
こんにちは。 ...暑い。
しかしいよいよ夏も後半戦って感じですね。
毎度次の季節は楽しみなんですが、毎度「まだ行かないでくれ...」とも思います。
今年もお盆には実家に帰る事ができました。
実家に帰ると懐かしくて愛しくて絶妙に笑えるものがたくさんあったりします。
昔描いた漫画などもそうです。
小さい頃は漫画ばっかり描いてる少年でした。
今読むとほぼ有名漫画のパクリな訳ですが、それはもう夢中で描いていた記憶があります。
学校から帰るとすぐ机に向かっていたし、よく「漫画ばっかり描いてないで勉強しなさい」と叱られていた記憶があります。
思い出深いのは『聖闘士リシー』でしょうか。(はい、某有名漫画のほぼパクリです)
主人公の名前が何故「リシー」なのか今ではもう伺い知る事はできません...。
しかし、主人公はペガサス座ではなくこぐま座の聖闘士でした。ここら辺に小学生の頃の自分のプライドを感じます。
大学ノートかキャンパスノートに描いていたのですが、
何とか一冊のノートにまとめようとするも、何も考えず描きたいまま描いているので最後のボスの戦いまできた段階で
残り1ページになっており、エンディングは1コマ。凄まじく劇的な展開をみせておりました。
思い出してみると、描いている途中も勿論楽しいのですが、
一番楽しかったのはまっさらのノートの真っ白な1ページ目を見つめながら、
今回はどんな物語を描こうかとあれこれ想いを馳せている時だったように思います。
真っ白なページに色んなイメージが浮かんで来て。ワクワクしてみてるだけで楽しくて。
今思うと愛しさすら感じていた様に思います。
ノートのあの真っ白な1ページ目。これが僕の原点な気がします。
何も考えず夢中に手を動かしていたあの頃を、今では羨ましく思ったりします。
そんなこんなで時は流れ...(?)
9月18日に丹波篠山まちなみアートフェスティバルにて、
&ARTでも紹介されている映像作家の林勇気さんとご一緒させていただく予定です。
9月26日にはClub METROにておこなわれる、night cruising 4th anniversary special 『paquebot de luxe』にて、
これまた&ARTでも紹介されている原摩利彦さんのユニット、rimaconaとも共演させていただく予定です。
詳細決まればスケジュールの方にもアップさせていただきます。
それではこの辺で失礼致します!
もう9月ですね。
なんとなく一ヶ月スルーしてしまいました。
申し訳ないので口調もですますに変わっています。
ひとまず、撮影の事よりこちらを紹介。
SANDWICH
http://sandwich-cpca.net/
7月中旬、開設したSANDWICHのWebサイトです。グラフィックチームの倉澤君渾身。僕は各プロジェクトの撮影など担当しています。
複数のプロジェクトが平行してコンテンツとなっており、様々な人がそこに関わっています。
名和晃平のアトリエ、だけではなく関わる全ての人達が自立し創造性を持つことのできる場所として機能していく事、それが場としてのSANDWICHの目標です。そのコンセプトを、高い純度を保ったままいかにビジュアルとして伝えていくか、がグラフィックチームの目的であり機能でもあります。
(グラフィックとしての)SANDWICHが名和さんに限らず、多くの作家達をロス無くかっこよく世に広める手伝いをしたい訳です。
後年、あー名和晃平のアトリエね、とSANDWICHが評されたら我々は失敗したねと言う事です。
たくさんの自戒とプレッシャーをこめて。
みんながんばれ。
8月1日、京都芸術のオープニングがサンドで開催されましたが、場所もお披露目でき(まだまだ工事中ですが)、先月今月とひとまずの成果が見えた次第。
関係者の皆さま、大変お疲れさまでした。

iida art edition、PixCell_via_PRISMOID 作品撮影からイベントまで
撮影日:いつからだったか〜7月13日

こちらは7月、ではなく、撮影なら4月から延々、モック自体の企画やたたき台の制作等をあわせたら半年以上関わってきました。
たった一日のイベントに向けるエネルギーの密度は今まで経験したこともなく大変勉強になりました。
