アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

11月に離婚します。
すでに別居していて、以前の右京区の部屋は引き払っていますから、
今まで右京区の住所にDMなど送っていただいていた方は、
東山の事務所(〒605-0815 京都府京都市東山区北 御門町266
UNGLOBAL STUDIO KYOTO)にお願いします。
5年前、&ARTがはじまってから少しして結婚したので、
この5年間を振り返ると、5年前は独身で、再び独身になったので、
何も変わらなかったと言えるかもしれん。


作品の制作はというと、2011年3月以降作ってないから、
それでアーティストブログリレーに参加するのもいかがなものかと思って気が引ける。
もう作らないと決めたわけではないけど、
ここ数年は表現するよりも、体験することに興味がいっている。
体験のリアリティが100なら、表現で誰かに伝えられるものは1だ。
体験の延長が表現になると自分に言い訳しやすいかもしれないけど、それも疑ってる。
自分にとっての「自然な表現」の中に「作品で伝える」って入ってない。
そういう人もいるだろうけど。
いつも「不自然だなぁ」と思いながらやってたんだっけ?忘れちゃったな。
ストンと腑に落ちる表現があれば何かやるかもしれない。


それで色々な人が書いているように、俺は&ARTの中の人で。
&ARTは人とつながるきっかけで、今はつながりの中で蓄積された考えや想いを
言葉にするためのきっかけにもなりつつある。
林勇気さん、村川拓也さんに今年に入ってから二度目のインタビューしたけど、
二度目になると、彼らに対して日頃から思っていることをまとめて話すだけでいい。
大した準備する必要がない。
そうやって自然に出る言葉でインタビューできた方がいい
(離婚するやつが人とのつながりを偉そうに語るんじゃねぇよ)。


林勇気インタビュー http://andart.jp/artist/hayashi_yuki/interview/
村川拓也インタビュー http://www.ameet.jp/feature/feature_20140926-2/


だから&ARTはペースはスローになる。けど続ける。
村川さんのインタビューはAMeeTっていうサイトなんだけど、
こっちでも半分くらい記事の編集を担当してて、そういうこともあって&ARTの更新遅かったりもする。
AMeeTは半分くらいの記事が、&ARTと同じくらい、自分の興味に忠実に編集できてるから、
自分の中ではけっこう分け隔ててない。
AMeeTではさらにお金もらえるんだからありがたい。
誰か&ARTにお金出してよ。社会の役にたつかは知らないけど。


ペースはスローだけど、中途半端にはやらない。中途半端になったら潔く辞める。

最近は時間がなくてあまりできていないのですが、
以前は趣味でたまにお笑いのネタを文字起こしするということをやっていました。
久々に書き起こしたので掲載してみます。
私はツッコミに優しさが感じられるネタが好きなのですが、今回はそういったネタを2本ピックアップします。
1本は数年前に起こしたもので、もう1本は昨日起こしました。


1本目は東京ダイナマイトの『領収書』というネタです。
客(ハチミツ次郎・ツッコミ)が商品を購入した後、店員(松田大輔・ボケ)に、領収書をもらおうとする、という設定の短いネタです。
進行や状況説明がなく、ボケとツッコミのかけ合いが中心となるシンプルな構成となっており、
次郎氏はこのコントの中で本人として登場しています。


