アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

みなさんのアトリエ事情はいかがでしょうか。
きっと素敵なアトリエを持っていらっしゃる方もいて、それはたいそう憧れます。。。
わたしもいっときは倉庫的・アトリエ的なものを持ってたのですが、維持が困難になり手放しました。
ものを作ることをしていながら物に押しつぶされるのは苦しく、必要な物を必要なだけ周りに置くのがほっとします。
しかし制作ということになると、やはりスペースは必要となり、場合によって京都芸術センターの制作室などを使用しています。
もちろん申請して、通らなければなりませんが。
今現在も芸術センターを使わせて頂いています。
ここを使い始めたのは、まだ芸術センターになる前のプレ事業として、アーティストにアトリエ貸ししていた時です。
そのとき、木内貴志さんもごいっしょでしたよね。
当時はすごくアットホームな雰囲気でゆるゆるしていました。夏はエアコン無し、冬は学校のあのでっかいストーブでしたが。
芸術センターになって10年経ちましたが、本当にここは素晴らしいと思います。
他府県にこんなもの(場所と制度)は無いです。ありがたく、感謝がたえません。
私は古い物を手入れしながら使うのも大好きですから、ここを大切に使いたいなと思っています。


古くて美しい小学校の教室で
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広くてありがたい。。。ひろげっぱなしのものたち
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近くのパン屋さんのランチボックスです
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 『シネマトグラフ覚書』(ロベール・ブレッソン/筑摩書房)は撮影現場での書きつけ。
 『稽古の言葉』(大野一雄/フィルムアート社)は稽古場での口述テープからの筆記。
私の好きなおぼえがきによる書物です。
これらのページを自分の手でめくり、その言葉を眼でなぞるのはすばらしい福音になります。
ところでこうした金言には程遠くても、私たちは普段けっこう思い浮かんだことをメモりますよね。
最近は携帯にメモする人が多いのかな? 私はがぜん手書き派です。
それにしても、じつに結構"メモ魔"の人って多い。
人のメモsetとか見ると「ふふ・・」と微笑ましく思ってしまいます。"メモらないと強迫症"の人。
RHODIAのメモ帳にPILOTのボールペンを携えてる女子なぞいれば私のツボですけど~(あれ、何の話でしたっけ?)。
男子ですか? 男子はだまってKOKUYO Campas B5罫線ノート。いえ嘘です。おしゃれなNote使ってる方も良いです。
Campas B5、こないだ女性の編集者さんが取材の時、お話しながらこれにざ~っとどんどんと書きつけてらして、それがまたカッコよかった。。。
見とれた。(取材中ですのに)
私はと言えば、出掛けるときはたくさん持ち歩くのは嫌なので、小さめのスケジュール帳の空きスペースが"備忘録"や"ひらめき降臨時(笑)の断想メモ"のスペースになります。荷物が重くならないよう手帳は小さめなので、ペンも細くてHI-TEC/0.4黒とPIGMA/0.05赤を愛用です。


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 手帳(3年おんなじもの)、仕事用ノートはA5(ピンクの)、家ではスケッチブック2種
 愛用ペンは手前からHI-TEC/0.4、PIGMA/0.05、STAEDTLERのゲル蛍光ペン(クレヨンみたいになっています)、PILOT/BP-P


で、"てちょう"つながり、の告知を。
『暮らしの手帖』8.9月号(7/25発売)の「暮らしの風景」というコーナーで、取材してもらいました。
書き手は林央子(はやし・なかこ)さん。
彼女が作っている『here and there』というインディペンデントの冊子が素敵でファンで、たまたまお会い出来た折に「好きです♡」とアタックしたら、ご一緒出来る機会を作って下さった。うれしい。。。
元祖・暮らし系の雑誌にふさわしいよう清く美しく掲載していただいてますので、どうぞご笑覧下さい。
や、ほんと「私で大丈夫?」な感じなんですが、そこは"編集マジック"ということで~。よろしくお願いします。

梅雨ですね。もぅ雨降ると家でごそごそしたり読書とかですね。


このごろ結構「ものがたり」好きです。
それはきっと、物語の力を借りてでも見通しを立てなくてはならないことが、自分にはたくさんあるからだと思う。
物語の力ってなんだろう。
やはり現実と物語を行き来させることで、さまざまなことを受け入れて消化していくことが大きいのだと思う。
ただのつくりごとが持つ大きな力。。。。そのことを近年、再認識している。