製品と作品の違いは何か、広告と美術の違いは何か、言い古されたフレーズですが、撮影中、揺さぶり続けせられた訳です。その基準や境界とは何か。撮影の違いは何か。写真で変わるのか写真が変わるのか。とかね。
それはただ単に撮影だけの話ではなく、作家がプロジェクトの終着点へ向かう諸々の関わり方全てに於いて、言える事です。中途半端にパッケージされて世の中に出たら双方にとって残念でデザイン的には失敗と言える訳です。カタログでのビジュアル、ハンドアウトツール、会場構成、展示の細かいパーツ(たとえば台のエッジとか、業者甘かったけど)やら各階層に於いて何が必要で必要でないか、どこをどのようにコントロールすれば100点をたたき出せるか。100点とは何か。
これについては別案件が進行中で会議毎にその話をしています。またお見せできる段階で皆さんに問いかけてみたい。
何が美術で何がそうでないのでしょうかね。作家はどうすればいいのですかね。

イベントの準備は前日入りで、各展示作品の調整と光を確認作業。プロのライティングは勉強になります。一方の薄い光で他の環境光をキャンセルしてメインは若干色温度上げて補完する、などなど。
それと高木正勝さん。ピアノの調律師の方を人生で初めて見ましたが4時間かけて延々調整するなんて、エプロンした渋い爺さんかっこいいし二人の空気、こだわりがすごい。

イベント当日、完成した展示を確認し、朝っぱらから高木さんのリハ生演奏聞いていたらここ半年の疲れが全て吹き飛びました。
Light Poolの坪井さん高木正勝さん、BOTANICAの東信さん、そして名和さん、各人の創造性、理想の高さ、間近で感じる事ができ勉強になりました。
川北ゆう
「ゆらぎのあと景色をそそぐ」
INAXギャラリー
撮影日:7月13日
iida発表会、夕方の一般解放までの合間に川北ゆうさんの展示撮影のため銀座のINAXへ。新作を拝見したかったのでタイミングを合わせ撮影させてもらいました。
空間に大作を2点、床置きのシンプルな構成です。
川北さんの作品は水を使用した制作法ですが、描画材料は油彩。油彩らしくない繊細な線が幾重にも流れるように描画されています。


勝手ながらついさっき聞いた高木さんのピアノが頭の中で流れっぱなしで、これはまったくの偶然でしかありませんが、水の流動性を記録する、という強い方向性を導いてもらったように思います。ざぶーん。
床置きなので周囲を歩きながら、上も下も左右も無く体験する訳で、壁にかけてある絵画とは描画内容以上にその違いがあります。壁掛けの方がいい、また意義を見いだせない、という意見も中にはあり、絵画展の審査なんか良くやっている学芸員などもこう言うのですが、水と重力、制作する視点を作家が裏切れないのでは、と僕は思います。壁にかけ固定されてしまうと、視点と水の流れが嘘をついてしまう、ような。絵画の自律性ではないんでは。
画面から流れ落ちた水と絵の具もそのまま線として残されています。
毎度、挑戦させていただく作家さんです。
宮永亮
「Making」
児玉画廊
撮影日:8月11日
特製の車載カメラから収集された夜景映像を重ねて投影した映像作品、街のきらめきが怒濤のように押し寄せる映像はとても美しく荘厳でまた不安にさせられます。幽霊は実在するかどうか知りませんし、何と定義づけられるかも知りませんが、そこに居るのに会った事も無いものに出会った、そんな感じです、変かな。お化けみたい。
その素となる一つ一つの映像が会場中、ミニクーパーを囲み、特製のスクリーンで上映されています。
映像作品を撮るのは難儀で、暗さと輝度差もその理由なんですが、映像を選び停めながら撮影しなければなら無い所が一番大変な所です。各機器になれないと行けない上に(おかげさまでPS3は慣れましたよ林さん)いいポイントを探すのがまた至難で、僕のセンス任せになってしまう。(ここ一番自身無い所です)考える箇所が増え時間もかかり終わった頃にはへとへとになります。
今回は宮永さんに暑くて蚊だらけの中、つきっきりでセッティングしていただいたので、気楽にスムーズに撮影できました。8台のプロジェクター、映像がすぐスリープするので動き回っていただきました。ノイジーな空間と映像とそして存在感のあるミニと、それぞれにひっぱられつついいポイントを探します。ミニがこんなにプレッシャーのかかるものだとは思いませんでした。本当に下手には撮れない。