松田「≪板付きで明転≫はい、ありがとうございました。お釣り380円になります、ありがとうございます。」
ハチミツ「領収書ちょうだい。」
松田「領収書、お宛名は?」
ハチミツ「(小声で)ハチミツ次郎。」
松田「はい?」
ハチミツ「ハチミツ次郎。」
松田「ハチミツ...≪東京ダイナマイトのハチミツ次郎であることに気付いて≫は!」
ハチミツ「知ってるだろ。女は知らねぇかもしれねぇけど、男だったら100%知ってるんだよ。」
松田「(領収書を書きながら)あっそうすか、すみません。あざす。≪領収書を渡しながら≫じゃあ、すんません。」
ハチミツ「≪領収書を見て宛名の間違いに気付き≫ミツバチ次郎じゃねぇんだよ、ハチミツ次郎だよ。たまに間違えんだおばさんとかが。」
松田「≪再び領収書を書きながら≫あっ、すみません。」
ハチミツ「ミツバっちゃんみたいに言われて。それ、俺手振ってるから口コミで広がってんのかもしれない。」
松田「≪領収書を渡しながら≫じゃあ、すみません。」
ハチミツ「≪領収書を見て≫なんだこれお前。≪宛名の間違いに気付き≫8(ハチ)、8(ハチ)、8(ハチ)、8(ハチ)3つって。」
松田「あ、すみません。8(ハチ)3つ...」
ハチミツ「違うんだよお前。」
松田「はい?」
ハチミツ「違う違う違う。これだったら888260(ハチハチハチニロクヨン)...」
松田「≪再び領収書を書きながら、人差し指を口に当てて≫ちょっと静かに、今書いてるんで。」
ハチミツ「まあ、それでも領収書落ちないけどな。」
松田「≪領収書を渡しながら≫すみません、ありがとうございます、すみません。」
ハチミツ「≪領収書を見て≫あっ、当ってんじゃん。≪領収書をよく見て宛名の間違いに気付き≫ハミチツ次郎じゃねぇんだよ。ハミチツはリア・ディゾン。リア・ディゾンがちょっとハミチツしちゃったんだ。何言ってんだ俺は。あんまり聞かれたくないんだこういう会話。≪自分を指さして≫ハチミツ次郎だ。」
松田「危ない人ですか?」
ハチミツ「ハチミツ次郎だ。どっちかっつったらお前が危ないんだよ。」
松田「≪領収書を渡しながら≫すみません、できました、すみません。」
ハチミツ「≪領収書を見て≫冠二郎って。≪帽子をとって≫冠二郎じゃないよ。」
松田「あー。すいません。」
ハチミツ「冠二郎は≪ピー音≫。噂だぞ、噂。これ、冠二郎...日本コロムビアだろ、そしたら俺。日本コロムビア様になるはずなんだよ。」
松田「≪首を傾げて≫いや、ちょっと...。」
ハチミツ「ちゃんとやって。」
松田「≪領収書を書き、渡しながら≫あ、すみません。」
ハチミツ「≪領収書を見て宛名の間違いに気付き≫月亭八光じゃねぇんだよ、おもしれぇ方のハチミツ次郎だ俺は。」
松田「≪領収書を書きながら≫すみません。≪領収書を渡しながら≫じゃあこれですみません。」
ハチミツ「≪ピー音≫。あの人領収書おちねぇだろ。あの人もう確定申告ないはずなんだよ。お前...。」
松田「≪領収書を閉じる≫」
ハチミツ「何で閉じてんだよ。なんで諦めたんだお前。お前領収書一つ書けねのか。」
松田「はい。」
ハチミツ「なんでだ。」
松田「俺すっげぇクソくそ野郎なんです」
ハチミツ「じゃあ、しょうがねぇな≪振り返って店を出ようとするところで暗転≫。」


ボケはネタ(=物語)の中で往々にして不条理、非常識、非日常となります。
ですからツッコミの言葉には、ボケを否定するにせよ肯定するにせよ、そういったものに対する眼差し、態度が反映されることとなります。
コント『領収書』において、ボケは領収書を書けない、つまり簡単な仕事もできない社会不適合な店員です。
『領収書』のオチとなっており、このコントの中で次郎氏の態度を象徴する言葉「じゃあ、しょうがねぁな」は、
社会不適合に対する優しさと、彼らに対する諦めのようなものが入り混じった豊かな言葉と言えるでしょう。
私はこの豊かさこそが東京ダイナマイトの最大の魅力であると考えています。


次はTBSの特番『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ 2010』のために、次長課長の井上聡氏が作ったネタです。
ドリームマッチは、相方をシャッフルして即席コンビを結成し、限られた時間の中でネタを制作して披露するというフォーマットの番組です。
この時の相方はロッチの中岡創一氏で、職業案内所に職を探しに来た男(中岡・ボケ)と職員(井上・ツッコミ)という設定です。


