
2011年になりました。しかし、一月ももう終わりに近づいてきました。12分の1ヶ月がもうすぎようとしています。
といっても、1月2月3月あたりは時期的に寒くて朝もなかなか起きれなくなってしまいがちなのでいっそスルーしてもらってもかまわないのですが、そんな機能はありません。時間は一秒一秒正確に進んでおり、短縮することはできませんし、もしできるのであれば浦島太郎の玉手箱くらいでしょうか。それか寝ることでしょうか。寝ている間は時間を感じないように思います。寝ることによってある程度時間を操作できるのではないでしょうか。
朝早くに起き、出勤して肉体労働をし、汗びっしょりで夕方頃家にかえり、風呂に入りあがった後に酒を飲みながらネットサーフィンをし、眠気がしてまぶたが限界に達した時、ベットに倒れるように横たわりそのまま布団も掛けず寝てしまい、気づいたら電気やテレビをつけたまま朝になっていた経験はないでしょうか?
私はそれを「ワープ」、又は「ワープしちゃった。」と呼びます。
そしてそれにとても類似したもの。気絶。
気絶は何度かしたことがあるのですが、あれはそうとうヤバいです。時空を超え遥かなる宇宙の旅に出発です。
脳に一定時間血液がいかなくなり、危ないので脳が強制的に気絶させるのです。
気絶状態の時はまったく記憶が無くなります。
目が覚めるとき、目は開いているのですが真っ白で何も見えません。もちろん記憶もないのでその瞬間、自分が誰なのか、いったい何が起こったのか、その前に今の自分が人間なのか虫なのか、それとも石ころなのかパンなのか?という判断もできません。
そして少しずつ聴覚が復元し音がじわじわ聞こえてきます。その後、やっと真っ白な視界からだんだん色がついてきてぼやけていたピントも合ってきます。そしてはじめて現実の世界にもどってきます。
わたしはこれを「気絶」、又は「旅行」と呼びます。
目覚めたときに、気絶していた時の記憶をなくしているので、結果その気絶の時間の分だけ短縮できた事になります。実際は時間が経過していますが。そしてそれは言い換えれば、短縮した分だけいきなり「死」に近づいたと言う事になります。
と考えると、寝るという行為で時間感覚を失っているという状態は、「生」のありがたみを感じられる余地も無く、そして起きたらそのぶん「死」へ一歩近づいているということになります。
本来、寝るという行為は体や脳を休ませるもので、どちらかというと延命行為にあたるように思うのですが、この時間を意識できない状態になってしまう「寝る」は実際は生と死のどちらの要素もふくんでいるんですね。すごいですね。
一円も大切ですが、一秒も大切にしたいと思いました。
そういえば、このあいだレンタルビデオ屋のアダルトコーナーで胸をどきどきさせていたら、突然知り合いの方に出会ってしまいました。
新年はじめてだったのですが、とてもはずかしく、会釈だけで終わってしまい本当に申し訳なかったです。
改めまして、「新年あけましておめでとうございます。」
おやすみなさい。
音楽をやっている人は異性にモテるイメージがあります。しかし、彫刻をやっている人にはモテるイメージがありません。
音楽をやっている人は表現の媒体が音であるため、人の脳に直接イメージを伝えることができます。目を閉じていても聴くことができます。
彫刻をやっている人は最終的に出来上がったモノ(物質)で人にイメージを伝えます。もちろん、顔や性格は関係ありません。顔がよかったので、作品も良かった。ということはまずありません。
そして作品と向かい合ってはじめて感じることができます。
音楽はライブなどで同時に百万人に同じ音を聴かせることができますが、彫刻はその場合、順番待ちです。
そのため、結果的に音楽と彫刻ではモテる確率に雲泥の差がある事に気づきます。
モテることに集中したい時はやはり音楽をやるのが良いのかもしれません。
それか、スポーツです。
生涯を孤独に過ごした哲学者や芸術家も少なくありません。彼らは皆、幸せと引き換えに自分の考えや芸術性の探求に人生の大半を費やしました。
僕が思うに彼らはモテを意識していなかったようです。
むしろモテを意識しないことが最大のモテだという事なのでしょう。
人が何かに没頭する姿はとても美しいものですし、輝いて見えます。
今日のこの曇った社会を没頭の光で照らしてみるのも良いかもしれません。
表面的なものだけに囲まれた社会に安住しているよりはよっぽど楽しいのではないでしょうか。
これからは僕も芸術性の探求に没頭したいと思います。
おやすみなさい。
スターボーで『ハートブレイク太陽族』
こたつを出しました。
毎年この時期にこたつを出すのですが、はじめてスイッチを着けたときに必ず焦げ臭い臭いがします。
たまったホコリが燃えているのでしょうか。
この臭いを嗅ぐたびに冬の到来を感じます。
少しおしらせがあるのですが、来年引っ越すことになりました。
と言っても京都市内ですが、太秦です。
太秦映画村というところの近くです。おそらく。
まだあのへんの地理がよく分かっていないのですが。
自分の仕事場やアトリエがすごく近くなるのでいろいろ集中できそうです。
今住んでいる百万遍には近くにたくさん友達がいたのですが、さようなら。
少し遠くなりますね。
太秦の近くに住んでいる友達、こんにちは。距離が縮まりましたね。オススメのカフェがあればおしえて下さい。
その中間くらいに住んでいるお友達。
距離変わらないね!これからもよろしく!
