
川北です。
季節がまた変わりました。
蛇や蛙が出てきました。
夜に土手を走る時は無数の虫とすれ違います。
今日は五月なのに一日寒かったです。
五月は特に好きな月です。薫風が好きですが、最近の風は強すぎますね。
月と言えば、最近友人と交わした会話で月の明かりは明日の太陽の光かな。
という会話がありました。昨日か明日だったら明日の方が良い気がします。
6月1日から京都で個展が始まります。
京都のギャラリーで個展するのは立体ギャラリー射手座での2007年の個展以来です。
京都で個展できることがとてもうれしいです。
はるか遠くのつぶ
6月1日(金)から6月30日(土)
開廊日時: 金・土・日 12:00-18:00
レセプション: 6月2日(土)18:00-20:00
eN arts 京都市東山区祇園町北側 円山公園内八坂神社北側
タイトルについて補足すると、
近くにも遠くにも存在するこの世界のディティールや肌理、
何の単位とも計り知れないような、世界を構成している細部について。
そしてそれを認識しようとする姿勢についてです。
近くのもの(環境、自然、人間であったり、目の前の現実)を、捉えられているようで、捉えられていないこと。それは遠くのものをも捉えられないような。近くも遠くも、全て地続きで、世界には途切れているところがなくその細部はどこも同じように構成されていることを確認したいのです。
それがなんであるかは分からないし、そして分かりようのないものです。以前から思考にあったことではあるのですが、最近特に焦点の定まらない目の前に見えているものを認識したいという気持ちが強くなっています。
そのような事を考えながら向き合った画面を展示します。
まだまだ、、、とても追い込みなので今日もこの辺りで。。
展示する予定の作品のディティールです。

お越しいただけたらうれしいです。
川北ゆう

季節が少し春めいてきました。
1年がとても短く感じます。
時間とは本当に流れ去って行くものだと、とても実感しています。
記憶と時間とは、ほんとうに密接です。
記憶とは、断片的でそれを繋げたときに少なからず自分の意志が入り込み、
時間が経つほどにその記憶も朧げになってきてしまいます。
朧げな記憶とは、とても郷愁な響きですが縋っていてはだめなものだと最近気付きました。
その点、時間とは自分の意志に関係なく、当たり前に流れていくもので、
立ち止まることができないものです。
このひとつしかない時間の中に如何に自分自身の軸を持つかが最近の課題です。
私が参加しました、αMでの企画「成層圏」が3月の展示で終わります。
その締めくくりにシンポジウムが開催されます。
「成層/断層:再起動する美術」
パネリスト:高橋瑞木、鈴木勝雄、田中正之、中井康之(国立国際美術館)
2012年3月24日(土)17時~19時 予約不要
場所はギャラリーαMです、よかったらご参加下さい。
最後に告知しておきます。
今年は6月に久々に京都で個展をします。
昨年夏の展示がまた手をつなぎました。
6月に展示する事はあまりなかったような気がするのですが、
春の陽気に誘われないようにしたいです。
でも桜は見て歩きたいです。
なにより、水が冷たくない季節になる事が嬉しいです。
また春夏秋冬が来ますね。
でも、まだまだ、寒い日もありますのでみなさん、お身体ご自愛下さい。
そのほか詳しく決まり次第スケジュールのところに投稿します。
2012年になりました。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
河原を歩いていると、もう新芽が息吹はじめ、虫もすこしいました。
ある忘年会で、2011年を色で例えるなら何色?という質問を受けました。
私はグレーです。と答えました。
この年は個人的に沢山のことがあり、それが混ざりすぎていました。
でもきっとそれは濁って汚い色ではなく、
遠くの山が透明のグレーに見えるような、そんな色です。
と答えました。
私はそう言ったあとに、それは理想やなと思いました。
画面に使うグレーもそんな理想を含めているような気がします。
今年いちねん、またこの質問を年末に自分自身に問いたいと思います。
河原の写真などです。
夜の川は、水中を見る事を拒みます。
でも突き放す事無く、暖かいものです。
川を通る度にそんなことを考えているわけではないですが、
必要なときにあらわれるのが人の思考の不思議なところですね。
すっかり秋になり、今日はすこし寒い一日でした。
つい最近まで半袖で外には蚊がいたのに、季節とは不思議なものです。
寒い外から家に帰ってきてほっこり、床で寝てしまうことも多々あります。
今年も、どこかに紅葉を見に行けたら良いなと思いますが、
どの季節になにかしたい、どこか行きたいと思っても、
気付いた頃にはもう次の次の季節になっていたりしますね。
わたしは新しく始めたことがあり、毎日そのことで頭がいっぱいで、
なかなか新鮮な日々を送っています。
そんなこんなで10月のブログをお休みしてしまいごめんなさい。。
そんな中でもアトリエに行って手を動かす日々に変わりはないのですが、
効率よく動こうとするとできるものだなぁと楽観的に考えたりしています。
しかし、制作に対して頭が停止する時間が長かったりすると、焦点が定まらないようになったり、
なにか見失いそうになってしまう自分がいて弱いなと実感しています。
年内にしたいことが多々あります。
最近制作していたものを、11/12から旧尼崎警察署で開催するグループ展で発表します。
とても独特な空間で地下には留置所などもあり、そこで展示する方も数人いらっしゃいますが、
私は2階の元事務所のような部屋で展示します。
ここは使える電力が限られており、開催時間が平日は16時までで土日は17時までです。
私が展示する部屋はまったく電気が通っていないので、
自然光を出来るだけ生かし、小作品を数点展示しています。
太陽が出ている時間にお越し頂く事をおすすめします。
また京都のアンテルームというホテルでのグループ展に作品1点参加しています。
こちら会期は11/11から11/30までです。
ホテルに入ってすぐにギャラリーのようなスペースがあります。
すてきなほてるでした。
詳しくはスケジュールのところでお知らせします。
川北ゆう
今展覧会ふたつ開催中です。
アートコートギャラリーでの展示はもうすぐ終わります。
自然光が入るところの細長い作品の他にも受付の所にも小作品2作展示しています。
最終日は17日です。
ここ数日、色んな事が起こりすぎて考えすぎて、今ポカーンとしてしまっています。
稲花粉でしょうか、鼻がおかしいです。食欲も止まりません。
夜は秋の虫が鳴いていますね。
最近は展覧会前に出来なかったことをしたりしています。
友人のために針仕事を夜中までしています。
花をオーガンジーで50個くらい作っています。これがとても楽しいのです。
このせいでか、目が見えにくいです。
そしてまたアトリエで手を動かし始めています。
展示中のものについて書きたい事がたくさんあるのですが、
今は言葉にするのは難しいです。
私の手垢がついたものが大阪と東京で頑張っています。
どちらも見て頂いた方いらっしゃるか分かりませんが、
それぞれ違う顔が見えます。
是非お越し下さい。
東京には1週間ほど展示作業で滞在していました。
ほぼ毎日ギャラリーαMにいって、そこで色んな事がありました。
普段のこぎりで指を切る事なんて無いのに指を切ったり、それはどうでも良い事ですが。
さようならの寸前の展覧会に関わった方々との会話はとても大事なものです。
今回、アトリエで一緒に過ごしていた作品が借りてきた猫の様で
私の手元から離れていくような感覚を味わいました。
それはこれまでの経験にはなく、きっと良いことです。
このことについても色々話したいのですが、展覧会中なのでまた。
下の写真はメインの部屋ではない奥まった所に掛けている作品です。
とても気に入っているのですが、細部が写っていません、、