井上「≪ナレーション≫ここはとある町にある小さな小さな職業案内所。今日も様々な人がやってきて、色んな仕事を見つけていくのです。」
中岡「≪板付きで明転。受付から少し離れた位置で土下座をしながら≫お願いします!仕事ほしいです!私(わたくし)中岡仕事ほしいです!お願いします!お願いします!お願いします!」
井上「すみません、そこで言われても一生仕事決まんないですよ。」
中岡「え、どこ行ったらえんすか?」
井上「≪受付前の椅子を指さして≫いや、ここで言わなきゃ。」
中岡「あっ、ここでいいんですか。」
井上「はい。」
中岡「≪椅子に座って≫仕事ほしいです!お願いします!」
井上「いや、今不景気で、ちょっと仕事ないんですよ。」
中岡「うん、でもそういうのわかって来とるからね。仕事くださいお願いします。」
井上「いや、そう言われましてもね。」
中岡「仕事くださいお願いします。」
井上「なんでそんなに仕事ほしいんですか。」
中岡「あの...(裸足の足を見ながら)靴がほしいんです。」
井上「えっ、裸足じゃないですか。なんで靴ないんですか。」
中岡「でも、それには訳があるんです。」
井上「訳が?」
中岡「僕小さい頃から履きやすい靴を履いてたの。で、それがボロボロになったの。んで、お金貯めてたらその靴の新作のモデルが出たの。ほんでまた新作のモデルが出て。で、枝分かれ上にそのモデルがめっちゃくちゃ出て...どの靴かったらええかわからんようになった。」
井上「途中で落としどころあったでしょう。ここでいいかなみたいな、なかったですか。」
中岡「で、裸足。」
井上「いや、裸足でしょうけど。そのなんですか、前のボロボロの靴でも履けばいいじゃないですか。」
中岡「めちゃめちゃボロボロなったもん。」
井上「いや、ボロボロっつっても限度あるでしょ。」
中岡「≪ポケットから靴紐周辺だけになった靴を出して≫だってこうなったもんな。」
井上「えっ、こんなんなるんですか、靴って。」
中岡「≪靴紐周辺だけになった靴を足の甲に乗せて≫靴こんなんなった。こうやって履いとった」
井上「えっ、靴は最終的にはこういう形になるんですか。」
中岡「こうなんねんなー。」
井上「いや、下はわかりますけど、横ってどうやったらなくなっていくんですか。」
中岡「どうやったらなくなっていくんやろうな。」
井上「俺が質問してるんですけどね。」
中岡「ほんで、左の方は紐も切れてボロボロなの。」
井上「ああ、そうなんですか。」
中岡「でね。」
井上「はい。」
中岡「≪靴紐周辺だけになった靴の、靴紐をのしの水引に変えたものを取り出して≫その靴がこんな状態になっとんの。」
井上「もうのし袋じゃないですかね。」
中岡「こんな状態になっとんの。へっへっへっへっ。≪靴を足の甲に乗せて≫で、これこうやからね。」
井上「なかなか紐に見立てる人いないでしょう、それ。」
中岡「みんな左の方見て、おめでとうございますって言ってくるから。」
井上「言いますかね。」
中岡「右の方見てね、えっ、大丈夫ですか?って言ってくる。」
井上「どっちも大丈夫ですか、になりますけどね。」
中岡「ほんでこうやって乗しとっても、どうにもならんからね、≪靴を机の上に投げて≫これ、もう、どっかやっちゃえっつって。どっかやっちゃえっつって。」
井上「とってまえって?」
中岡「とってまえっつって。」
井上「あー。」
中岡「とってまえっつって。」
井上「とってまえって。」
中岡「とってまえって。やったんで。」
井上「あのー、髪の毛薄なって、丸坊主にしてまえみたいな?」
中岡「あ?」
井上「え?」
中岡「それピンとこーへんな。」
井上「それピンとこないすか。」
中岡「あん。」
井上「あ、そうですか。とりあえず靴ほしいんやったら、もうアルバイトでよくないっすか?」
中岡「アルバイトなー、せやけどちゃんと仕事せな結婚できへんやろ。」
井上「そこ現実的に考えてるんですね。そういうとこあるんですね。」
中岡「何か俺に見合う仕事ないかなー?」
井上「逆にじゃあ何か自慢できることあります?」
中岡「あの、若いから力が有り余るっとるな。」
井上「そうなんですか、若いんですか?」
中岡「若いよ」
井上「若かったんですか。」
中岡「何歳に見えてんの?」
井上「いや、40...」
中岡「22。」
井上「22。」
中岡「あっ、23。」
井上「どっちでもいいですよ。23なんですか。」
中岡「だから力が有り余っとんじゃ。」
井上「力が有り余っとるんやったら、力仕事でいいんじゃないですか。」
中岡「力はあるよねー、うん。力はある。大概のものは持つよね、俺は。持つとこないのに俺持つよね。」
井上「持ち方次第だと思うんですけどね。」
中岡「ほんで、あれ、居酒屋行くでしょ。」
井上「はい。」
中岡「から揚げ頼むでしょ。」
井上「はい。」
中岡「から揚げにレモンついてるじゃん。」
井上「はい。」
中岡「レモンやってーって言われる。」
井上「どういうことですか?」
中岡「レモンやってーって!」
井上「ああ、レモン絞ってーってこと?」
中岡「レモンやってーって。」
井上「レモン絞ってーってこと?」
中岡「だから俺はレモンやるよーつって。」
井上「なるほど。」
中岡「俺はレモンやるよーつって。」
井上「レモンやる...」
中岡「あっ、こっちのから揚げもやってーって言うから、俺もうレモンやるよーって。」
井上「こっちのから揚げも...」
中岡「あっ、こっちにもやってーって言うから、レモンやってやるよーつって。んで、こっちのから揚げにも、レモンやるよーつって。」
井上「そんなにから揚げ頼みますかね。」
中岡「そんで、もう出ないと思ってるでしょ。こんなに出るんだよーつって。」
井上「けっこうやっちゃう方なんですね。」
中岡「なんでもやるからね。」
井上「じゃあ、あの生グレープフルーツサワーとか...」
中岡「やるよー!生グレープフルーツサワーやるよー俺。やってーって言われるからグーってやるよね。」
井上「はい。」
中岡「ほんで両手でやってー言われる。でも両手でやってーって言われてもな。」
井上「はい。」
中岡「俺片手でできるからさ。」
井上「うん。」
中岡「でも俺やってあげるよ、両手でやってあげるよ。」
井上「はい。」
中岡「でも、左手はちょっと添えてあげるだけ。添えてあげるだけ。」
井上「でも添えてるだけだよーってなるでしょ。」
中岡「なるけど、こんなにも出てるんだよーって、めちゃ出るからな、汁が。」
井上「汁がって、銀のやつ使ってーってならないんですか。」
中岡「銀のやつ使ってーってなるけど、使わないーゆーて。使わないよーって。」
井上「なんで使わないの。」
中岡「使わないよ、こんなに出るんだもん。こんなに...」
井上「いや、でも種ばら蒔いちゃってるよ。」
中岡「種ばら蒔いちゃってる...お前おった?」
井上「そこにはいないです。」
中岡「そういうこと言っとったやついたよ。」
井上「いたんですか。」
中岡「種バラバラになるよーっていたよ。」
井上「最もな意見を言ってるだけですよ。」
中岡「で、ぎゅーってやってグリグリ回すよーって、回すの。」
井上「回しちゃダメ...」
中岡「グリグリ回すよーつって。」
井上「回さないでーってなるでしょ。」
中岡「やっぱお前おった?」
井上「そこいない、そこいないですよ。」
中岡「やっぱおったやろお前、左の方に似たやつおったよ。」
井上「そんなやつがいたんですか。」
中岡「あん。」
井上「そうですか。」
中岡「あん。」
中岡「だからガーって。」
井上「いや、回しちゃダメでしょ。」
中岡「いい、いい。」
井上「いや、グレープフルーツ。」
中岡「こぼれるよーって。」
井上「お一人様一個だよーってなるでしょ。」
中岡「お前やっぱおった?」
井上「俺全く同じこと言ってます?」
中岡「お前やっぱおったな。」
井上「いや、俺いないですけど。わかりました、十分力強いのはわかりました。」
中岡「わかった?」
井上「はい。あのじゃあ引っ越しのバイトでいんじゃないですか?」
中岡「引っ越しのバイト?」
井上「あれだって力使えるし、何だったら裸足でもいけますからね。」
中岡「裸足でも上がれるからな。」
井上「はい。」
中岡「あ、いいね。」
井上「はい。」
中岡「引っ越しにしよかな。」
井上「そうや、引っ越しのバイトって靴支給されるみたいですよ。」
中岡「靴支給?」
井上「はい。」
中岡「え、貰えんの?」
井上「だから貰えるから一石二鳥やと思うんですけどね。」
中岡「ん?」
井上「≪端末で検索しながら≫ちょっと調べましょうか?」
中岡「ん?靴貰える?」
井上「≪受話器をとりながら≫あっ、ありました。ここ電話して聞いてみます?」
中岡「≪急いで電話機のフックを押す≫」
井上「なんすか?」
中岡「そら俺かて、靴貰えたらうれしいよ。」
井上「え?」
中岡「兄ちゃん、俺、考えたらな、靴は貰うもんやない、一生懸命働いて買うもんや。」
井上「中岡さん...。」
中岡「小さい頃ずーと思てた。靴が手に入ったらええ。靴のためやったらなんでもやる...靴貰えたらなぁ。」
井上「貰えるんですよ。」
中岡「え?あ、じゃあ電話して?」
井上「はい≪暗転≫。」