ものづくりをする動機は何ですか? という質問を、私たちは時折されるかと思います。
何かのクリエイションに触れて頂いたものを、自分も誰かにおかえししたい。
そんなことが結構大きいんじゃないかと思います。
何かを作りはじめた頃から、このことは私の中でわりとはっきりとしていました。
ループですね。。。


人は自分の意識と一緒に、他の人が発見したものを、自分なりに使う。
そうすることで「ここは自分とおそろいね」というループがまた次に繋がっていったりする。
ひとりだけのものではない知の意識が培われて、みがき上げられていく。
と、言葉で書くといとも簡単だけど、この脈絡をいつも把握しておくのはなかなかの達観。
思考中はいっぱいいっぱい、自己完成ごときにせいいっぱいですものね。


ところで、わたしたちは日常でややもすると負のループにからめとられそうになります。
ああ、やっぱりか、というようなこと、ありませんか。
たとえば、親の嫌いなところ、よ~く引いて考えると私も大なり小なり似ている。。。(ガ~ン)、とかね。笑
そんなとき、善悪を区別なく扱う「ものがたり」というものが効いてくる。
いろんなことを客観的に認めることが出来るようになり、不安や恐怖を受け入れることが出来るようになる。


で、何かと言うと。
クリエイション礼賛? ということで、
つらい時を生き抜いて行く為の具体的可能性がここにありますよ、なんて夢みたいなことは言いませんが、
なんかちょっと助けられる、
そういうやつです。。。
ときに、なんかちょっと、の積み重ねは異様に大事かもしれませんが~。


それでは今日はこれにて。

空想でいろんな図書館を思い描いたりする。
それは昔に漫画や小説で出会ったものときっとミックスされていたりする。
螺旋階段をぐるぐるとのぼりながら本が手に取れるようになっていたり、
地下へ地下へと降りてゆき、小さな洞穴がたくさんあって、そこが個人勉強室になっていたり、
はたまた鳥かごのようなドームで天窓から陽がそそぐ中で読書できるものであったりする。
少々ファンタジックではずかしい(!?)


しかし私はとても遅読である上、同じ本を何度も読んだりする(おりしも前出の足田メロウさんのおじいさまも「同じ本をなんども読んでいたのかもしれない」とのこと)。
日本語がとても好きで、たまには英語の勉強をしなきゃと参考書を開いてもすぐ飽きて和文に向かってしまう。
そんな私が何度も開く本の中に『ちくま日本文学全集 折口信夫』がある。


 心身共に、あらゆる制約で縛られて居る人間の、せめて一歩でも寛ぎたい、一あがきのゆとりでも開きたい、
 と言ふ解脱に対するしょうこうが、芸術の動機の一つだとすれば、異国・異郷に焦るる心持ちと似すぎる程に似て居る。
 過ぎ難い世を、少しでも善くしようと言ふのは、宗教や道徳の為事であつても、凡人の浄土は、
 今少し手近な処になければならなかつた。(「妣が国へ・常世へ」より)


この数行が刻まれたページに私は栞をする。ときおり、何度となく、読み直すために。
そして、この本の中で私がいつも一番に開くのは小説「死者の書」である。
方法論から自ら独学で仮説を立て作り出していくのが天才だが、これはまさにそういうものだと思う。
原稿用紙のマス目が透けて見えそうなほど丁寧に積み上げられた文章でありながら、読む人の気持ちをわしづかみにしていくような豊かで純粋な思いの魅力を備えている。
そして何より曼荼羅を無心に織り上げてゆく中将姫の様子に、ものを作る者として共鳴せずにはおけない。
制作や仕事をしていて、刀折れ矢尽きて朝が来てしまってもこれを思い出そうと思う(笑)。


基本的に独学者が好きである。DIYです。インディです。
誰にも頼まれてないことをやる。それはアーティストや研究者にとって大切な心意気の一つだと常々思っています。
図書の話からずれてしまいました。(まぁ、よいか)
そう言えば、むかし図書館にも勤めていたことがある。(でも趣味が高じてか映像資料担当でしたが)
今思うと図書館幻想を持ちながら夢うつつで仕事をしていたかもしれません。そんな図書館員、物語なら良いかもしれませんが困りものですよね。


それではまた。

寒暖いろいろの春ですね。
22℃くらいがちょうど良いという人もいますが、私は18℃くらいが好きかな。
それから曇り空も結構好きです。


歩くのと自転車では、歩く方が好きかな。


珈琲と紅茶では、珈琲のほうが好きかな。


ここから副題付けとくかな。
〈映画好きが通りますのでご注意〉(て、感じで?)