こちらは10月8日までです。
投稿おくれてごめんなさい。。
ここ数日暑いですね。
京都の園部というところ、38度だったらしいです。
私はまもなく始まる2つの展覧会のために制作中です。
ひとつは大阪アートコートギャラリーで、8/19から。
もうひとつは東京のギャラリーαMで、9/3からです。
どうぞご高覧下さい。
詳しくは私のスケジュールのところからご覧下さい。
今制作中なのは東京での展覧会への作品です。
この制作の流れが自分の中で面白くて、思考がループしているのがよく分かります。
面白いと言えるのは今だからで、途中段階では苦しいものでした。
(まだ制作中ですが)
それは結論のない思考のループです。
思考がループするということは少しネガティブなようですが、
それが良くも悪くも私にとって一つの特徴でもあるのだろうかと思っています。
なにかを完結させることが私の目的でもないので、私にとっては先を展望することも意味の無い事だとたまに思うのです。
眺めが良ければ、何かに悩みそれを動機とする事ができないのではないでしょうか。
何かが見えかけたと思っても、また違う何かを発見してしまう。
また一度見た同じものも、同じものと認識するけれど、そのものの僅かな差異についても実感できていると思う時がある。
それは私に備わっている思考の範囲内でのことであり、
未完である事、見えない事、分からない事が無ければ、この世界を認識したいと思わなくなるでしょう。
また分かりすぎても、見えすぎても、この世界を認識したいと思わなくなるでしょう。
人は何かを捉えたいと思うけれど、捉えられないように出来ているのでしょうか。
同じような出来事がこの世界には点在しています。
そのどの部分を抽出したとしても、もっと見なければならないし、もっと動かなければならない。
そこでループしたとしても、変化がない事にはならないと信じています。
とても抽象的な表現ですが、最近そんなことばかり考えています。
京都も梅雨があけました。
今年は早かったです。
いつもは祇園祭の最後のあたりにあけていた気がします。
わたしは生まれも育ちも京都市、亀岡市ですが、祇園祭に出かけた事がありません。また、いつかと思うばかりで、行けていません。
でも、毎年貴船神社である水祭りに七夕の日に行っています。
今年は雨でしたが帰り道にホタルを見る事ができました。
遠いですが、毎年貴船神社で短冊を書かせて頂かないと、なんとなく不安になってしまいます。
駅から30分くらい歩きますが、その間になにをお願いするか、この一年がどうだったかを振り返ります。
保津川下りという、亀岡の観光もしたことがありません。
アトリエに行く途中、保津川を越えるのですが、今日も水かさが増えた川を船が下っていきました。
わたしは大橋ではなく、やや下流の欄干の無い橋を原付で渡ります。その下を船が抜けていきます。
その橋は車が一台分通れる幅で、コンクリート造りの一見コンクリートの長い廊下みたいな感じです。
なぜ、危ないのに欄干が無いかを以前調べたら、川の水量が増えた際に川の水が橋を越えやすくするためのようでした。
また橋が潰れにくくなるみたいです。
橋に、強い水圧がかかるより、橋を水が越えやすくするために欄干をなくした方がいいということでしょうか。
実際、梅雨の時期はその欄干の無い橋は通行止めで後日通ると橋の上や脇に無数の枝やおおきい丸太が詰まっています。
水中に橋が入ってしまうということです。見た事はありませんが。
水量が増えた川は、色も勢いも見ていて飽きないです。
それがまた澄んだ色の穏やかな流れに落ち着いていくのが普通の事なのですが、なぜが感謝のような感心のような念にかられます。