アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

お盆が終わりました。


今年は実家にも戻れず、お墓参りにもいけませんでしたが、京都の家から一人、実家の方には先祖が帰ってきているのかなと想像をして、手を合わせたりしていました。
先祖が子孫の元へと帰ってくる。それを迎え、また送っていく。なんて素晴らしい行事なのだろうと思います。
こういう節目があることで、見えないものを見るように遠い先祖まで想像を膨らましていく。自分から伸びる遠い時間に想いを巡らす。それだけで気が引き締まる想いがします。
来年は必ず帰ろうと決意をしました。


来月9月に公演する新作のTrailerが完成しました!



特設webサイトもできましたので、よければ覗いてください。

http://dots.jp/kakame/

暑いです。とにかく暑い...。
この2,3日の日差しは殺人的なものがありますね。
外でお仕事をされている方は本当にたまらないと思います。
僕も昔、短い間ではありましたが、夏の日中ずっと外を走りまわっているようなアルバイトをしていたことがありましたので、その厳しさは想像に難くありません。


天気と人の気分は変わりやすい、というような言葉がありますが、納得というようなこの10日間でした。
梅雨で降ったり止んだりのうっとうしい日が続いていると思ったら、集中的な豪雨、そして梅雨空けと同時に世界を裏返したような極端な強い日差しと青い空!
自分のことで言えば先々週末(11日)まで、ものすごく久しぶりに俳優で舞台に立っていたりしたのですが、
その本番が終わった瞬間、dotsのクリエーションに突入しました。
(本番が終わった1時間後には、skypeでミーティングしてました。その後はもちろん撤収して、打ち上げましたけど。)


今週は連日、怒濤の打ち合せウィークの一週間でした。毎日いろんな人に会って話す中で、日々いろんなことを考えさせられます。作品を作っていくことに緊張感が出てくる中で、自分のテンションや気分も日々動いていきます。特に本格的なクリエーションに入る前は、情緒不安定かというぐらいにアガリ/サガリするので、その自分につき合っていくのもちょっと一苦労。少しでも具体的になってくると少しは安定するのですが。
そんな中、人は他者と接しながら意識体にも無意識的にも影響があるのだな、ということを感じていました。


これは次の作品の一つの切り口でもあるので、その辺が意識的になっているのはあるんですが。
ちなみに、次の作品は『カカメ』というタイトルの作品を作ります。
「カカメ」というのは、鏡の語源の一つと言われていて、「カカ」というのは蛇を表わす言葉で、「カカメ=蛇の目」という意味になります。昔の人々は非常に蛇を神聖化していて、様々なものに蛇を重ね合わせ、見立ててきたという民族学的な説があって、鏡もその一つだということ。その他には、見たまんまですが、注連縄とか。あと鏡餅も蛇が蜷を撒いている姿からきているというような説です。
民俗学って、仮説の域から出ない部分もあるのですが、それがでも非常にクリエイティブでおもしろいなと思いました。想像が連鎖して、接続されて知らない世界を作っていくような感覚。


『カカメ』はまもなくフライヤーも出来てきますので、目にした方はぜひお持ち帰りください。
それでは、この辺で。

以前のブログで書いた、西陣のカフェに今日もいて、もう3時間くらい。
そこにある庭が、なんでもないような庭なのだけど(いや、とても良い庭なんですが)、ずっと見ていると、見えなかったものが見えてくる。それは見えないものというより、認識していなかった部分が見えてくる。
庭をただ、こういう「庭」なのねって、捉えてしまうと見えなくなるものがあるのだということが、また実感として再認識された。


「庭」という概念で庭を見ている状態があって、その「庭」という概念が消えていくまでそこにいる。
ふっと見え方が変わる。
そうすると、これまで見ていたものとは全然違う、初めて見るようなものとして、色々なものが見えてくる。
新鮮な体験として、ちょっとした驚きと共にそこにある「庭」を見ていく。もうすでにそれは庭ではなくなってるんだけど。
もっと細部の部分で思わぬところから生えている枝だったり、全体の枝と葉の入り組んだ複雑さだったり、苔の質感や色だったりが、それまでとは全然違うものとして認識されていく。


こういう風に、ふっと自分の見え方が変わることや、認識の仕方が変わる経験というのはうれしいもので、こういう経験が多いことが豊かなことなんだろうなーと思ったりする。
芸術に触れることもこういう経験の一つですしね。


そして、日が暮れてくるにつれて、徐々に光と影の関係性が変化してくる。
太陽の光が弱くなるにつれ、人工的な照明器具の光が樹々を照らして影が見えてくる。
いや、影が生まれてくるという感じの方が適切かも。
影の存在感が増してくると、いよいよ夜の時間が始まるぞという感じで、自分の違う側面が元気になってくる。
光がベースにある世界が、闇がベースにある世界になっていく。
その陰影が想像を刺激するし、世界を多様なものとして認識させてくれるような気がする。