ボケが突拍子もない発言や行動をしても、丁寧に話を聞いてあげる優しさは、次郎氏が書くコントとの共通点として挙げることができます。
そしてもう一つ、次郎氏と井上氏のコントにおける重要な共通点として"リアリズム"があります。
私がボケに対する眼差しや態度に共感する時、多くの場合、
ツッコミは過剰にテンションを上げたり、日常で使わない言葉を選ばず、自然に受け答えをします。
そうやってリアリズムを保つことで、
ボケを「舞台上でのフィクション」ではなく「日常の中にある違和感」として物語の中に存在させることができるのです。


こうしたリアリズムを追求したネタを書く芸人にはツッコミが多いように感じます。
コント・漫才のネタはボケが作ることが多いのですが(ダウンタウン、爆笑問題、さまぁ~ず、サンドウィッチマン など)、
次長課長、東京ダイナマイトはどちらもツッコミがネタを書いてます。
不条理、非常識、非日常側から発想するのか、それらに対峙するもの、あるいはそれらの観察者の目線で発想するのかは、
出来上がる物語のリアリズムと関連するでしょう。
特に『領収書』は次郎氏が本人役で登場するという点で、よりダイレクトといえるかもしれません。


多くの場合、漫才・コントは不条理、非常識、非日常とそれらに対する眼差し、態度の関係で成り立ちます。
言い換えれば、それはボケとツッコミという構造によって、
「作品内で、不条理、非常識、非日常に対する批評が明確になされている」ということです。
批評自体を作品化できることが、漫才・コントが持つ強い共感の重要な要因ではないでしょうか。

夜の21時頃、高速を降りた数台の大型バスが、ショッピングモール併設の大きな駐車場に停まった。
ショッピングモールは7F建てくらいの高さで横幅が広く、地下にもフロアがある。
地上フロアはすでに全店舗クローズしており、
ショッピングモール全体がすでに閉店したような雰囲気を漂わせているが、
地下のフロアだけはまだ営業している。