そう、私が好きなものの1つに映画があります。普段それほどたくさんのものを観れるわけではないのですが、好きな監督の作品は出来るだけおっかけて観ています。自分もものを作るので、作品性よりもどちらかというと作る際のプロセスなんかに興味がわき→作家惚れ→そして"おっかけ"という図式です。
そんな「一生ついていきます」な監督がさまざまテイストにわたり居るわけなのですが、真面目なところで敬愛するテオ・アンゲロプロス監督(ギリシャ)の映画のことを今日は書こうと思います。
というのも何故だか忙しかったからなのか、タイミングを逸して見逃していた作品があることに気付いたのです。2004年に作られた「エレニの旅」という映画です。
それでweb上でポチッとすると、すぐにポストにやって来ました。。。


戦争(内戦を含む)や難民経験の多い大陸の歴史を背負った映画ですから、またそれを個人の悲劇に重ねた神話的な叙事詩ですから、決して軽々しく観れるものではないのですが、ひとつの世紀が終わった時に歴史や政治を総括して、次の時代を模索するための示唆を持った映画なのです。(いえ本来、映画はそういう役割も多く担っているのですよね)
それと同時に、それまでの自分をその度ごとに捉え直していく、そういう作業をどの作家も作品毎に行っているわけですが、アンゲロプロスもまたそのたどり方に感銘を感じてしまう、私の中でそういう監督なのだと思います。


アンゲロプロスの作品はセリフも最小限で、象徴的なイメージを持って伝えていく映像美が非常に優れたものです。
私たちが旅行書などを見て思い描いている真っ青な空と地中海のギリシャとは違い、アンゲロプロスの映画ではいつもスモーキーな色合いの風景が広がります。水や霧といった物質がフィルムに封じ込められ、本当に美しいです。(お陽さまのある陰影や鮮やかな色の海なんてアンゲロプロスの映画の中ではほぼ見たことがないのです、、、)
そして、その長回し映像の作り込み方には感嘆してしまいます。広大な風景の中でロングショットのカメラがパンしていくと、次々と連鎖的に人々の絡む出来事が連続していく様が絵巻のように現れたり。。。
そのカメラワークには私も少なからず影響を受けているものの足下にも及ばなすぎて、きっと"アンゲロ・オマージュ"とは気付いてももらえないことでしょう~。


「エレニの旅」では実際に200戸もの家を立てて、その集落に俳優やスタッフが住んで撮影が進められていたり、集落が水没しているシーンをどうやって撮ったのかと思えば、湖の水が引いた短い期間に集落を作って撮影を進めていたそうです。CGはいっさい使わない画には本当に心を奪われます。ショットは生き物で、呼吸のようなもの、とアンゲロプロスは言います。まったく同感です。


さまざまなことを頭ではなく、肌で感じさせてくれる映画、というのがあります。
ブレッソン、タルコフスキー、ベルイマン etc. 亡くなった世界品質の巨匠たちに続いてテオ・アンゲロプロスはいます。
私たちクリエイターにも多大な影響を与える人として。


アンゲロプロスを連呼してしまいましたが、代名詞を使うのも私にとってははばかられてしまい、、、というゆえ。


ところで、今いちばん高齢の映画監督はマノエル・デ・オリヴィエラ(101歳)です。す、すごいですね。


今日は映画好きのつぶやきでした。
また機会があれば他の方のことも書いてみたいと思います。


長回しとパンと曇り空にカンパイ。この魔術がまた観れますように。



「エレニの旅」の冒頭のシーン
http://www.youtube.com/watch?v=MNOSISn1L1k&feature=related
メイキング
http://www.youtube.com/watch?v=FUTlANtiIs4&feature=player_embedded

もしもし もしもし 聞こえますか。
しばらく制作ひきこもりだったのを終えて、展示設営で大阪へ向かう京阪電車では、風景が良くなってきたらまずは ジム・オルークの "eureka" を聞くことにしてました。
寒かったり暖かかったりの日々、けっこういろんな花が咲き始めていてますね。
もしもし と話しかけてもらって、通常の世界にちょっとづつ戻ってきてました。



私の映像制作は、1人ヘアメイク、1人スタイリスト、1人大道具、小道具、衣装、、、という感じで。
1人撮影、1人編集、とつぎつぎ続くのですが。。。
もっと技術サポートしてくれるスタッフワークをしたいですが、夢ですか、今のところ。
櫛を片手にカメラ回すっていうのも何だかとは思うのですが、しかしそうなっちゃってます。

