
どうもです。
ちょっと今年の寒波は半端ないですね。
この前バイクに付いてる温度計が-2℃を記録したときには「あぁ、この寒さの中を突っ切って帰らんとアカンのね・・・」という言い逃れ出来ない絶望感と同時に「このバイク、マイナス表記にもちゃんと対応してるのね」という新鮮な驚きに包まれました。
さて、見に行かれた方も多いと思いますが、1月の頭に愛知でやっていたジャクソン・ポロックの展覧会に行ってきました。
今までドリッピング/ポーリングでの作品のイメージの強かったポロックですが、今回の展示はその前後の作品(主にドリッピングに辿り着くまでの変遷)に重点が置かれていて、ポロックという作家が持っていた幅を認識し直せた良い展覧会だったと思います。
特に、ピークと言われている1950年の作品以降のものの中には完全に成功しているとは言い難い作品もありましたが、一度完成させた技法を捨ててまで新しい方向に作品をシフトしようとするポロックの葛藤が強烈に画面に現れていて、見ているこちらも胸を締め付けられるような感覚を味わいました。
言っても仕方のないことですが、あの若さで亡くならなければどのような作品に辿り着いていたのだろうかと想像させてくれる可能性が画面に詰まっていたように思います。
せっかくポロックを見るんだし、ということでポロックに関する本をいくつか読んでいたのですが、中でも昨年11月に刊行された「ART TRACE PRESS」に載っていた松浦寿夫さんと林道郎さんの対談が良かった。語り口が軽快と言うか、ポロック自身の身の上話にはあまり入り込み過ぎず、作品や資料を基に様々な角度から批評しているのが面白かったです。
藤枝晃雄さんの「新約ジャクソン・ポロック」には当時のポロックの生活状態まで結構詳しく書かれていたので、その違いが異なった視点を与えてくれました。
美術に限らず文学や音楽にも言えることですが、歴史に位置づけされる作品の多くはもう作家や当時の関係者がいませんし、作品が作られた社会状況も変化しているので、鑑賞者は推測や想像に頼るしかない部分がほとんどです。
どれほど考えてみても作家の意図を完全に理解することは出来ませんし、その必要もありません。
時代によって語られ方が変わってもそれを受け入れられる作品はすごいなぁと。
芸術の懐の深さを改めて感じさせられました。
※以下は2012年2月4日に僕がFacebookにアップした文章です。タイムリーな問題として、どうしても掲載したかったので転用します。
_ _
明日(2月5日)、京都市長選挙があります。
今回の選挙戦は例年と違い、特別なリアリティをもって注目し続けてきました。原発による諸処の問題をはじめ雇用や教育など争点は沢山あるけれど、僕にとってクリティカルだったのは、昨年から関西で頻発している「風営法」によるクラブやオルタナティヴ・スペースの営業停止問題。
既に様々な方が声を挙げてこの問題に取り組んでいるけど、僕なりの視点でこの動向を、そして選挙戦を見つめてきました。恥ずかしながら今まで足を運んだことがなかった討論会や座談会にもいくつか参加してみました。こんな僕がそのような場所へ行くほど、京都、いや関西で何らかの"表現行為"をする人々は、今大きな問題と向き合っています。
ミュージシャンやアーティスト、あるいはデザイナーたちの活動の場がなくなりつつあり、それが今後更に加速する可能性がある。そして日本では夜に踊ることが許されない。そんな力を現在の「風営法」は持っています。
あまり主観的な考えの押し売りはしたくないし、問題は各々で考えるべきだと思うので具体的には示しませんが、ひとつリンクをつけておきます。既にけっこう広まっている情報だけれど、アンテナにピンときた人は是非。当問題に関しての、両市長候補者の公開質問です。
http://nofueihou.blog.fc2.com/
また市外・県外の方々にもこの問題は是非注目して頂ければと思います。どのような場面でも、選挙はきっかけにすぎず、次のフェーズに移るには市内だけの運動では不可能です。
自分にとって有意義で大切な環境を守るために、明日選挙に行きます。
2012.02.04
intext 見増勇介
早いものでもう2月。
1月は往ぬ(行く?)、2月は逃げる、3月は去るとかなんとか。
巷では卒展シーズン、卒業シーズンということでバタバタしているようですね。
職場の関係で大学や高校の動きが、わりと生活のリズムに影響を与えます。
ところでもし、大学が秋入学になれば、寒さを乗り越えて春が来る感じの、この趣も変わってしまうのでしょうね。(別に秋入学に反対とかではなくて。)
さてそんな中、僕はと言いますと、毎週のように南山城村に通っております。
「AIR 南山城村 "青い家"」の3月オープンに向けて、目下作業中です。
これは3月の時点では僕は作品を出すわけではないのですが、「プロジェクト」として関わっています。今日も、冷蔵庫とベッドを譲ってくれるという友人宅をハシゴしました。
だんだん必要なものが揃ってきました、レジデンスとして機能する日も近い...!!