影を好きなのは、影が情報を省いて、そのものの姿が形としてシンプルに見せてくれるから。
ある存在があって、光があって、影が生まれる。
その影という存在に妙に惹かれるものがある。
物質も光もなければ、影は存在しない。
でも、もし影が存在しないとなんて薄っぺらい世界なんだろうとおもう、ときっとおもう。


でも、歌舞伎の照明はまったく影を出さないようにわざと作ったりするんですよね。
あれ、どういう意味があるんだろう?
今度調べてみよう。

&ART-EVENTが終わってから、約1ヶ月。(ほんとうにたくさんのお客さんが来ていてすごかったですね。)
この1ヶ月は9月に予定している次回の新作のことを考えてました。
現在、チラシの第一弾を制作中なのですが、とにかくタイトルがきまらない!
去年の『KISS』という大きな公演の次の「本公演」(本公演とは、そのカンパニーや劇団のメインの公演といっていいのか、グループ展と個展でいうと個展みたいなものでしょうか。わかりませんが。)ということもあり、やはり気負ったりもしているわけです。


悶々としながら、構想を深めていくのですが、気がつけば、作品のことを考えているようで、自分の人生を見つめていたりしてる時間の方が多かったりします。
他のメンバーからすれば、そんなことを考えているなら、早く作品を考えろと言いたいところだと思います。そうは言っても、作品を作ることと生きることはなかなか切り離せないわけですから。
そこを切り離せて頭で考えてポッと作品が作れたらそりゃ楽だとは思いますが、まぁ、そんなものは見たくないですし。


作品を作っていると、自分のことが鏡のように見えてくることがあります。それで自身のことをこれで良いのか? と考え込んでしまったりすることもあるのですが、その過程を経ることで作品が太くなってくるし、自分のことや他人のことや世界のことが少し理解できるようになったりもします。


舞台芸術の場合、必ず他者が介在するので、クリエーションの場では常に自分が問われているような感覚です。なので、作品に成長させられるということは毎回感じています。しかし、そうして生まれてきた作品が本番で観客にどのように届くのかが、一番緊張する時間であり、問われている瞬間なのです。
観に来てくれたお客さんの生の側面に一点でも確かな接触点を持ち得るようなそんな新作が作れるように、と希望を持ってこれからのクリエーションに向かいたいと思います。


それと、6月1日には実験的な公演を京都でやりますので、よければ観に来て下さい。80人限定の一回だけのショーケースなのでぜひ予約をしてきてくださいね。詳しくはスケジュールまで。

こんにちわ。dots・桑折です。


今日(19日)はやっと暖かくなってとても気持ちの良い日で、西陣のカフェでブログを書いています。
(普段はあまりカフェでゆっくりみたいなことは無いのですが、このお店だけは別。というか仕事モードになれる。)
このカフェは、人も少なく静かで、ネットも接続できて電源まで使えるというかなり理想的なカフェなのですが、数日前に新しく縁側の席が新設されていて、外の空気を吸いながら小さな箱庭の中にいるような感じで仕事をすることができます。
家にいると集中できない方なので、何かやらないといけない時は起きたらできるだけ早く家をでようとします。
今日は暖かいし鴨川でも行きたいなー、でも仕事しないとなーという感じだったので、うってつけの環境に身を置くことができました。


普段カフェや喫茶店を使うというと、街の中心部あたりでミーティングだったり、打ち合せだったりするので、結果的に長時間居座ることになり、お店の人に嫌な顔でちらちら見られたりするので、とても悪いことをしているような気分になったりもしたり。まぁ、お店の側にしたら、珈琲一杯で長時間居座っている嫌な客であることに間違いはないのですが。


一昨日まで、三日間東京と埼玉の劇場に行ってきて、今日のようなゆったりとした時間を過ごすと京都に帰って来たとしみじみ感じます。
毎年この季節は、花粉症持ちにとっては地獄のような日々なのですが、今年は花粉が少なく、かなり軽減されていました。が、東京に行っていたからなのか、昨日あたりになってちょっと症状ができました。今も鼻をかみながらこれを書いていて、目の前にティシューの山ができつつあります。


と、山繋がりで話は変わって、アイスランドの火山噴火の影響が思いがけず、身に降り掛かってきました。
現在dotsメンバーの一人が、仕事でフランスに滞在制作をしていて、20日の飛行機に搭乗予定なのですが、このままだと予定していた日に帰って来れそうもありません!
運行再開したとして、すぐに席が確保できるのかも不明。
はたして&ART-EVENTに間に合うのか!

