
今月の引用句:「はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る」(石川啄木)
・・・と冒頭から一握の砂の引用です。
夏なのに、しみったれててスイマセン。
木内です。
政界ではこのところ、「政治と金の問題」なんて言葉をちょこちょこ耳にしますが、僕はマサハルとキンには特に一過言あるわけではありません。
ただ、「ゼージとカネ」となると、話は別。
特に「カネ」に関しては、常日頃から、もっと何とかならんもんやろか〜と苦しんでる次第です。
そして、最近では「アートと金」を結びつけた著書なんかも目立ってきていて、
「お金じゃないのよ、芸術は!」という安いロマンや陶酔をぶっ潰す!
的な現実的で経済的な物言いを、あたかも封印されてた何かを解くかのごとく説く人たちが溢れてきてる、と感じたりしてますが、皆様はいかがお考えでしょうか?
そんな中、私も美術界とお金の関係を、自身が見聞きした経験と独自の理論で解いて、今後のアーティストを貧困から救うべくの指南書をば書き上げ、発売し、夢の印税生活でウハウハウハーッ!
・・・なんて思った所で、よく考えたら「売れない・食えない・黒字ない!」の3拍子そろった場末の自称芸術家。
作品で飯、美術で飯、美術飯などはおろか、作品自体が売れた経験もかなり少なく、それ以外の収入(著作物の売り上げ、講演会のギャラ、入場料、スポンサーやパトロンからのお小遣い、社長からの車代、栄養費、架空の資金計上、財団からの助成金、公的資金導入・・・などなど)もほとんど得たことがありません。
んで、冒頭に戻って、ぢっと手を見る・・・。
ジェッソと指サック焼けと郵便配達タコ、絆創膏・・・コレがまあ37歳の夏の現実です。
なああ!こんなハズじゃなかったんです〜、私の設計では。
ああ、ハズい。
ただ、そんな中でもなんとかやりくりし、制作に必要なものを今年は多数購入してます。
まずは、試しに使った、シルクスクリーン印刷機。
「Tシャツくん」という、自宅で簡単にシルクスクリーン版画ができる代物です。
本格版画職人さんが見たら、
「坊や、こんなオモチャがシルクだって?ふんっ!」
と、鼻で笑われそうな代物です。
また、こちらは超コンパクトなエアブラシキット。
トラック野郎みたいな風体の、大型吹き付けをやってるごっつい立体作家さんたちが見たら、
「こんなものからエアーが出るのかい?坊や!家帰っておかあちゃんのおっぱいでも吸ってな!」
と、からかわれそうな代物です。
まあ、そうとはいえ、制作に必要なものですから・・・と、思い切って購入したものの、結局上記2つの道具は思ってた効果が得られず、「画材道具仕分け」の対象となってしまいました。
ああ、無駄遣い。
というか、こんな効率の悪い制作してたら、そりゃ黒字はでませんわな。
レンホーさんが見たら、
「あなた自体こそ無駄そのもの!仕分けの対象ですっ!」
なんて、言いそう・・・。
そんなこと書いてたら、今度は現在出品してる完全業者発注作品の請求が、来るー!
「給料の1ヶ月分」でーす。(泣)
まあ、先日完成したばかりの、自身が発起人となって開催した「放課後の展覧会」の図録は、「給料の3ヶ月分」かかってますからな。
そんだけかかっても、作りたかったんだからしょうがない!
結婚指輪の購入をあきらめてでも!・・・と思ったのですが、幸い、結婚相手も婚約予定も無かったのでした〜!
そう、そんな相手は始めから・・・存在しなかったんです・・。(夏だから怪談風に)
結婚しなくても幸い。モテなくて幸い。
そんなこともあるんですな。
だから、金なくて幸い・・・って言っちゃうぞバカヤロー!
・・・って嘘です。
少しでもいいから僕にお金を下さい。お金をぉ〜〜!!

