アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

思えばずっとこまごま忙しい日々が続いていました。
数日前から喉がとても痛くなり微熱が続き、風邪かな~と思っていたのが、ふとあごの下の左右に手をあてるとぽっこり腫れている。これはもしや懐かしの?
そう、扁桃腺でした。扁桃腺が腫れるのは子供のころのものと思っていたのに大人でもなるんですね。
お薬をもらいにいって、ちょっと一安心です。


忙しくとも自分が楽しくリラックスできる状態を持続できるといいのですが、自分の修復時間も必要な時もありますね。自分にとってその方法は何と言っても他の人のクリエイションに触れるということ。
美しい文章、デザイン物、他、どんな分野でも構いません。---もちろん仕事を通じてそれに触れることのできる幸せなときもあります。重要なのはそこに含まれる態度と、感性だなぁと思います。


さて、先日はMOVINGというイベントに参加させて頂きました。
映像を通じてさまざまな感性を共有するだけでなく、作家たち自身が企画・運営したこのイベントに、とても重要な可能性を感じています。もちろん運営委員の方々はほんとうにお疲れだったと思います。準備もさることながら、なにせART FAIRではみずから売り子もし、京都シネマではトークの司会をし、と期間中フルタイムであっちこっち飛び回って下さったのですから。ほんとすみずみまでD.I.Y.でしたね!ご来場の方々にもよろこんでもらえたのでは、と思います。
また、この場をかりまして、京都シネマやKYOTO ART FAIRにご来場下さったみなさまにもお礼を申し上げます。ありがとうございました。


わたしたちには自分を売り込む場というよりも、人と何かを分かち合う場が必要かと思います。
深度と強度のある、そしてリラックスした関係を築くことが出来たらと願っています。
そう、思考が冴え渡るようなあらゆる意味でのリラックスのためのクリエイション。それが本望だなぁ、と思う私です。
そういえば今日はTシャツを1枚買いました。ところどころ手縫いの箇所があるのと染め方が気に入りました。これを着る楽しみはリラックスにほかならないなぁと思いました。
なんだか、わかるような? わからないような? 日記になってしまいましたね。


ではまた。

 そわそわとした日々を過ごし、初夏がやってきました。今年の夏からは何かライフスタイルを見直してみよう、とか、みなさんもちょっとずつ考えたりされていることと思います。
 目先のことで必死になってしまうことが、今のように中心がぐらぐらしたような状況を作り出してしまったとすれば、自分たちもそれに大きく加担してきたことを認めざるを得ません。
 ここはひとつ過去から未来まで大きな時間の流れを見つめ、一つ一つのことのあり方についてまさに現在、丁寧に接していかねばと思っています。



 さて、この度、京都シネマで作品上映をしていただけることになりました。
映画好きの私にとってはとてもうれしい機会であり、またとないことかもしれませんので、ぜひご覧頂ければと思います。


 2つ前の日記で水野勝規さんも書いて下さっていましたが、"MOMING"という企画です。この&ARTのフィールドが主催です。


 参加作家9名〈かなもりゆうこ、トーチカ、林勇気、平川祐樹、松本力、水野勝規、宮永亮、村川拓也、八木良太(敬称略)〉のオムニバス作品を〈5/20(金)19時~/5/21(土)11時~/5/22(日)11時~〉の3回上映します。
 私は「トショモノ」という作品を収録。これは昨年、映像インスタレーションとして発表したものの再編です。タイトルの「トショモノ」は「図書もの」「図書系のもの」「図書物語」から考えたノタリコンです。書籍、文字、物語、はたまた映像、と私たち自身を形成するメディアへの思いを主人公の暮しと重ねながら見つめた映像小品です。


 京都シネマは言わずと知れた京都を代表するミニシアターで、その前身的存在の朝日シネマ時代から私自身もよく通いました。映画をひとりで観たあと、いろいろのイメージと示唆を思いめぐらせながら夜道をてくてく歩いて帰ると、いつもあっという間に家に着いているのでした。ここでたくさんの映画を観せていただきましたし、この数日中に観ようと「ゴダール・ソシアリスム」の前売券も入手しましたよ。
 ある面、映画によって形づくられてきた私ですので、お気に入りの映画館での上映の機会に心から感謝しています。