そしてさらには、3月末に京都市美術館別館でおこなう「LA VOZ 2012」の制作やらにも追われる日々。LA VOZのあとには4月に個展、7月にグループ展と個展と、ありがたい限りです。
時間はいくらあっても足りないので、いろんなことをサクサクとこなしたいところなのに、なんとMacの調子が悪い...!!なんとかネットは繋がります。おかげでこのブログも無事書けてはいるのですが...。まあ、よくよく考えればなかなか古くなってしまったなあ、と。
ということで、明日はアップルストアへ...(?)。
皆様、お久しぶりです。長い事こちらをお休みしてしまってすいませんでした。
10月、11月、1月(現在京都児玉で個展中です、お越し下さいませ)、と出展ラッシュをなんとか生きのびて戻りました。正直生きた心地がしなかった数ヶ月ではありました。と言っても死んだ心地がしていた訳でもありません。まとめると、幸せなことだったのだ、と思います。宮永です。
変な導入ですみません。つらつら書きます。
今の世界で何かが広がるスピード、価値の変容や置き換えの速度なんぞと言うものは、既に人間の日常的な想像力なんてものは超えてしまっていると思います。ルートの広がり方自体も予測不可能になりつつある。と言うか、今まで勝手に予測できたと思い込んでいただけなのかもしれません。要するに何にも分かってないんですね、多分。ただ右往左往している。どうやら世界中皆そうなんじゃないか、と言う事が暴かれつつある。
人間の思考とは便利なもので、ある範囲の物事を一まとまりとして捉えると言う方法に長けています。方法と言うか、持って生まれた脳の機能と言っても良いかと思います。右往左往を括弧に入れて、「右往左往」としてとらえられる。それに似たまとまりを「別の右往左往」と呼んで、その間の関係性を考える。括弧内の事は、まあ後で、と言う風にできる。これは非常に単純で、便利な方法です。故に永遠に繰り返せると言っても過言ではないです。永遠に繰り返せる筈と言うところに救いもあり、実際人間は繰り返してきたんだと思いますが、最近はそのことにむしろ薄ら寒さを感じるようになって来てしまいました。
それは個々の行為としては繰り返しではあるんですが、結果として形成してしまうのは人間の想像力でも知覚しやすい規模の安定的な構造(サイクル)では無く、視界に映るのは無数に枝分かれして行く小道の集合体にしか見えない。エンジンの回転によるエネルギーが線運動に使われるのに似てるのかもしれません。
世界が心の機能の一部だけを肥大化させた現実に置き替わってしまっているのではと言う事は良く言われていると思います。人間は脳内に生きている、みたいな。ただそしてそう言うシステムを端的に社会と言ったりする訳で、またそのシステムによって初めて人間は自身の輪郭を知覚することができるのも事実なので、一概に悪とは言えません。
ある程度コンパクトな社会であれば、人間と言うものは社会そのものと自分自身を重ね合わせ、社会のミニチュアとして自分自身を認識し同化すると言う事も可能だと思います。単にシステムのパーツとしてではなく、システムの在り方、つまりその境界の描かれ方や動き方の特徴と言ったものに自分を合流させ、社会をミニマムに体現すると言う形での自己実現の形が成立する。
しかしそのシステムの在り方を個々の人間が捉える事自体が困難になると話は変わってくるのだと思います。内部から周りを見回しても、その形を認識する事ができないぐらいにいつの間にか境界線が膨張して視野から消えてしまっている。一因としては、人間社会のベースにあると思われる「括弧付け機能」とデジタル的な情報処理方法の親和性が有りすぎ、スピードが上がりすぎた、と言う事かもしれません。
そのような中では、一旦「括弧付け機能」の汎用性や便利さを見直す必要があると思います。と言うか、括弧の中の事についてもっと微視的に考えても良いのかも。
うーん、なんかうまい事纏まりませんでしたが、、今ちょっとそう言う事を考えていますというお話でした。引き続き考えます。
宮永亮
おっ、ごっつい人からバトンがきた!(少し照れながら、勇気ふりしぼって)わっしょい!