どうやら急遽、修学旅行の出し物を閉店したショッピングモールのシャッター前でやることになったらしい。
今から30分~1時間程度の準備時間を経て、グループ順に発表していくとのこと。
僕は友達とペアを組んでコントをやることにした。


急いで準備を始める。
まず自宅から持ってきた包丁に赤い絵の具を塗る。
次に後輩(野球部なのかがたいが良くて坊主)に、荷物を全部出した空のボストンバッグを借りて、
そこに地下の衣料品フロアで購入した下着などの衣類をパンパンに詰める。
衣類の上に絵具を塗った包丁を置いて、バッグのチャックを閉める。
これで準備は完了。


コントのはじまりはこうだ。
あるショッピングモール内のお店から警備員室へ「挙動不審なお客さんがいる。
万引きをされたかもしれないから、呼びとめて荷物を調べてほしい」という連絡が入る。
不審者(僕の役)の特徴は30代の男性で丸い眼鏡をかけて作業着のような服を着用し、
大きなボストンバッグをもっているということだ。
お店から聞いた特徴を頼りに不審者を特定し、ショッピングモールの警備員(友達の役)が
ショッピングモールのシャッター前で不審者の男を呼び止め「すみません、
念のためバッグの中を見せてください」と声をかける。
一瞬考えるような間があったが、男は素直にチャックを開けて中を見せる。
中には血の付いた包丁が入っていた。
警備員は「ボストンバッグの中にバラバラにした死体が入っているんじゃないか」と疑い始める...。


それからの展開は、恐怖を感じながらも不審者に一つずつ質問をしていく警備員と、
それに対して冷静且つ意外な回答を少ない言葉で返す不審者のやり取りが中心となる。
警備員目線の組み立てをし、観客が警備員に感情を重ねやすいような構成にしたうえで、
冒頭の「万引きをしているかどうか確認しようとしたら、血の付いた包丁が入っていた」というやりとりのように、
常に警備員の想像の上をいく男の回答を用意する。
笑いやすいように、警備員の怯え方は滑稽な方がよい。


「警備員の滑稽な怯え」と「男の冷静さ」のコントラストで独特の緊張感を作り上げ、
その緊張をうまく緩和していくことで笑いを作っていく。
「ショッピングモールのシャッター前という場所の特性をうまく利用しているし、
30分~1時間で作ったとは思えないクオリティだからこれはうけるぞ」とテンションがあがって、
自信に顏がほころんだところで目が覚めた。


この夢を見てから今日一日無性にコントが書きたくなったので、続きを考えてみた。
5~7分くらいのネタにしようと思っているから、
「恐怖を感じながら不審者に質問していく警備員と、それに対して冷静な
言葉で返す不審者のやり取り」だけでは観客に飽きられてしまう。
そこで途中から警備員に(つまり観客に)「ボストンバッグに死体なんて入っていない」
と思わせるような展開に持っていく。
警備員は安心したのか少しずつ態度が大きくなり、ボケは緩和状態を前提としたものへとシフトする。


不審者への恐怖が十分薄くなったところでオチだ。
男は警備員のある言動をきっかけに、それまでとはうって変って堰を切ったように早口で話し始め、
ボストンバッグに死体が入っていることを告白する。そして、その死体が警備員の両親だということも。
男がセリフを言い切り、警備員と観客が状況を把握しかけたタイミングで暗転。コントは終了する。
オチで一気に緊張感と恐怖を呼び戻し、インパクトを作る。


この場合、死体が警備員の両親だったのは偶然なのか、それともはじめから警備員周辺の人を狙っていたのか、
はたまた警備員に死体を渡そうとしたのか、そのあたりは謎のままにするのか色々なパターンが考えられる。
これによって恐怖の質が変わるから最後の男のセリフは重要だ。


あとは気付かれない程度に冒頭「ボストンバッグの中身は警備員の両親」ということに
関連する伏線を張っておくことと、ネタ合わせしながら具体的にボケに対する突っ込みを考えるだけだ。
これは友達にある程度委ねよう。
バナナマンの『ルスデン』、かもめんたる『白い靴下』、ラーメンズの『採集』などを見直して、
構成を研究しよう。いいコントができそうだ。


しかし芸人じゃないから観せる場所がない。
あと夢だから相方もいない。
悲しい。

Steve Lacy / Solo (CD、録音:1985年)
言わずと知れたポスト・フリーの雄、Steve Lacyの晩年ライフワークとなっていたソロ演奏を収録したライブ盤。この時期のソロ作では、Lacyの音楽家としての一つの到達を聴くことができる。旋律表現に特化した演奏となっており、特に"Morning Joy"や"Retreat"ではLacyらしいオリエンタルなメロディーが印象的。50年代から活動しているということも影響して、伝統的なジャズのスイング感が各フレーズに残っており、過激な音を好む奏者が多いフリージャズの中で、上品で洗練された演奏を展開する数少ないインプロヴァイザーと言える。
Derek Baileyの著書『インプロヴィゼーション―即興演奏の彼方へ』に掲載されているSteve Lacyの発言に「とくにかく前に進みつづけなければ、自由は失われていきます。するとこの音楽も終わりです。音楽の生死にかかわる問題ですよ。判断の基準になるのはただひとつ-「この演奏は生きているか死んでいるか」、これです。」というものがある。これはそもそもジャズにおける自由の度合いについての発言なので、Lacyの趣意とは多少ずれるかもしれないが、フリー・インプロヴィゼーションはいつだって「その瞬間、その演奏が生きているか死んでいるか」を表面的な聴きやすさより、金銭的な成功より優先してきた。インプロヴィゼーション自体が生きた演奏をするための形式だし、すべからくそうあるべきである。