 また同期間、京都シネマからほど近いホテルモントレー京都で開催する"アートフェア京都2011"で&ARTブースを構え、この9名のオムニバスDVDを限定200枚/アートフェア京都限定で販売します。


 映像を見るための規格やサービスは多様化と変化の中にありますが、映像を観る喜びを享受する方々がこれからも、映像から大切なものを受け取れますよう、切に願っています。


それでは、みなさまさわやかな良い季節をお過ごし下さい。


(写真:チケットと、「トショモノ」用ドローイングブックと。じつは赤い本は「中国女(LA CHINOISE)」のパンフなのです、ここだけの話。。。)

toshimono_sketch.JPG

 人生は無知との戦いだなぁ、、、
これはいつも思ってきたことなのだけど、
今、はっきりと意識するのは、
 記憶の忘却との戦いでもある、、、
ということ。


震災のことも原発のことも関心を向け続けること。
このようなカタストロフィが自分にも起こりうるものとして被災者のことを思い、原発はいらない、と年を経ても言える自分であること。


ここひと月のいろんなことを見てもずいぶんとおかしく狂った世の中だから。
魂をけがれなく保つことが大事。自分のまわりにはそんな人たちはけっこうたくさん居ると思うのに。
でも私たちそんなにひどくマイノリティだったのね(開票結果に幻滅〜)、ということを思い知りました。
ものごとに対して少しでも"考える"ことが出来れば、こんなことにはならないだろうと。


やっぱり無知はいけませんね。
知性が大事。ちゃんと見据えて選んで、語る。ひどいことを指摘できるのは知性です。
知らなければよかったことも、知らないと。
私も無知なりにちゃんと勉強しつづけたいと思います。
そして落ち着いた頃にぼけてしまわないよう、忘れずにいたいと思います。
いろんなことが変わるには時間が掛かると思いますので。(やっぱり私たちは小数派だったから)
だから特に"忘れぬように"ということを思ったわけです。。。


(--家族や生活がいつも通りであることに感謝しながら)

みなさまも同様と思いますが、心が揺れる毎日です。
関西にいる私たちが出来ることは少ないです。でも少しはやれる。少ない効果かもしれないけど、節電、ものを買いしめないなども。
それからやるべきことはあるかもしれない。これは自戒の念も込めて。冷静に自分の日常を維持し、仕事や勉強に取り組むこと。メディアに関わる自分は、多くの情報の間のスリットを指摘できるようにすることも大事だと思っている。情報は編集され、そのため遅延し、映像はかなりまびかれています。ものを作っている私たちはそれを嫌というほど知っているはずです。



ほとんど役に立たないことは知っていますが、いま展示中の自作のプロット的なテキストを載せておきます。
本に関する作品ですが、当然メディアというものについても考えたものであり、情報との接し方について多くの方向性を持つべきということを思っています。


【plot】
〈Alphabet of Acanthus(アルファベータ オブ アカンサス)〉
 ~ひとつの架空の詩編の中


並行世界などというものは本の中でしか見たことがなかった。
影の中の世界はずっと古い昔からあったものの、もはや紙の上にしか姿を留めておらず、それを語る謎めいた文字を翻訳することは、あらたな謎かけをうながしてくる。


もとめるところへは空気が導いてくれる。ある冬の日の散歩では、古代からの池のほとりで、不動の静寂に包まれながら森の意識を感じた。
手渡されたものは、言葉。か、なにか。
ふと、持っていた本の中に何かの名が言及されていないか探すが、美辞麗句以外めったにはふれていなかった。
自分の部屋にはもう一つ別の層があるようにときおり感じるのだが、もしかしたら封印が施されているのかもしれない。
ペンを取り、奥にひそむものを明らかにしていく。
本を書物の列へ差し入れながら、その隙間にある巨大な空白を見つめた。


相手はふりかえった。
言葉を目にすると、心が変化する。そう言って本をめくる。風をおこす。
気持ちで時を貫いてその人のことを見ていると、風に押されて外へ転がり出た。
古い扉は、固く閉ざされている。目も耳も思考も存在しないようだった。
室内に戻ると香りが現れ出た。しるしは謎であった。ようやくそれが語り出したのは、ずいぶんと長い間それを眺めた後だった。
呪文が空白の心に流れ込み、手は語り出す。華麗な比喩以外のことを。
小刀は紐解く。古い紙片を。