ぢっと手を見てたら、こちらをぢっと見返す、物乞いの眼差しが・・・!
「金くれ〜、金くれ〜っ」って声も聴こえてきたんです!
ギャアアアアーーーッ!
これ、手相占い的にはどないなん?
すっかり夏らしくなってきましたね。
おそうめんの季節ですね。
夏も海も山も似合わないといわれ続けてきました。
そんなことはわかっている。
でも、からっと晴れた日は気持ちいいですね。
クーラーでひんやりした部屋だったら、
仕事も制作もはかどります。
休憩にはyoutubeなどで
いろいろ映像をみたりもします。
その中には分類不能な映像も多くあって
それがまたおもしろかったり。
映像は日本人の生活のすみずみまで浸透しているのではないでしょうか。
映像を制作して発表するようになってから、
作品にひっぱられるように、
いったことのない町に行くようになりました。
すこし不思議で心地いい感じです。
それから映像を制作していてすごく思うのは、
美術だけでなく商業的な映像にも、
向かい合わなければならないということ。
ここから逃れられない気がします。
そう思うとなかなか過酷な状況だけれども、おもしろくもある。
展覧会での映像作品は「おもしろくない」とか「スルーする」
という声もよくききます(そうじゃないのもあるんだけどね)。
OK、OK、そんなことはわかっている。
おもしろくしていこうじゃないかと考えています。
来年から再来年にいくつかのアクションをおこしたいです。
自分自身も揺らして、
日本で映像を制作していくことの意味を考えながら。
暑いです。とにかく暑い...。
この2,3日の日差しは殺人的なものがありますね。
外でお仕事をされている方は本当にたまらないと思います。
僕も昔、短い間ではありましたが、夏の日中ずっと外を走りまわっているようなアルバイトをしていたことがありましたので、その厳しさは想像に難くありません。
天気と人の気分は変わりやすい、というような言葉がありますが、納得というようなこの10日間でした。
梅雨で降ったり止んだりのうっとうしい日が続いていると思ったら、集中的な豪雨、そして梅雨空けと同時に世界を裏返したような極端な強い日差しと青い空!
自分のことで言えば先々週末(11日)まで、ものすごく久しぶりに俳優で舞台に立っていたりしたのですが、
その本番が終わった瞬間、dotsのクリエーションに突入しました。
(本番が終わった1時間後には、skypeでミーティングしてました。その後はもちろん撤収して、打ち上げましたけど。)
今週は連日、怒濤の打ち合せウィークの一週間でした。毎日いろんな人に会って話す中で、日々いろんなことを考えさせられます。作品を作っていくことに緊張感が出てくる中で、自分のテンションや気分も日々動いていきます。特に本格的なクリエーションに入る前は、情緒不安定かというぐらいにアガリ/サガリするので、その自分につき合っていくのもちょっと一苦労。少しでも具体的になってくると少しは安定するのですが。
そんな中、人は他者と接しながら意識体にも無意識的にも影響があるのだな、ということを感じていました。
これは次の作品の一つの切り口でもあるので、その辺が意識的になっているのはあるんですが。
ちなみに、次の作品は『カカメ』というタイトルの作品を作ります。
「カカメ」というのは、鏡の語源の一つと言われていて、「カカ」というのは蛇を表わす言葉で、「カカメ=蛇の目」という意味になります。昔の人々は非常に蛇を神聖化していて、様々なものに蛇を重ね合わせ、見立ててきたという民族学的な説があって、鏡もその一つだということ。その他には、見たまんまですが、注連縄とか。あと鏡餅も蛇が蜷を撒いている姿からきているというような説です。
民俗学って、仮説の域から出ない部分もあるのですが、それがでも非常にクリエイティブでおもしろいなと思いました。想像が連鎖して、接続されて知らない世界を作っていくような感覚。