2012年一発目のブログリレーですね。今年もよろしくお願いします。
昨年は1年間、月イチブログを落とすこと無くアップし、おかげで年末の&ART忘年会でブログリレー皆勤賞をいただきました!
自身の数少ない受賞歴に入れたいと思います。
あ、申し遅れました。木内です、貴志です、木内貴志です。
乗ってる車はホンダのアクティ(白の軽バンタイプ)です。
しかし、この皆勤賞だけを目当てに(?)ブログアップし続けてきたわけですが、常にネタ切れ寸前のとこをなんとかしのいでまして、危うく先月も最後の最後で〆切を守れずに皆勤賞を逃すかも、と「9回2アウトまでノーヒットノーランなのに最後の打者にホームラン打たれる」的なことになるとこでした。
そうなると、西武の西口投手みたいに、なんとも言えない表情で苦笑いを浮かべるしかないですな。
と、そんな常にネタ切れ寸前の私の前に現れたのはまたしても神様、いや仏様でした。
捨てる神あれば拾う神ありです。
ということで、今月の作品:

本堀雄二 作「Tanjou 5」
使用済みダンボール 11.0×4.0×3.0cm 2011
こちらは見ての通りのお釈迦様。
「天上天下唯我独尊」と言ってるとか言ってないとかのところのポーズかと思います。
例の甘茶をかけたりするやつですな。
でも、こちらに甘茶をかけてはいけません。
こちらの仏様は紙なんです。使い古しの段ボールでできてます。再生紙ならぬ再生神ですな。
紙の仏様との出会いは昨年の11月。
別の用事で大阪行った際、ついでにちょっとギャラリーでも廻るか〜なんて感じでふらっとギャラリー白さんに立ち寄った際、偶然、作者の本堀雄二さんの個展が行われてました。
本堀さんの作品は噂や画像で見聞きしたことがあり、「実物見てみたいな〜」と思ってたところだったので、こりゃラッキー!
・・あ、失礼。神の思し召しというか紙のオボシメシ。
大小様々なダンボールの仏様があり、どれも噂に違わぬ素晴らしい出来!
思わず手を合わせながら(?)お値段を拝見したところ、おっ!この一番小さい作品なら手が届くではないか!
ということで、紙幣で紙の仏を手に入れました。
この「Tanjou」の作品は他の本堀さんの仏像の中でも最も小さくシンプルですが、最小限の表現で見事にお釈迦様誕生の像を表してると思います。
まさにミニ・ミニマルブッダですな。
正面から見たところ。
ギャラリーでスナップ撮影したもので、つたない画像です。申し訳ありません。
(本堀雄二さんの名前で検索していただければ、いい画像で作品多数見れますよ〜。)
ということで、特に信仰心があるわけではないですが、気がつけばいろんな神さんが集まってきてます。
そんな紙々・・じゃなく神々のおかげで、今月もブログが書けております。ありがとうございます・・・。
・・・ん?なんか胡散臭い人になってきてない?