それは、葉あざみやいろいろな形を組み合せたり、ばらばらにしたりできる。
夜の夢の中で、誰かがこの文字の本当の名前を知らせて来た。
 Alphabet in Shadow・・・Alphabet of Acanthus・・・
声に出そうとしたが、言わずにそのまま喉に押しもどしておく。
黙読が記憶を紙に封じ込め、それを忘れさせることは、封印のひとつの正体である。


ときに、森がいろいろな忘れものを見せてくれることがある。



以下は紹介用のムービーですが。。。

タイトルは〈Alphabet of Acanthus(アルファベータ オブ アカンサス)〉 。
音楽はmama!milkさん。
2人の出演者の小さなパラレルワールド。
アカンサスというのは葉あざみのことで、Alphabet of Acanthusは架空のアカンサス文字。


日常で出来ること、仕事を通じて出来ることを模索しつつ。

umi.jpg


京都に住んで長いですが、じつは瀬戸内そだち。
そう、小学校の校歌こんなでした(他の校歌は全部忘れたけどなぜか最初の小学校のだけ覚えています)。
 呼べばこたえる淡路島  船の行き交う海峡が  世界の海につづくのだ ・・・
須磨から垂水にかけてがやはり一番なつかしくて好きですが、年末の寒いとき、思いがけず須磨を訪れました。
神戸の町中で待ち合わせをして写真を撮っていたのだけれど「やっぱり海へ!」とスピード移動。
髪の毛が逆立つくらい突風でしたけど、あの寒さは映らないんだナ。
子供にしか出せない感じ。ほんとに好きだと思います。
 ざわざわする焦燥感と永遠に続くかのような半人前の身分て、ドキドキ。
 (て、あれ? 今もあんまり変わらないか? そんなことではダメですか、、、汗)
グループ展のDMイメージのためにいろんな場所でいくつか写真を撮ったのですが、これも最後まで候補だったものです。
(今回はDM用の撮影とデザインも私担当〜)
撮影小物はチェコ語のポーの本。読めないんですけど美書好きの装丁買い。
天だけの小口染め、洋書にはわりとあるようです。ゴシックな推理小説に似合うブルーグレーで冷やりとしたデザイン。表紙には「アーサー・ゴードン・ピムの物語」みたいに記してありまして(A.G.PYMA というふうにあるので)、「モルグ街の殺人事件」「黄金虫」なども入っているもようです。


DMに実際に使われたイメージと展覧会の詳細は展示・イベント情報欄でどうぞ。
「ほんをさがして Looking for a Book」という展覧会。
私のは新しい小品映像にmama!milkさんの音を付けて展示上映します。これは素敵。。。うれしコラボ。
これから編集ですが(また汗)、どうぞよろしくお願いします。m(._.)m



「ほんをさがして Looking for a Book」
 福岡道雄、藤本由紀夫、かなもりゆうこ、森末由美子、柴田精一
 2011年2月28日(月)―3月26日(土)  ギャラリーほそかわ

あけましておめでとうございます。


近ごろ私は本にまつわる関わりごとが多いですが、今年もまず初めに本についての小品を作ることになりそうです。
本のことはときおりの興味にまかせて調べたりしますが、今もまたあいまあいまに思索しています。(電子書籍元年の年を越しましたね。。。)
ところで、書物への愛着の深みを思うとき、私はまずウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を思い浮かべます。この小説の間テクスト性はおそらくすごいものですが、だからと言って難解と身構える必要はなく、その方法は"作品を楽しむ"ことへ新たな形で回帰しています。その大らかさには敬愛をおぼえます。作品とは知と感覚の扉を開くための、鑑賞者への純粋ギフトです。


書物を敬う気持ちは、文字の歴史と同じくらい古いもので、それはまた記憶保存の考えとも関わりがあります。
つぎつぎと変わってゆく記録媒体の寿命のあまりのはかなさについては聞き飽きた感もあり、本や映画が好きな私は逆にニンマリとしてしまいます。
燃えやすい素材でできた紙の書物やフィルムは今まで既に幾度となくふるいにかけられて来たし、それでもやはりこれらは実体メディアとして完全であり、新しい記録媒体がすぐに時代遅れになるかもしれないというリスクがあるかぎり新たに生まれてくるメディアはこれに追随するしかないのです。
しかし私たちが望もうが望むまいが、新しい道具や媒体によって思考の習慣を書き直され続けていることも確かなことです。コンピュータやソフトウェアもたびたび買いなおさなければならないし、デジタルカメラだって導入せねばなりません。
世界との接し方さえ変わってくるというわけです。
でもやはり本はメディアの原形なのです。