Bill Dixon With Tony Oxley / Papyrus - Volume 1 (CD、録音:1998年)
Bill DixonはCecil TaylorやArchie Sheppなど、名だたるフリージャズの巨匠たちと共演を重ねてきたトランぺッター。1960年代に収録したフリージャズの作品や、Thrill JockeyからリリースされたChicago Underground QuartetのRob Mazurek率いるExploding Star Orchestraとの共演盤も良作だが、最もお薦めしたいのは熟成したフリー・インプロヴィゼーションが収録された、ドラマーTony Oxleyとのデュオ編成の本作。私は個人的に、各演奏者の個性や演奏者同士の関係性がわかりやすいという理由で少人数編成を好んでいるが、特にDixonの良さは"残響"にあるので、音数が少ないほどその魅力が伝わるものと考えている。本作で聴くことのできるDixonの「音と音の間に対して残響を置いていくセンス」はあまりに秀逸。また、楽器を熟知したフリーな奏法のバリエーションも素晴らしい。正に熟練の味。伸びのあるトランペットの音に対して、パーカッションを短く刻んだり、振動で音の層を張るようなTony Oxleyの的確なサポートも目を見張るものがある。
この作品は9枚組のBOXセット『Complete Remastered Recordings on Black Saint & Soul Note』に収録されているので、購入の際は単品で買うよりもこちらをお薦めしたい。このシリーズからMuhal Richard AbramsやArt Ensemble of ChicagoのLester BowieのBOXセットもリリースされている。ちなみにDixonは『Opium』‎(CD、2001)で前述のSteve Lacyと共演している。


姜泰煥 / I think so (CD、録音:2002)
韓国の至宝、姜泰煥の青嶋ホール(静岡)でレコーディングされたライブ盤。他に姜泰煥のアルバムは6枚ほど持っているが、リリースされている音源の中ではサックスを用いたマルチフォニックで作り出す音色(「ひとつの音程でも同時に四つか五つの重音をコントロールしている」とのこと)や循環呼吸奏法など、その個性が最もわかりやすいということで選出した(ソロ作では同年にリリースされた『Seven Breath』も素晴らしい)。
雑誌のImprovised Music Japan 2004に大友良英氏による姜氏へのインタビューが掲載されているが、そこに書かれていた「芸術高等学校を中退して布団と楽器を買って山に籠った」「マイクを通さなくても山全体を響かせるような音が出せるようになりたいと思った」という言葉はその哲学をよく表しているように思う。
現在も一年に一度Breath Passageツアーで日本を回っている。一度同ツアーで滋賀近江八幡の酒游舘に来た時に田中泯氏、大友氏とのコラボレーションを観たことがあるが、空間全体へ音を響かせる力強さに圧倒された。
姜氏が出す音が「呼吸の美しさ、力強さ」に根差しているからこそ、根源的な響きが生み出せるのではないだろうか。


Phil Minton & Roger Turner / Ammo(LP、録音:1984)
音楽は合法的な暴力体験だ。グロテスクで凶暴な小動物が暴れまわっているようなイメージを持つ本作は、正に極上の暴力体験を実現するアルバムと言える。Mintonの絞り出すようなヴォイスには鬼気迫るものを感じる。これまでに色々なミュージシャンと共演しており、リリースされている音源も少なくないが、彼の魅力をストレートに堪能するならば、最も相性のいいドラマーRoger Turnerとのデュオ作だろう。MintonとTurnerのデュオ作では他に『Dada Da』‎ (CD、1993)、『Drainage』 (CD、2003)、『Live At Hull Art Lab』‎ (CDR、2011)などがある。
タイトル曲"Ammo"の後半の展開は、リズムにヴォイスをのせ、盛り上がりを作るような関係性になっているが、この暴力的エモーションは他のミュージシャンには生み出せない。それ以外の曲でTurnerは基本的にリズムで盛り上げたり、ノリを作るのでなく、ヴォイスと戯れるような関係性をキープする。この時のTurnerの表現力は本当に素晴らしい。過去に一度大阪のフェスティバルゲートにあったブリッジで、Turnerのライブを観たことがあるが、その時はスネアの上にチェーンを置いて演奏をしていた。トリッキーなギミックを用いながらも、一音一音がクリアに響かせる確かなテクニックに感動したことを覚えている。