『カカメ』はまもなくフライヤーも出来てきますので、目にした方はぜひお持ち帰りください。
それでは、この辺で。
冷凍のふにゃふにゃしたやつじゃなくって
枝付きを買って来てむしって硬めに茹でてまだすこし熱いのを食べる
それがこの時期の醍醐味、枝豆編。
・洗った枝豆を海水よりも薄めの塩水に数時間〜ひと晩 浸しておく
・水切って沸騰した湯ですばやく茹であげる。1〜2分で良いと思う
・ざるにあげて湯をきりながら塩まぶしからめる
塩水につけておいてから本当にすばやく茹であげるのがポイントで、
かなり歯ごたえを残したコリコリの枝豆になる。
青い味がするんだよなあ、それがすばらしくおいしいんだよなあ。
さあ、夏が来た
昔、中学校の頃によく地元の体育館でやっていた新日本プロレスを見に行っていました。当時見ていたプロレスラーの中に西村修という選手がいたのですが、この間たまたま大阪で再会しました。
参議院選挙のためいろいろな場所で選挙の演説をやっていたのですが、西村さんも出馬していたのです。
僕の知っている西村さんはプロレスラーで、当時の印象ではそんなに強いほうではなかったのですが、とてもガッツがあり粘り強い試合で観客を盛り上げていたような気がします。まさに正統派プロレスラーです。
しかし、途中で医師に癌を宣告されて一時はプロレス人生も危ぶまれたのですが、長い闘病生活により癌を克服されました。
そのあとくらいからは僕はあまりプロレスを見なくなっていたのですが、先ほど調べた所によると
映画「いかレスラー」の主題歌を歌っていたり、2007年にハッスルにも「ムガール帝国の賢人」という設定でニシム・ラマとして参戦していました。
その後も活躍されていたので嬉しく思いました。もちろんプロレス人生も続行されています。
そんな西村さんにたまたま再会したのです。
再会したといっても演説を一方的に見ていただけだったのですが、ふとした瞬間に周りで聞いていた人たち一人一人に順番に握手をしはじめました。
はじめは手前にいた人達に握手していたのですが、だんだん2列目の人達、その次に3列目の人達とどんどん僕の方に西村さんが近づいてきました。そして僕の前に立っていたおばちゃんのところまで西村さんはやってきました。
しかしその時点でたくさん人がいたせいか、西村さんの握手する方向が少し斜めになりはじめていました。
ヤバい!反れるっ!
と思った瞬間、西村さんは僕の方を振り向き僕のあきらめて下がっていた手を持ち上げ、両手でグッと握手をしてくれました。
西村さんとの再会です。
僕は握手したとき何か昔プロレスを見ていた事とかしゃべろうと思ったのですが恥ずかしくて何も声が出ませんでした。
そして西村さんは一人一人に握手をしながら名刺も渡しており、僕も名刺を頂きました。
有名人の名刺なんて初めてです。 しかもプロレスラー。 しかも西村修。
この名刺に自分の展覧会のDMなんか送ったら見に来てくれるのでしょうか。
もし見に来てくれるのならば、もっとプロレスについて話たい。
癌を患いながらもその屈強な精神力で乗り越えた西村さんのプロレスに対する思いはどこからくるのか。西村さんにとってプロレスとは何なのか。
僕の好きなのは参議院の西村修ではなく、プロレスラーの西村修なのです。
プロレスに人生をかけている西村修が好きなんです。
この西村修のプロレスを自分で置き換えてみるとこれはやはりアートなのかもしれません。
しかしながら、西村さんほどのストイックさがまだ僕には無い様な気がします。
もっとこの精神を見習わなければなりません。
では実際どうすればこの様な強靭な精神力(ストイックさ)を養うことが出来るのか。
西村さんは癌の克服後、インド哲学に興味を持ちインドに修行の旅に出かけています。
西村さんはこうおっしゃっています。
「インドの人々のすごいところは、死を恐れないことです。彼らは、死ぬことが怖くない」