広島に住んでいるお父さんお母さん
引っ越し手続きの保証人になってくれてありがとう!
そして、去年結婚した妹と旦那の筆職人の宗道くん!
これからも良い筆つくりつづけてね!
そして将来の自分!
現実社会は厳しいけど、世間の目を気にしてちゃ、作品なんて面白いものできるわけないじゃん!
仕送り?
そんなの遠慮してちゃダメ!
もっともらわなきゃ!
でも親に感謝はするように!
作品つくるの止めた時。そんときは仕送りストップしてもらおう!
野球の松坂と僕は同い年です。だから変にライバル意識があります。
松坂の方がお金を稼いでいるし、人気もあります。背も僕より高いですし握力もおそらく僕よりあります。
例えば僕が河原の石だとしたら、松坂は何の石でしょうか?
例えば僕がコンソメスープだとしたら、松坂は何スープでしょうか?
例えば僕がドラゴンボール23巻だとしたら、松坂は何の何巻でしょうか?
同世代で活躍している人を意識しているといろいろ考えてしまいます。
という感じでだんだん空の雲も秋っぽくなってきました。
まだ昼は暖かいですが。
この間、日本海にサーフィンにいってきました。
サーフィンは初めてから2年くらいでしょうか。行った回数でいえば6回くらいです。
近くに海があればもっと練習できるのですが、ぜんぜん上手くなりません。
昔、サーフィンといえばすごくチャライイメージがあったのですが、実際やってみると全然ちがいました。まわりでやってる人を見てもみんな体育会系で、本気でやっている人ばかりです。
沖でかわいいネエチャンをナンパしようとする人なんか専らいません。
と言うかもう秋なので海水浴に来ようとする若者もいませんですし、水も冷たいですから。
みんなウエットスーツきてマジです。
そんななか女性サーファーもいます。女性サーファーもマジでやってます。僕なんかより全然うまいし、来る波来る波ぜんぶもってかれちゃいます。
女性サーファーは絵になります。男性が波に乗るのとはわけが違います。
女性らしさがフォルムにでていて波をすべっていく姿がとても萌えます。
その女性はピンク色のサーフボードに黒のウエットスーツでした。
遠いので顔ははっきり見えませんでしたがとてもドキドキしてしまいました。
そして夕方になり暗くなってきたので帰ることにしました。
偶然にも駐車場でまたピンクのサーファーに遭遇しました。しかも隣の車。
いったいどんな女性じゃろ、とチラッと見てみました。
おばちゃんでした。
別に誰もわるくありません。
おやすみなさい。
こんにちは。
丁度一年前くらいに自分のアトリエで鈴虫を飼っていました。
やがて秋になると卵を産み、そのあとはみんな力つきてしまいました。
何となくそのまま土だけになってしまった水槽をトイレのなかに放置していたのですが、今年の6月中旬に無事大量の新生児が卵からかえりました。
まさかほんとに産まれるとは思ってもいませんでした。霧吹きでたまに土を湿らせてはいたのですが、まさかほんとに産まれるとは思ってもいませんでした。ほんとに。
産まれたてのときは黒くてちっちゃいのがうじゃうじゃしていたのですが、今では立派に鳴っています。そしていまどきの鈴虫は大人なもんで、もう卵なんか産んじゃっていました。土に何回も刺していました。
さすがに来年はそうとううじゃうじゃしそうなので近くの山にでも放流しようかと考えています。
去年飼っていたのが15匹くらいで今年は100匹くらい、来年は800匹くらいでしょうか。
ナスやキュウリが何個あってもたりません。すごい繁殖力です。もう山に逃がすしかありません。
近所のこども達に配ってみようかしら? とも思ったのですが、ただでさえアトリエにこもって何やってるか分からないあやしい人間が、鈴虫なんか配り出したらさらにあやしくなりそうなのでやめました。