勉強させていただきました。

作る事、iidaの案件から揺さぶられています。
イベントの翌日、瀬戸内寂聴さんとポルトガル人作家のRui Zinkさんの対談撮影に伺ったんですが、「私は書く煩悩だけは捨てれなかったの、他はみんな消えたけど」とZinkさんの「なぜ書くか」との問いに瀬戸内さんはそう答えていました。
「煩悩」って集約した便利な言葉だね。こういった作られてきた単語はツールとして優れている。けどこぼれていくものを丁寧に拾う作業も必要か。まだ若いんだしよ。
さて、怒濤の秋です。
その1、展覧会情報。
六甲ミーツアート2010に出品します。
展覧会を口実にちんたら登山しましょうと不純な動機から〆切1週間前に資料作って応募したら受かってしまい首が回らず本当に大変です。
〽(ioriten)
ひどい写真だ、どうぞよろしく。
その他諸々は来月。
こんにちは、原 摩利彦です。まだまだ酷い暑さが続くものの、夏の終わりが近づいていることが感じられて、とても寂しいですね。
さて、前回、前々回と更級日記の音を聴いてきました。今回は間奏曲のように少し違う話題を書こうと思います。
前回、前々回と『更級日記』の東国から京都に至るまでの道中の音を取り上げてみました。古典の音を聴くということをテーマにこのブログを書いていますが、一体、何を聴いているのか?という疑問はいつも持ち続けています。現実としてはもちろん聴こえませんし、また『更級日記』に書かれていることがすべて事実であるとは限りません。作者の回想の記であるため、記憶の曖昧さも含まれているでしょう。しかし、それでも書かれたもの(今残っているもの)を読み、その中にある音を聴こうとする姿勢は有効であると僕は思うのです。単に自分たちの経験から音の記憶を呼び出してくるだけではありません。
2008年に亡くなった作家小川国夫氏はとても興味深いことを述べています。晩年に出版された随筆集『夕波帖』(幻戯書房、2006)に収録されている小さな随筆『耳を澄ます』には、「私の願いはただ一つ、傾聴の世界を書きたいのです。」と書かれています。小川氏は、小説とは自らが書きたいことを主張するものではなく、「聞こえてきた言葉」をとらえる、いわば「聴く」という姿勢を目指しています。自らが書こうとしている小説の登場人物に話をさせ、その声を聞き取ること。彼自身も言うように、これは「一見非条理な試み」に思えるでしょう。(彼は「その手順を考えるのが文学なのでしょう。」と述べています。)それでも小川氏の求めていた世界とは、この方法でしか到達できない、表現することが出来ないものだったのでしょう。
じっと登場人物たちが話をし始めるまで。その声が聞こえるまでじっと耳を澄まして待つこと。こういった彼の態度の中に、今創造するための最も大切なことが含まれているように感じるのです。
原 摩利彦
いや、きっと誰かが恋に破れ、噂のタネに邪魔、してるんでしょう。
毎年の事なんですが、今年の夏はひと味違うんです。
あ、どうも。
両腕だけは小麦色。
これはバイクで仕事してるから、の木内です。
ここ数年、「夏のレジャー」がほとんど無くて、思い出したくても何も夏の思い出が出て来ないのですが、今年も残念。
残念です。
や、強がってるわけじゃないけど、誘われてないわけじゃなくてよ!
海、焼肉、BBQ。
いくつかありがたくお誘いいただいたのですが、どれも断らざるを得ない状況でした。
理由は「ごめん、作品制作せなあかんから」
キャー!カッコいいー!
「美術系の人」って感じ==!
・・・と、思われる方も居られるかも知れませんが、まあ、気取っても僕も人の子。
お誘い、行きたい!メッチャ行きたい!
海!山!川!滝!ワイハ!軽井沢!貴船!BBQ!屋上ビアホール!スーパー銭湯!甲子園!
・・・んんん?
ま、とにかく、タイム&マネーがたっぷりありゃ、そりゃ行けなくもないとは思いますが、今年の・・っていうかここ数年・・・っていうか思えば生まれてから、その両方が溢れんばかりにある、なんてことは一度もなくて、結果、両親指にくっきり指サック焼けができる30代後半となってしまいました。
ああ、みんな瀬戸内とか行って楽しそうやな~。
・・・とか言うんだったら、勝手に行けばいいじゃん!