そうです、インドに行けば良いのです。
そんな西村さんが今夜歌います。
映画「いかレスラー」の主題歌で
「いかレスラーの歌」
『シネマトグラフ覚書』(ロベール・ブレッソン/筑摩書房)は撮影現場での書きつけ。
『稽古の言葉』(大野一雄/フィルムアート社)は稽古場での口述テープからの筆記。
私の好きなおぼえがきによる書物です。
これらのページを自分の手でめくり、その言葉を眼でなぞるのはすばらしい福音になります。
ところでこうした金言には程遠くても、私たちは普段けっこう思い浮かんだことをメモりますよね。
最近は携帯にメモする人が多いのかな? 私はがぜん手書き派です。
それにしても、じつに結構"メモ魔"の人って多い。
人のメモsetとか見ると「ふふ・・」と微笑ましく思ってしまいます。"メモらないと強迫症"の人。
RHODIAのメモ帳にPILOTのボールペンを携えてる女子なぞいれば私のツボですけど~(あれ、何の話でしたっけ?)。
男子ですか? 男子はだまってKOKUYO Campas B5罫線ノート。いえ嘘です。おしゃれなNote使ってる方も良いです。
Campas B5、こないだ女性の編集者さんが取材の時、お話しながらこれにざ~っとどんどんと書きつけてらして、それがまたカッコよかった。。。
見とれた。(取材中ですのに)
私はと言えば、出掛けるときはたくさん持ち歩くのは嫌なので、小さめのスケジュール帳の空きスペースが"備忘録"や"ひらめき降臨時(笑)の断想メモ"のスペースになります。荷物が重くならないよう手帳は小さめなので、ペンも細くてHI-TEC/0.4黒とPIGMA/0.05赤を愛用です。

手帳(3年おんなじもの)、仕事用ノートはA5(ピンクの)、家ではスケッチブック2種
愛用ペンは手前からHI-TEC/0.4、PIGMA/0.05、STAEDTLERのゲル蛍光ペン(クレヨンみたいになっています)、PILOT/BP-P
で、"てちょう"つながり、の告知を。
『暮らしの手帖』8.9月号(7/25発売)の「暮らしの風景」というコーナーで、取材してもらいました。
書き手は林央子(はやし・なかこ)さん。
彼女が作っている『here and there』というインディペンデントの冊子が素敵でファンで、たまたまお会い出来た折に「好きです♡」とアタックしたら、ご一緒出来る機会を作って下さった。うれしい。。。
元祖・暮らし系の雑誌にふさわしいよう清く美しく掲載していただいてますので、どうぞご笑覧下さい。
や、ほんと「私で大丈夫?」な感じなんですが、そこは"編集マジック"ということで~。よろしくお願いします。
今年は9月から11月にかけて、3つの展覧会をします。
その為、只今制作の模索中。
京都に来てから早4年経ちます。
それ以来自分の中で新しい方向性にチャレンジして来ましたが、今年に入ってからちょっと振り返ってみようと思い、4〜5年前に撮った映像素材を見返しています。
その映像素材は使いたかったけどそんときは使わなかった映像群です。
その中で、カメラを覗き込んでレンズを拭いている自分が映っていて何だか不思議な感じがしました。
例えば、自分が小学生や中学生だった頃の映像を見れば「懐かしい〜」と自然と思うのですが、4〜5年前の自分の姿というのは最近の事なのに、もの凄く昔のような変な感覚に捕われます。
見た目は今と変わりないけど、今じゃない感じ。
一体何が引っかかるのか不思議です。
撮った素材を見返すと若干何を撮ったか忘れている所があるので、
「こんなんあったか〜」
と新鮮に素材を見れ、また発想にも繋がります。
うまく言えませんが、
ある程度自分の中でやりたい事をやってきたので、これからは自分と風景の距離感みたいなモノを振り返りながら考える時間を増やして行こうと思っています。
しかし、ワールドカップの決勝はドラマティックでしたね〜。