現在本番直前の滋賀にいます。 今日19日から21日まで公演をしています。
詳細はスケジュールをご覧ください

今週は毎日のように劇場に来ています。
今回はオムニバスの公演なので、いつもの公演とは違い、
隙間にぽっかりと時間が空いたりして、そういう時間をどう過ごすのかが難しいです。
特に初日を向かえるまでは、そんな時間がとてももどかしい時間なのですが、
ふっとクリアな現実に意識が引き寄せられたりもします。


いつのも日常の中で感じる感覚とは少し違う、景色がもっとクリアになって、
ポツンと世界の中に一人立っているような感覚が新鮮に気持ち良く感じます。
それ以外の時間が劇場や作品に集中して向かい合っているから、
そのように意識が解放されるのかもしれません。
観に来てくれた観客の方にも、公演後劇場を出た後に同じような感覚を
感じてもらえたら良いなと思いました。


本番直前なので、今回はこのあたりで。
よければ、劇場までお越しいただければうれしいです。

長谷川一郎さんや田中真吾さんがブログリレー書いている[オラファー・エリアソン]、僕にとってすごく刺激を与えてくれるアーティストの一人です。(金沢行きたいけど、行けそうにない!)
今回はそのオラファー・エリアソンの話題から展開していこうかと思います。


2008年にNYにたまたま行くことができたのですが、その時に運良くMoMAで大規模なエリアソンの展覧会を観ることができました。MoMAとP.S.1の両方を使った本当に大きな展覧会で、二日にわけて観に行きました。それを観れただけでも、NYに行けて良かったと思えるほどの展覧会でした。
彼の光を使った作品には大体やられます。展示の中で印象に残っているのは、通路の壁に無造作にもたれかけられた鏡と天井からの照明機材が一つあるだけで、その鏡に反射して通路に光が当たっている、というだけのシンプルな作品。そのシンプルさの中にとても深いものを感じました。もっとたくさんの素晴らしい作品がありましたが、書き出すとおそらく止まらないので、今回は割愛させてもらいます。


そして、光のアーティストの大御所と言えば、[ジェームズ・タレル]ですね。
タレルの作品を初めて見た時は確か二十歳だったと思うのですが、その体験では本当に感動してしまいました。


この二人の光を扱うアーティストに共通して感じることは、僕にとっては鑑賞者の存在を強く意識していることです。
タレルの場合は、鑑賞者の知覚にどうアプローチするかというところから普段は知覚できない光や、自分の知覚/感覚自体を驚きをもって新鮮に感じさせてくれます。
エリアソンの場合は、ちょっと目線を変えさせてくれることで、普段でも目にするような素材や光景を特別なものへと変化させてくれます。使っている機材も(僕のとってはよく目にする普通の)舞台照明だったりするし。鑑賞者自体や鑑賞者同士の関係性を作品に組み込んだ作品は、全然いやらしくなく、自然と見ている人同士で笑顔になるようなこともあったり。(これは外国だったからかもしれませんが。)


そのような鑑賞者の存在や視点を計算された作品にはいつも刺激を与えられます。
舞台の場合、観客/作品の関係性が観るもの/観られるものという構図が強固なのですが、なんとか舞台でもその関係性に揺さぶりをかけられるようなことができないかと思ったりしています。


光というメディアは、視覚をコントロールするには必要不可欠なものなのですが、
実はあまり意識されないものでもあったりするのかもしれません。
あたりまえに太陽があり、夜には月があり、家に帰ってスイッチを入れれば明かりは点きます。
都市に住んでいれば、夜道を歩いていても、「本当に暗い」と感じることも今では少なくなってきました。
(僕の実家はものすごく田舎でトイレも家の外にあったので、幼い頃は夜にトイレにいくのが本当に怖くて、いつも走っていってました。)
光がなければ実は何も見えないということや、光の存在自体を感じることが考えてみれば少なくなってきているなーと。


舞台の始まりはたいてい、一度暗転して(真っ暗にして)から始まります。
そのことを、一度「観客を殺す」という表現をした人がいました。
日常の感覚や、その観客の日常的な存在(社会的な存在)のあり方、価値観を闇を通過することで「殺す」ということです。
そこから作品を新鮮な感覚で観る為の儀式のようなものという捉え方です。
舞台が始まっていく「暗闇」に感じる、何か新たな体験への期待と同時に自分がだれでもない観客という存在の一人になっていく感覚は、そういえば気持ちの良いものだと思います。それを殺すという表現をしたことに、僕はとてもまっとうなものを感じます。
光と闇、それぞれの力をあらためて捉え直して、作品に活かしていきたいものです。


というところで、ちょっと宣伝なのですが、3月の公演では、企画の大枠のテーマが、「照明と身体の妄想」。
三つの作品のオムニバスなのですが、dots以外の作品では、ダムタイプでの活動やLED照明を使った作品で知られている藤本隆行さんが照明をされます。少し話しを聞いている段階でもとてもおもしろそうです。
dotsでは派手ではないけど、渋い光の使い方を妄想中です。


今回は、そんなつもりなかったのに長くなってしまいました...


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