ちなみに鈴虫はナスやキュウリが大好きなのですが、食べながらそのエサの上にフンをします。
「鈴虫は自分の飯の上に糞をする」のです。
コレを何かに例えて話を膨らませようと思ったのですが、全然思いつきませんでした・・・。
なので告知をします。
食欲の秋、読書の秋、芸術の秋、木彫りの秋、スポーツの秋、...などなどいろいろありますが、
おそらく、みなさんが秋と言って一番に思い浮かぶのは「木彫りの秋」でしょう。
ギャラリー恵風(京都)
花岡伸宏展 「ピンセットの刺さった円柱の飯は木彫りの台を貫通する」
会期:2010年9月21日(火)〜 10月3(日)12:00 - 19:00(最終日は18:00まで) 月曜休廊
ちなみにちょっとしたオープニングパーティーが9月25日(土)の夕方くらいからあるので、お時間ある方はお越し下さい。
というふうに、結局告知のためのブログでした。
おやすみなさい。
先日、お盆休みに入る前に一足先に実家に帰ることにしました。
といっても今は作品の制作のため仕事はほとんどしていませんのでお盆休みはあまり関係ありません。 とても贅沢な時間をすごしております。
京都と違い、僕の実家の呉市(広島県)は人が少なく昼間にも関わらずとても静かです。散歩していてもすれ違う人がほとんどいません。コンビニも駅の近くに数軒あるくらいです。
そんな街で僕は地元の友達と飲みに行くことがとても楽しみです。
小、中学校からの友達は今になっても全ぜん変わらず、会うと一瞬にして昔のあの頃にもどったような気持ちになってしまいます。
唯一変わったところは伴侶ができ家族を養っているところでしょうか。もちろん僕と同じように独身の人もいますが。
しかしもうみんな今年で30歳です。 おじさんです。
そんな友達に会うのが楽しみです。
そして今回帰郷した目的はもう一つあります。
このあいだ事故で亡くなった矢野くんに会うことです。
実家につくと早速いろいろな友達に連絡をとり矢野くんの家の住所を調べました。
そして何とか住所や連絡先などを確認することができました。
少し緊張しましたが、家の方と連絡をとり次の日に訪問させて頂くことになりました。
詳しい道のりが分からなかったため、何となくパソコンで住所を検索するとグーグルアースという地図がでてきました。
はじめは宇宙の画面ですが、マウスで動かすとだんだん日本に近づき、そして広島から呉市、そして矢野くんの家の上までいっきにズームインしていきました。
しかも更にクリックすると家の近くの自動販売機や海の景色までも実写で確認することができました。時代は進んでいるようです。
次の日、駅からバスで1時間くらいかけ矢野くんの家に向かいました。海沿いの道路をフェリーと並走しながら走るバスの景色はとても穏やかでした。
そして昨日パソコンで見た風景を確認してバスを降りました。
そこから10分程あるいたところにで矢野くんの母が迎えてくれました。
近くまで来て迷ったので電話をすると、「後ろを向いてください!」と言われ振り向くとお母さんでした。
家に案内され階段をあがった所に矢野くんの部屋がありました。綺麗になった部屋には仏壇と遺影が飾ってありました。
そして僕はそれを見た瞬間に立ち止まってしまいました。体がかたまり遺影の矢野くんと目があったまま少しのあいだ動けなくなりました。まるでお葬式のコントでもやっているかのような新品の遺影は僕に現実を教えてくれました。涙が止まりませんでした。
そのあとお茶を頂き少し頭が飽和状態になったままでしたが、矢野くんの思い出をお母さんにお話しました。
最後に矢野くんと飲んだ時に音楽の話で盛り上がった事もお話しました。そしてその時に矢野くんが僕のiPodでずっと聞いていた音楽のCDを持って来ていたのでお渡ししました。