と、お思いでしょうが、その為にはまず休みを取るための交渉を上司に代理人なしで行わなければならず、それがもう、もの凄い面倒くさい。
自身の展覧会に為の休みを取る時はなんとかそこを踏ん張って交渉してるのですが、調子のってたら、
「そんなに休みたいんだったら、休みな!ただし、永遠にな!」
と、いつ言われるかもわからない。
そう思うと、その交渉だけでも随分神経を減らすのに、さらにその後、旅行の計画、宿の手配、一緒に行く?行かない?車は?パスポートは?英語話せんの?疫病対策は?・・・・
・・・・ぬあああああ!面倒くせー!
友人知人で、「ふらっと外国行ってきた~楽しかった~」
的な人もたくさんいますが、ああいう方々はどうやって上記のような面倒を解決してるのだろう?
と、いつも思います。
「おー!そんなんやったら辞めたら~!、二度とくるかだらぁボケぇえ〜!」
とか上司に言える様な方々なのか?
それとも元々勤労などせずとも楽しく生きられる財力をお持ちなのか?
何か国家機密レベルの秘密でも握ってるのか?
あるいは明日死んでもいいように、みたいな刹那主義な方々なのか?
・・・いずれにせよ、羨ましい。
まあ、話は夏に戻って、そうは言いつつも夏はまた来るのだから、最初から
「今年は捨て夏!」
なんて設定してたらいいのですが、僕にとってはええ感じでいくつか誘っていただいた近年稀にみる夏だから、余計に残念なのです。
「なんで、たいして何も予定なかった昨年までに誘ってくれないのん?」
と、思ったのですが、考えてみたら、誘ってくれた方々は皆さん、自身の作家活動を通して知り合った方々ばかりなので、そりゃ、展覧会のお誘いと遊びのお誘いも、比例するというものです。
とは言え、「作家は食わねどベレー帽」じゃないですが、目の前の発表があって、それに向かって何かを作れるなんて、冥利に尽きるじゃないですか!
クソ暑いけど。
というわけで、腰の辺りまで切れ込む水着も残念ながら今年も見れない夏ですが、幸いまだ季節は色々ある!
秋も冬も春もある!
そんで、季節ごとに、
「今年の秋も制作のせいで、紅葉借りも栗拾いも・・・」
なんて嘆いてりゃいいじゃない!

「タイトル未定」蒲鉾板にウッドバーニングペンでドローウィング 2010
夏に焦がれてる・・・ということで、蒲鉾板を焦がして描きました。
(無駄毛の処理を忘れて描いてしまったので、モザイク処理しておきました~)
♪変人も泣いてる~ あきらめの夏~
あれ、漢字間違ってる?
そんな、夏をあきらめる最大の理由(って失礼ですね)は9月のグループ展です。
くわしくはこちら。
こちらはあきらめないで!
♪ダーリン キャンチュシ~~? アイルトライトゥーメイキッシャイン~ ダーリンビーウィズミ~~~イィ~~イ~~ レッツゲットゥビー ソーファイン~~
今月の引用句:「蛸壺や はかなき夢を 夏の月」(松尾芭蕉)
*おわかりかと思いますが、今回ブログの随所に、「夏をあきらめて」(作詞作曲;桑田圭祐)を引用しています。
今回は、いつもこのブログを書いている地点の制作の田嶋はお休み、代わりに映
像の山田が書きます。はじめまして。
地点は、新作を作るのに3ヶ月くらい稽古しますが、俳優と違ってわたしは3ヶ
月の稽古に常に参加するわけではありません。後半の1ヶ月くらいはほぼ毎日稽
古にいき、映像を映していろいろ試しますが、それまでは演出家と打ち合わせや
美術プランのミーティングに参加したりするくらいです。だから地点の稽古に行
かない時期というのはかなりあるわけで、そういうときに何をしているかという
と、地点ではない作品の映像スタッフをしたりしています。
というわけでわたしはいま金沢にいます。東京のコンテンポラリーダンスカンパ
ニー「金魚(鈴木ユキオ)」の、金沢21世紀美術館内シアター21でのレジデ
ンスクリエーションに参加しています。劇場に2週間滞在し、最後の2日間が公
演日。つまり10日間も劇場を使って稽古できるということで、これは本当に贅
沢なことです。毎日10時に劇場に入り、13時から21時まで稽古。午前中はフ
リータイムです。
お盆の21世紀美術館は本当に混んでいて、開催中の「ヤン・ファーブル×舟越桂
」展の招待券を頂いているのですがなかなか見に行けません。昨日のフリータイ
ムはすいている劇場内の図書室で過ごしました。美術書や写真集を眺めているう
ちに新しいアイディアが生まれ、それをすぐに劇場で試すことができる。美術館
でのレジデンスは最高の創作環境です。
「金魚(鈴木ユキオ)」の新作「HEAR」は8/21,22に金沢21世紀美術館シアタ
ー21、東京公演は来年2月です。
ちなみに、地点はの新作は10月、目下稽古中、のはずです。チラシもそろそろ
できあがってくるようです。
お盆が終わりました。
今年は実家にも戻れず、お墓参りにもいけませんでしたが、京都の家から一人、実家の方には先祖が帰ってきているのかなと想像をして、手を合わせたりしていました。
先祖が子孫の元へと帰ってくる。それを迎え、また送っていく。なんて素晴らしい行事なのだろうと思います。
こういう節目があることで、見えないものを見るように遠い先祖まで想像を膨らましていく。自分から伸びる遠い時間に想いを巡らす。それだけで気が引き締まる想いがします。
来年は必ず帰ろうと決意をしました。
来月9月に公演する新作のTrailerが完成しました!