Hugh Davies / Warming Up With The Iceman (CD、録音:1968-2000)
Hugh Daviesは自作のライヴ・エレクトロニクスを演奏するミュージシャン。私がHugh Daviesの音を初めて聴いたのはECMからリリースされたDerek Baileyの"The Music Improvisation Company(CD、1970)"だった(このアルバムにはその後King Crimsonに加入するJamie Muirや、Evan Parkerも参加。余談だがKing Crimsonの再始動は気になる)。本作は1968年から2000年のソロ音源を収録したアルバム。"Porcupine"や"Solar Night"で聴くことができる中毒性の高い歪みや、"Music For A Single Spring"で聴くことができるサウンドのドライブ感(音と音の関係性でドライブ感を出すというより、むしろ一つひとつの音自体にドライブ感がある)などがDaviesサウンドの特長。
楽器の写真がCDサイズのブックレット(巻き四つ折り八面)に掲載されており、剥き出しのジャンクなビジュアルを見ることができる。私は「どのような形状の楽器からどのように発信しているか」といった、所謂"音と音の周辺情報の関係性"を「音の社会性のようなもの」と捉えている。そういった観点で言えば楽器の写真が掲載されてることは、その音楽、ミュージシャンに近づく上で非常に重要なのだ(学生の時、京都のcafe independantsでVoice Crackのパフォーマンスを観たときに、はじめてそのことを認識した)。
ちなみにEvan ParkerとかDerek Baileyとか重鎮を外しているあたり重箱の隅感がすごいが、単にあまり音源をもっていないだけだ。

昨年からバス通勤しています。
通勤ルートにレンタル着物屋さんがあり、その前のバス停から、
和装の観光カップルが乗り込んでくることがよくあります。
そういう時カップルの顔をまじまじと見てしまいます。


そのカップルが美男美女だと劣等感で嫌な気持ちになります。
男がカッコ良くて、女が"そうでもない"場合は、男に対して「こいついいやつだな」と思い、上機嫌になります。
女が美人で、男が"そうでもない"場合は、女に対して「こいついいやつだな」と思い、上機嫌になります。
そのカップルがどちらも"そうでもない"場合、居たたまれなくなり、嫌な気持ちになります。
(それとも、そもそもバランスの崩れた状態自体が好きなのでしょうか。)


ここ1年は、こうした通勤中の心の波風などを乗り越えながら、
一所懸命作品に関係のないお仕事をしておりました。
色々な心境の変化があり、2年位前から「自分のやりたいことは自分で稼いだお金でやる」と決めました。
「作品に関係のないところで生活費を稼ぎ、誰にも何も文句を言われずに、
継続して制作できるサイクルを作る」ことを目指しています。
今は仕事に集中する期間、制作する期間を明確に分けたほうが動きやすいように感じています。


こういった心境の変化や、独立して事業を始めたこと、ここ数年イベント企画に携わることが増えたことなどにより、
お金に対しての考え方やルールが明確になってきたので、箇条書きにして整理してみました。
今回はお金に対する考え方「自分が作品を出品する立場編」です。


1. 個人名義で制作・発表する作品は売らない。
  ※ただし販売することに必然性があれば検討。
  ※販売でなく、出品依頼は検討。
  ※興業として成立する発表形態の場合の入場料収入などは例外。
2. 主催・企画が自分以外で、企画側に出品料を支払わなければいけない企画には参加しない。
3. 2も含め、主催・企画側が運営責任を追わない企画には参加しない。
4. コンペには出さない。
  理由1:「この人にコンペという場で評価されたい」と思ったことが一度もない。
  理由2:わざわざ他人の偏った価値観で判断されたくない。
  理由3:「美術」「○○協会」など、その分野/業界/団体の歴史や判断基準を背負う気がない。
  理由4:自作においては大勢の統計的な評価に興味がない。
5. 自分で主催/企画/出品する場合、助成や協賛はとらず、自分で稼いだお金だけでやる。
  理由1:誰にも何も言われず好きなことをやりたい。
  理由2:企画を固めてから作品を作るのはやりにくい。
  理由3:そもそも制作段階では社会的意義を意識していないので必然性がない。
  ※他人との共作の場合は例外。
  ※興業として成立する発表形態の場合の入場料収入などは例外。
6. 自分で主催/企画/出品する場合、採算が合わなくてもやる(だいたい合わない)。
  ※ただし赤字は分割返済が現実的な程度(100万円はなるべく超えない)。
7. 他人の主催/企画でも、自由にさせてもらるか趣旨に賛同できれば採算が合わなくてもやる。
  ※ ただし、企画にある程度予算がついているのに無報酬前提で出品依頼してくるやつはムカつく。
  ※ あと本当に自由にさせてもらえた試しはない。
8. 撮影や設営など、仕事として外注さんに依頼した場合は当然対価を支払う。
  ※ 安くしてもらったり、分割にしてもらうことは多い(申し訳ない)。
  ※ その代りお金になる案件があれば仕事を振る。だからいい仕事をもらえるように制作以外も頑張る。
9. ボランティアや有志で手伝ってもらった場合、少なくても交通費以上の謝礼は渡す。
10. 基本的に貸画廊(レンタルを主体とした画廊=ギャラリー)は使わない。
   ※ 良心的なオルタナティブスペースや、空物件などは除く。
   ※ その貸画廊の運営方針により例外は有り。


