アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

こんにちは、Antennaの市村です。


最近家の近くで、蝉が鳴いていました。


さて、今年の2月に香川県は丸亀の猪熊弦一郎美術館に言ったときの話です。
杉本博司展を見に行き、うどん食ったりして帰路につきました。
23時も過ぎた頃でしょうか、大阪から京都にかけての高速道路上で、
覆面パトカーのご厄介になってしまいました。
いわゆるスピード違反ってやつで。


それはさておき、覆面パトの中で警察官といろいろ必要なやりとりをしたのですが、
こちらの気持ちをほぐすためか最初の頃にこんなこと聞いてきました


警察「今日はどこ行ってたんですか? 帰りですか?」


僕「丸亀、香川に行ってました。で、今帰ってるとこです。」


警察「あ、うどんですか。」


ここで、捕まってモヤモヤしていた僕は、
うどんもしっかり食べていたのにも関わらず、
主たる目的は美術館やし、というどっちでもいいような意地が湧き起こり、


僕「美術館行ってました。」


警察「あ、すいません。。」


たしかに僕の言い方はいささか不機嫌だったかもしれません。


でもなんで謝るの?って感じです。
うどんを食いにいくのと違って美術館に行くのは高尚で、気軽なことじゃない、
みたいな雰囲気があって、なんだか僕はそれに違和感を感じるのです。


うどん食いにいくのと同じように美術館行くような世の中になればいいのになって。
そんなこと思います。


お巡りさんが「杉本博司ですか、どうでした?」とか言うよういなればいいのに。


そのためにはまだまだいろんなことが必要なのかもしれないです。
でもまずは自分がそう思わなきゃなって。


昼飯を食いにいく感じで、美術館行くとか、なんかステキじゃないですか。


話は変わりますがアートフェア京都に「Antenna Media」として参加しました。
お越しいただいたみなさん、そして縁あってジャッピーを連れ帰っていただいたみなさん、ありがとうございました。


次回はハローワークに行った時に、職員の方に諭された話をお届けしようと思います。


ではまた、みなさん、わっしょいです。
(写真は従姉妹とその娘とジャッピーです。)


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こんにちわ、田中です。ここ最近考えていた事を全部まとめて書いてしまいました、長いです。最後までお付き合いいただけましたら幸いです。


顕在意識の拡張について


私という一人の人間を基準に世界を考えたとき、「私は限りなく大きな世界のごく一部であり、大きな世界からの強い影響を受けている。」すごく抽象的な言い方をしましたが「限りなく大きな世界から受ける影響」について、どのような想像をされたでしょう。そこには人によって大きな差が生じるのではないかと思います。


私一人の人間を基準にして考えるとして、宇宙に存在する莫大なエネルギーは絶えず私に影響を及ぼしています。あまりに言葉が飛躍すると拒絶感を抱く人が出てくるかもしれませんから、もう少し詳しく言いますと。私たちが生息している地球は月や太陽の影響を受けています。太陽からのエネルギーが存在しなければ、そもそも生命、地球すら存在していませんし、月の存在は海の潮汐を生み出し、地球上に多種多様な生命が反映するきっかけを与えてくれました。私たちの体にも直接月の引力は影響を及ぼしています。女性の方は特に強く反応されるのではないかと思います。


また地球に絶え間なく降り注ぐ宇宙線のエネルギーは地球の気候変動に影響を及ぼしており、地球温暖化という現象が果たして人間のCO2排出が原因なのか?温暖化によってCO2が排出されているのか?疑問を投げかける研究者達もいます。温暖化とは別にしても炭素ガス排出はもちろん減らすべきだと考えますが。地球は太陽系、銀河系、さまざまな星々との物理的エネルギーのバランスによって誕生し、成立しています。


それらの星達が存在する為にはビッグバンが無ければありえませんから、私たちの存在そのものが宇宙の起源が作り出した因果の中に存在していると考えられるのではないでしょうか。いま私自身がパソコンに向かって行動している「今」はこれら宇宙の広大な相互的エネルギー関係の結果によって存在していると言えるのではないかと。


私という人間を最大として考えたとき、私の体内には私が影響を及ぼす約60兆細胞、100兆を超える常在菌が存在しています。互いに科学反応をおこし、科学物質の交換、エネルギー伝達を行いながら、日々誕生と消滅を繰り返しています。私がパソコンに向かいながら文字を打つたびに、様々な体の器官は互いに連動し情報、エネルギーを伝達し合い、コーヒーを口に含む度そこに含まれる物質は体に存在している様々な器官、細胞に運び込まれその影響を受けます。カフェインだと自律神経がビリビリと反応しているのを体感出来たりします。ゆっくりと呼吸し、それを意識する事で酸素が体を巡り活性化する肉体を感じ取る事も出来ます。細胞は水、タンパク質、脂質等の様々な分子によって構成され、それらは原子の集合体であり、さらには陽子、中性子、電子等の素粒子がそれらを形成しています。


素粒子の世界には5次元、6次元がたたみ込まれているのではないかと宇宙物理の専門家は考えているそうです。個人的には量子力学と意識の相互作用に関する説が好きです、この領域はアートにとって重要な事項だと感じていますが、まだまだ未知の世界ですね。勉強しなくてはなりません。(※量子力学と意識wiki) 


物質的な側面でのみ書きましたが、時間にも同じ事が言えるのだと思います、人を中心に考えれば100年という時間は非常に長いですが、地球や太陽にとってみれば一瞬かもしれません、一日という時間はあっと言う間に過ぎてしまいますが、菌や単細胞生物にしてみれば相当長い時間になるかもしれません。時間や空間はそれぞれ各々に相対的に存在し、それらを規定する単位は全て人間を中心にしたモノでしかないのです。地球に基底されている私たちは一定の時間を共有しているかもしれませんし、それぞれ質量によって多少時間の歪みはあるかもしれませんね。