基本、神もARTも半信半疑。
そして今年も阪神のタイガースだけは頑に信じております。
*こちらは作者、本堀さんのブログです。捨てる紙あれば拾う神あり
こんにちは、スチャダラパー的な存在になりたい、Antennaの市村です。
まずは、もう二十日、すっかり遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
![]()
さて、新年最初のブログは何を書こうかな、と、前回の終わりに薪割りの話でもしようかな、とか言ってましたが、
ここ一年くらいで思うようになったことを書いてみようと思います。
全てのことに当てはまることだと思うのですが、
僕たちはアートに関わってる人としてこのブログに書いているので、アートのこととして書きます。
何の話かって言うと、
最近、アートって、クラウド的な存在だなって考えています。
市村恵介という個人が、何をした、とか、どんな功績をおさめた、とか、
どうでもいいって言うと極端に聞こえるかもしれませんが、どうでもいいことな気がするのです。
僕たちはアーティストとして、作品を作ったりしていますが、それ自体がアートってわけじゃなくて、
それも含めて、それ以外のアート的なものに関わっている人、美術館で働いている人や、ギャラリーしてる人、
文章書く人、企画する人、考える人、売る人、買う人、見る人、飾る人、憧れる人、嫌いな人、信じている人、
などなど全部の人がクラウド的に関わっている状態、そのモヤッとした状態のことがアートなんじゃないかな、って。
クラウドって僕もちゃんと分かってる訳じゃないですけど、
なんて言ったらいいんですかね、境界線の曖昧な集合体ってイメージです。
粘菌とかに近いかもしれないです。
だから、僕個人がしていることだけを切り取っても、それだけを指しても大きな意味はないっていう気がするのです。
何言うてんねん、こいつ、って感じですね。
もちろん僕個人とか周りの人たちにとっての意味はあります。
僕は僕で、自分にできることしかできないし、関わり合って存在してるから。
だから、僕がAntennaとしての活動をやめる訳ではないし、作品を作らない訳でもありません。
なんて言ったらいいんでしょうか、そのくらい俯瞰的に、そして本質を捉えていきたいなって思うのです。
全であり個である感じです。
なんかうまいこと言えなくてすみません。。
ひとまず、そんなこんなで、今年も市村恵介として、
そしてAntennaとしてできることをひとつずつ、やっていきたいと思います。
いままで、そしてこれから、関わりのある全ての方、今年もどうぞよろしくお願いします。
あと、Antennaのブログでは相方の田中が昨年インドに滞在した際の報告が絶賛アップされてます。
こちらもどうぞご覧下さい!→http://antennalog.exblog.jp/
現地の若い衆ではないですよっ!

あ、しまった、わっしょい!言ってないや!
さ、みなさんもご一緒に、今年もわっしょい!です。
市村恵介
新しい年です。今年もどうぞよろしくお願いします。
昨年はこころもとなく過ぎて今まだ虚無点に立っているような感覚ですが、やむをえずの思索を続けてひょっとしたら何かが見えて来たら幸いというものです。作品づくりもまたそんなような仕事なので、皮一重のところに在るものを見つけたり伝えたりできるように、この虚無を新鮮な0"ゼロ"点としてものを裸の目で見ることを鍛えていきたいと思っています。・・・ちょっと真面目くさった新年抱負でしたね・笑。
この虚無点・ゼロ点・瞬間を思ってタルホ『一千一秒物語』を再読してみました。90年刊。出版黄金時代の感無量の造本。
帯には "この超(ウルトラ)・ココア色のガラスのごときもの" 。

さて、ただいまは作品の制作に入っています。
新作展「Memoriae(メモリエ)」と、その関連パフォーマンス〈失われた島への到着の仕方〉の作業中です。
詳細はまた情報コーナーで追ってお知らせいたします。
良い年になりますように。