編集をしているとやはり1秒がとっても長い時間だとひしひし感じます。
その半分の15フレームくらいでもすごくたくさんの瞬間が詰まっています。
自ら全ての作業をすればこそ、そこの理解が深まるのだとも思うのですが。

次はパフォーマンスの作品を作りたいねと友人のダンサーの方と言っています。
発表のあてがあるわけではないんですが。まずは日々の営みとして作っていくのかなと。
1秒1秒の軌跡を大切にしたものを作って、親密な空間を作ってそれを上演できるといいなと思っています。



ところで自営業者のみなさん、確定申告は終わりましたか?
私は慌てふためいて今朝終えました。(で、安心してブログを書いてるというわけです)
計算機と格闘していると、もしもし なんてやわくなくしっかり浮き世に引き戻されました・笑


(写真)
 現在展示中の映像インスタレーション「物語トショモノ」からの1フレーム
 今回は編み込みもしましたが、一緒に編み込むのではなく後から紐通しで、デコレーション


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 撮ろうとしては髪をとかしに走る私が、昔からよくテープのはじっこに写っていました


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いろいろ作り込んだりして、創作物って大いなる嘘なんだけど、それはなにかほんとのことを教えてくれるため嘘なのかな?とか、自分のなかで駆け引きをしつつ進んでるんだろうなぁ、、、と思うのです。これも もしもし て感じで。

コホ、、、
いつの間にやらコホリ、とでも咳をすれば周りの人の見てるような見てないような無言の視線が感じられる、そんな世の中になっておりますね。。。私も喘息持ちなもので思わず咳が出る時もあって、「いえいえ、風邪とかインフルエンザじゃないんですよ~」と言い訳したくなる事がよくあります、、、


さておき。


原宿~from 京都。といっても裏原宿。
原宿の中では京都みたいなもんですかしら(いささいか乱暴なふりわけですが)。


たまには人の手伝いもするということで、スタッフ仕事。先日、山下残ダンス公演『せきをしてもひとり(It's just me coughing)』の映像オペに行って来ました。(2月8日・9日 VACANT にて)


『せきをしてもひとり』とは自由律俳句の漂泊の俳人・尾崎放哉の詩句から「ダンスによる戯曲化」を試みた作品で、タイトルも放哉の詩句の一つからつけられています。
「せき」=「呼吸」をダンスの通奏低音として、「詩を読解」⇆「詩を身体から吹き出す」。そんな作品です。


映像の内容は「すう」「はく」の10回の呼吸が1つの画面にテキストとして表されていて、全80シーンをダンサーの呼吸を読み取りながら切り替えていきます。(独特の間合いでゆるり流れているように見える作品なんですが、実はタイミングにものすごくシビアなので、ド緊張しますし、笑えるとこも結構あるので可笑しくなってふっ飛ばないように集中集中。。。)


自分で自作のパフォーマンスの操作をすることもありますが、演出しもってなのでどうしてもオペは極められないことが多くていつも反省。。。次の時はぜひに!と思います。


タイトルの英訳 "It's just me coughing" も「イッツ ジャスミー コフィン」と3つの音節のリズムが心地好くて「呼吸」を意識したものなのでした(訳者:セス・ヤーデンさんも京都から見に来てくれました)。


フーときれいに息を吐き切ると、自然と次に吸う息が入ってきます。
吸うよりも吐くこと。体の表よりも後ろ側が大事。などなど、いろいろ舞台人たちに教えられることも多いです。


ところで、自分自身も展覧会間近なのですが、まだ今週に撮影もたくさん残っているような状態で、、、
だから東京に滞在中も空き時間にはウィークリーマンションにこもってプランニングしていたりという感じでした。


今回の作品は『トショモノ』って言います。
図書系のもの、みたいなノタリコンです。
大阪・難波のGallery Hosokawaにて3月に展示します。


写真は撮影しているところ。。。



1人こもっての制作もあれば、私の場合、周りでスタッフをしてくれる人がかなり心の支えに。
今回も映像の出演者の大原千晶さんとか(彼女のことも長年ずっと撮っています)、本やデザインワークのパートナー納谷衣美さんとか、設営のスタッフをやってくれる彫刻家の築山有城さんとか。
だから私の場合、せきをしてもひとり、ではないなぁ、、、


では。まだ寒さ厳しいですが、みなさまも暖かい春が迎えられますように。


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