木曜日から
" 気配 " について " 退屈 " について
闇の色の違い、もしくは質の違い
煙突そうじ屋さん
庭に迷い込んだ犬、そしてその飼い主(!)
『よろめいているのは現実感のほうだ』
電話がつながった
伝説の魔の山
トルコに行きたくなる
おばあちゃんの生みたて卵
手についたハーブのにおい(ミント、オレガノ、チャイブ、コリアンダー、ローズマリー)
コーヒー入りシナモン
年輪を数える
夕方の光、とげの痛み、やわらかい土
美しい鹿を集めて
ぬるいビールと世界の感触
壁をぶち抜くのだ
人との付き合い方と時間について
半生の卵(せめてあと1分)
ギリシャの蜂蜜
発音 - LとRの真ん中
フライド・トーフ・オン・カリー
セロ弾きのゴーシュ(プンパラ!)
かんたんに、かんたんに麻痺するんだ
「それなら私はどこへ行くべき?」
「ここにしばらくとどまることね」
写真集/世界の不思議/ストーンヘンジ
フィリップのパパの前世
牛の王者とリアリティー
墓に、花を、植える
最後のラディッシュ
パウゼとヤウゼ
「ウィーンは雪が降ったって」
クリスタリジーレン(結晶化する)
またあした
虹を見た