話の途中で度々無言が続き、その度にお母さんと僕は矢野くんの遺影を眺め何度もうなずきました。
映画「おくりびと」のイメージソングでAIさんという歌手の歌詞のなかで
「愛は刃物より胸につきささる」
という表現があります。
このやりきれない気持ちを代弁してくれるこの言葉はここ最近、僕の耳から離れません。
こんな暗い話の中、今夜歌います。
エレファントカシマシで
「俺たちの明日」
昔、中学校の頃によく地元の体育館でやっていた新日本プロレスを見に行っていました。当時見ていたプロレスラーの中に西村修という選手がいたのですが、この間たまたま大阪で再会しました。
参議院選挙のためいろいろな場所で選挙の演説をやっていたのですが、西村さんも出馬していたのです。
僕の知っている西村さんはプロレスラーで、当時の印象ではそんなに強いほうではなかったのですが、とてもガッツがあり粘り強い試合で観客を盛り上げていたような気がします。まさに正統派プロレスラーです。
しかし、途中で医師に癌を宣告されて一時はプロレス人生も危ぶまれたのですが、長い闘病生活により癌を克服されました。
そのあとくらいからは僕はあまりプロレスを見なくなっていたのですが、先ほど調べた所によると
映画「いかレスラー」の主題歌を歌っていたり、2007年にハッスルにも「ムガール帝国の賢人」という設定でニシム・ラマとして参戦していました。
その後も活躍されていたので嬉しく思いました。もちろんプロレス人生も続行されています。
そんな西村さんにたまたま再会したのです。
再会したといっても演説を一方的に見ていただけだったのですが、ふとした瞬間に周りで聞いていた人たち一人一人に順番に握手をしはじめました。
はじめは手前にいた人達に握手していたのですが、だんだん2列目の人達、その次に3列目の人達とどんどん僕の方に西村さんが近づいてきました。そして僕の前に立っていたおばちゃんのところまで西村さんはやってきました。
しかしその時点でたくさん人がいたせいか、西村さんの握手する方向が少し斜めになりはじめていました。
ヤバい!反れるっ!
と思った瞬間、西村さんは僕の方を振り向き僕のあきらめて下がっていた手を持ち上げ、両手でグッと握手をしてくれました。
西村さんとの再会です。
僕は握手したとき何か昔プロレスを見ていた事とかしゃべろうと思ったのですが恥ずかしくて何も声が出ませんでした。
そして西村さんは一人一人に握手をしながら名刺も渡しており、僕も名刺を頂きました。
有名人の名刺なんて初めてです。 しかもプロレスラー。 しかも西村修。
この名刺に自分の展覧会のDMなんか送ったら見に来てくれるのでしょうか。
もし見に来てくれるのならば、もっとプロレスについて話たい。
癌を患いながらもその屈強な精神力で乗り越えた西村さんのプロレスに対する思いはどこからくるのか。西村さんにとってプロレスとは何なのか。
僕の好きなのは参議院の西村修ではなく、プロレスラーの西村修なのです。
プロレスに人生をかけている西村修が好きなんです。
この西村修のプロレスを自分で置き換えてみるとこれはやはりアートなのかもしれません。
しかしながら、西村さんほどのストイックさがまだ僕には無い様な気がします。
もっとこの精神を見習わなければなりません。
では実際どうすればこの様な強靭な精神力(ストイックさ)を養うことが出来るのか。
西村さんは癌の克服後、インド哲学に興味を持ちインドに修行の旅に出かけています。
西村さんはこうおっしゃっています。
「インドの人々のすごいところは、死を恐れないことです。彼らは、死ぬことが怖くない」
そうです、インドに行けば良いのです。
そんな西村さんが今夜歌います。
映画「いかレスラー」の主題歌で
「いかレスラーの歌」