これは先週撮った写真です。(作品用ではありませんが)
デジカメの良さは撮ったものを一緒に見て被写体とコミュニケーションをとりながら撮影できるところですね。

books1.jpg
books2.jpg

今年もどうもお世話になりました。
早いもので今年ももう暮れ、先日は&artのみなさんに忘年会でお会い出来て光栄でした。
なんだかブログ皆勤賞というのも頂き、ありがとうございます。よく気の効くなかもとさんのさすがのセレクションでmama!milkさんのCD「Parade」をプレゼントして頂きましたが、ほんととっても素敵で良くってお気に入りになりました!


ところで皆勤というのはきっとちょっと職業病でして、普段デザインのお仕事なんかをしていますとどうしても原稿を待つ側になりますが、やっぱりなかなか遅れたり来なかったりするわけで、そうすると納期は変わらなくって全部の予定のひずみをデザイナーが全て吸収~!なんてことに当然なるわけです。そんなこんなな目にあっていると、「わたしが原稿を依頼されるときはぜ~ったいに落としたり遅れたりしないぞ~っ!」とひしと心に誓うわけで、もう反射的に原稿作成してしまうという心哀しき病。
あ、でも気楽に書かせて頂いてるから、ていうのもありますけど。文責がどうのとかクオリティがどうしてもってことになるとやっぱりちょっとやそっとでは蔵から出せないことになるんでしょうね~。


どうしても視覚方面の感覚がつよく顕著なので、言葉の方は逆に気をつけないといけないくらいおろそかになってしまいます。言葉による思考や記憶にはちょっと劣等感がある方かもしれません。でも文字や本を読むのは結構すきなのですが。。。
最近読んだ本で面白くておすすめなのはー、
 『良心の領界』(スーザン・ソンタグ)
 『クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生』(クリスチャン・ボルタンスキー)
 『日本語を書く部屋』(リービ英雄)
 『浦島草』(大庭みな子)
などです。古いのとかいろいろ入り乱れてるので読んだ方もいらっしゃると思いますが。
挫折した"負け読書"もありました。
 『グラモフォン・フィルム・タイプライター』(フリードリヒ・キットラー)
もう、こんなん(メディアのこととか)どうでもええわ、と負け惜しみで思いました(苦笑)。
ポスト・マクルーハンとかいうことで読んだんですが、文字好きの私にとってマクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』とかやっぱりすごくおもしろい。けど、、、キットラーは読んでもちょっと入ってこなかった。。。
また負けたなりに「翻訳」というものの領域についても考えさせられました(訳書だったので/とこれも負け惜しみかナ?笑)。
そう、全く日本人の血が入っていないのに日本語で書くリービ英雄さんの本も同時に読んでたから余計にでしょうか。


もちろん視覚の方も(こっちはもう無意識なくらいに)使っています。散歩もしますけど、こうなるともう歩くカメラアイで、、、だいたいまずはちゃんとしたカメラやビデオカメラは持ち歩かず、出来るだけ自分の肉眼で見るのが好きです。普段はフレーミングしすぎずにおいて、視界と目や頭や体の動きの関係で移り変わるものを見るが好きなんだと思います。
散歩、最近は「池」ですかね。家から近いだけなんですが、宝ケ池と深泥池をよく散歩します。


これはiphoneのカメラでちょこっと撮ってますが。
↓宝ケ池周辺。京都の散歩道の整備・手の入れ方は絶妙だと思います。作り込み過ぎない。

takaragaike.jpg


↓こちらは深泥池。自然保護区だから当然なんですけど、水辺ぎりぎりを決して歩きやすくないけど歩ける、その具合のセンスが好きです。

midorogaike.jpg


それでは、初冬の日々をラフな文章のブログで綴らせて頂き、ゆるり年を越そうかと思います。
来年もまたどうぞよろしくお願いします。
みなさまどうぞ良いお年をお迎え下さい。


このページの一番上へ