まだ追加できそうですが、考えていることの2/3以上は記載できているかなと思います。
ということで、次回までに「自分が企画をして人に出品/参加してもらう立場編」もまとめてみます。

先週末から本日朝まで水戸、東京、舞浜、仙台、南三陸に遠征していた。
今月は2回に分けて、旅を通じて考えたことを記す。


水戸


水戸に行ったのは、水戸芸術館で開催中の『3・11とアーティスト: 進行形の記録』が目当て。
震災に関連した現代美術の展示をまとめて観ることができる機会は、全国的に見て今回が初めてのはず。
高山明さんの『国民投票プロジェクト』は話には聞いていたけれど実際に観るのは初めてで、
それだけで収穫だったが、その他ほとんどの作品は自分にとって発見のあるものでなかった。


その大きな要因となっているのは、ほとんどのアーティストが震災自体を批判できていないからだ。
それが芸術が持つすべての役割とは言わないけれど、期待していたのは「震災後の日常、又は震災自体への新しい解釈、視点」であり、
アーティストであることを放棄した人のドキュメントではない。
一人の人間として、被災地を支援するのはかまわない。ただし、それを美術館に持ち込むアーティストを本来評価してはいけない。


またポジティブな表現を通して、震災と向き合うアーティストたちは誠実にそれまでのスタンスを貫いているのだろうけれど、
迷いを振り切って、世の中を斜めから見る視点で震災さえも批評する。変容する非日常と日常の関係性を捉える。
そうして本質を捉え、閉塞を崩していくことが、今アーティストにしかできない仕事ではないだろうか。
今のところその気概を感じる作品にはほとんど出会っていない。


東京/舞浜


東京では、一緒にドキュメンタリー映画を制作している演出家/映像作家 村川拓也さんの演劇作品『言葉』を観賞する。
感想は本人に伝えたので省略するが、完成された作品ではないものの、
フォーカスの仕方に独自性があって前述した気概のようなものは感じた。
高山明さんの新作も観たかったが、その日がたまたま休みだった。


舞浜には震災の爪痕をリサーチするために訪れた。
今までのリサーチは、南三陸や石巻など原型が残っていないような町だったが、
舞浜はそれらの地域よりも被害が小さく、震災から時間が経過していたせいで、すでに影響がわかりにくくなっていた。
液状化現象で地盤沈下の被害を受け、特に東京ディズニーリゾートの駐車場などが、
ニュースで頻繁に取り上げられていた地域だが、大きな道路の復旧が終わっていたり、
地盤沈下の領域が広域に点在しているせいで、
痕跡を探さなくてはいけない(あくまで目で確認できる被害がわかりにくいという意味)。
タクシーの運転手に案内してもらったのだが、
運転手は「浦安はディズニーランドがあって景気がよく見えるから悲惨だ」と言っていた。


2/2は仙台と南三陸のことを記載予定。
下記写真は南三陸にて撮影。


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さて近況報告です、9月より東山に事務所を持ちました。
名前はUNGLOBAL STUDIO KYOTOです。
最近は映像編集を手掛けたりと、制作においてもデスクトップワークが多くなってきたので、
制作から仕事にしているデザイン関係のクライアントワークまでここを拠点にしていきます。
オフィスを持つなんて身の丈に合っていないのですが、
自宅では絶対に仕事できないタイプなので、多少無理をしました。
非常に静かで、集中できる環境です。


屋号を考えるのに苦戦して、自分の名前をつけたりも途中考えたのですが、
ちゃんとダイレクトにステートメントを反映した名前にしたところ、
屋号の話から、活動のステートメントの話に自然に会話がつながっていくので、
よかったなと思います。作品のタイトルをつけるよりも悩みました。


先ほど「制作から仕事」といいましたが、制作も仕事やと考えないかんなぁとつくづく。
ちゃんと事業の売り上げとして計上しますし。事業の内容にも書きましたし。
まあ赤なんですけど...。八月は個人事業届け出したり、始めてのことをたくさんしました。


物件のリフォームも始めてです。
床だけなのですが、"わっしょい"でお馴染みAntennaの市村さんに施工をお願いし、
もてそうなおしゃれオフィスにしていただきました。
物件はHAPS(東山アーティスツ・プレイスメント・サービス)に紹介していただきました。HAPSとは超ご近所さんです。
改装の様子を撮影した写真を数枚掲載します。


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写真たくさんあるので、「スタイロをかます市村さん→床板を張る市村さん→水筒の水を飲む市村さん→塗装をする市村さん」
でブログリレー4週くらいいけるんちゃうかなと思ったのですが、やめときます。
非常に仕事が早かったですし、皆さんリフォームのご要望は市村工務店まで。



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