特設webサイトもできましたので、よければ覗いてください。
先日、お盆休みに入る前に一足先に実家に帰ることにしました。
といっても今は作品の制作のため仕事はほとんどしていませんのでお盆休みはあまり関係ありません。 とても贅沢な時間をすごしております。
京都と違い、僕の実家の呉市(広島県)は人が少なく昼間にも関わらずとても静かです。散歩していてもすれ違う人がほとんどいません。コンビニも駅の近くに数軒あるくらいです。
そんな街で僕は地元の友達と飲みに行くことがとても楽しみです。
小、中学校からの友達は今になっても全ぜん変わらず、会うと一瞬にして昔のあの頃にもどったような気持ちになってしまいます。
唯一変わったところは伴侶ができ家族を養っているところでしょうか。もちろん僕と同じように独身の人もいますが。
しかしもうみんな今年で30歳です。 おじさんです。
そんな友達に会うのが楽しみです。
そして今回帰郷した目的はもう一つあります。
このあいだ事故で亡くなった矢野くんに会うことです。
実家につくと早速いろいろな友達に連絡をとり矢野くんの家の住所を調べました。
そして何とか住所や連絡先などを確認することができました。
少し緊張しましたが、家の方と連絡をとり次の日に訪問させて頂くことになりました。
詳しい道のりが分からなかったため、何となくパソコンで住所を検索するとグーグルアースという地図がでてきました。
はじめは宇宙の画面ですが、マウスで動かすとだんだん日本に近づき、そして広島から呉市、そして矢野くんの家の上までいっきにズームインしていきました。
しかも更にクリックすると家の近くの自動販売機や海の景色までも実写で確認することができました。時代は進んでいるようです。
次の日、駅からバスで1時間くらいかけ矢野くんの家に向かいました。海沿いの道路をフェリーと並走しながら走るバスの景色はとても穏やかでした。
そして昨日パソコンで見た風景を確認してバスを降りました。
そこから10分程あるいたところにで矢野くんの母が迎えてくれました。
近くまで来て迷ったので電話をすると、「後ろを向いてください!」と言われ振り向くとお母さんでした。
家に案内され階段をあがった所に矢野くんの部屋がありました。綺麗になった部屋には仏壇と遺影が飾ってありました。
そして僕はそれを見た瞬間に立ち止まってしまいました。体がかたまり遺影の矢野くんと目があったまま少しのあいだ動けなくなりました。まるでお葬式のコントでもやっているかのような新品の遺影は僕に現実を教えてくれました。涙が止まりませんでした。
そのあとお茶を頂き少し頭が飽和状態になったままでしたが、矢野くんの思い出をお母さんにお話しました。
最後に矢野くんと飲んだ時に音楽の話で盛り上がった事もお話しました。そしてその時に矢野くんが僕のiPodでずっと聞いていた音楽のCDを持って来ていたのでお渡ししました。
話の途中で度々無言が続き、その度にお母さんと僕は矢野くんの遺影を眺め何度もうなずきました。
映画「おくりびと」のイメージソングでAIさんという歌手の歌詞のなかで
「愛は刃物より胸につきささる」
という表現があります。
このやりきれない気持ちを代弁してくれるこの言葉はここ最近、僕の耳から離れません。
こんな暗い話の中、今夜歌います。
エレファントカシマシで
「俺たちの明日」