私という体は生まれた時より地球から様々なエネルギーを吸収し、排出しやがては死んでこの世界に断片化され、どこまでも拡散していきます。私の肉体を境界として考えましたが、ミクロの世界にも、マクロの世界にも無限に続く世界の延長があり、私はその境界に過ぎないのだと度々実感します。


(※チャールズ&レイ・イームズ夫妻が制作した「Powers of Ten」をご覧下さい。視覚的情報として補完いただけるかと。)


3月11日、東北を中心に発生した東日本大震災では、知人、友人は無事、自分も特に影響はなく、計画停電等もありませんでした。ここ、京都では驚くほど平和で何事も無かったような通常の世界があります。もし京都を境界として考えれば京都では平穏無事、遠く東北という地が大変らしいという事になってしまいますし。日本という境界で考えれば未曾有の緊急事態が今、日本に襲いかかっており被災地の問題や原発の問題は依然として未解決であり由々しき事態である、と感じるのではないでしょうか。


想像する、境界を設ける範囲は意識次第で変化します、しかし前半で記述したように全ての事象は関連性の中で起きています境界など無いのです、もしあるとすれば境界を規定する私たちの意識では無いでしょうか?あれだけの大きな地震と事故、被害者の方々が今存在しているという事は、それらがやがては物質、エネルギー、情報等の伝達によって自分たちに多大な影響を及ぼすはずなのです。腕を切り落とした体を想像してもらうと伝わりやすいかもしれません。震災に関しては多くの人々が注目していますが、ゆっくりとした変化、異常に人は気付きにくいのではないでしょうか、日常的な生活の中にも非常に多くの切迫した問題を抱えていると私は感じています。僕はこの機会に全ての人々に「世界中の問題はやがては自分たちに影響を与えるし、自分たちの日々の生活は世界中に影響を与えている」とい言う事をもう一度考えてほしいと思ってます。



(※複雑系と概念化してしまった時、地続きのリアリティーが失われる危険性を孕む気がします、イメージすれば意識は繋がるはず。複雑系wiki


私たちが日常的に電気を消費している事は原発、その他エネルギー事情と関係があり、日々消費している石油燃料、精製品、は多くの国々と関係し、炭素を地下から地上へと大量に放出し、私たちが消費 廃棄している食料は世界の飢餓を生み出す要因となり、モノのように動物達の命を奪い続けている事、まだまだ問題は山積みであり、それらは時に戦争を起こし多くの命が失われる。


全ては相対的な関係の中で因果応報となる。宗教でもスピリチュアルな事を言っているわけでもなく、それらの因果関係に眼を向けてやれば必然的に人として未来に生きるべき道は見えてくるはずなのです。以前、私が太陽の写真作品を見せた際、「太陽の光は美しく言葉にならない感動がある」という自分の言葉に対し「スピリチュアルな感じはマズイですよ」と言うアーティストがいた。僕はそれこそ想像力の欠如だと思う、太陽エネルギーとそれに伴う炭素等の循環が無ければ人間は存在出来ませんし、その自然の循環に人が惹き付けられるのは当然。太陽を空にただ光る存在として言語的に、概念的にとらえてしまう行為こそマズイのではないでしょうか。自然の一部であった人間は、自然すら自分たちの一部として扱ってしまう現代社会、これは非常に危険な先行きの見えぬ人間のあり方だと思います。


この記事のタイトルを顕在意識の拡張としたのは、人々は無意識下では万象に対する影響を多大に受け行動しており、それらを再認識、自覚する意識の有り様を提案したかったからです。アートはそもそもがそういう存在であったのではないでしょうか、アーティストは無意識世界の認知を眼前に物質化、存在化する技術を有した人々だと思っています。Artが自然に対しての、人為、作為、技術という意味を語源的に有しているのはそのためだと考えます。アートは人の心と外部をつなぐ大切な役割をもっているのではないでしょうか?


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(※上記の内容と関連して載せました上図南方熊楠「事の学」もおすすめです。)


私は作品を通してこのような意識の変化に対するきっかけを作り、少しずつ世界が変われば良いなと、やや楽観的にアーティスト活動を行ってきたように感じています。ただこの度の東日本大震災とそれに伴う原発事故によって事態は緊急を要し、全ての人々がいま変化を起こすべき時だと強く感じました。現状自分に出来る事はひどく地道な活動であり、すぐに大きな変化をおこす事は出来ません、それでも作品やその他活動等を通してその一助になればと考える日々が続いています。


田中英行(Antenna)

こんにちは、Antennaの市村です。
&ARTとの約束を全然守らず、ひと月飛ばしの上に日にちも遅れて書きました。
そして、僕はほんとに言葉にしたり文字にするのが苦手だなと痛感してます、ごめんなさい。


最近、デザイナーとして、とか、アーティストとして、なんていう、○○として何ができるか、
みたいな言葉を目にしますが、なんだか僕はそれが気持ち悪いです。
アーティストとして、っていうかその前に、例えば僕は市村恵介という人なのです。
いくつかある僕のできることの中に、アーティストとしての一側面が含まれるかもしれない、
でも、含まれないかもしれない、ただそれだけな気がするんです。


どんなことでも、まず、人ありきなんじゃないかな、と。
じゃないと何をするにしても大切なことを置いてきてしまう、そんなのイヤです。
色んなことは人と人のローカルなつながりの積み重なりでできた円環、
つまり輪っかなんじゃないのかなって思ってます。


花岡くんがまさに東京にいた、その一週間後に僕たちは東京に行く予定でした。
六本木アートナイト関係のワークショップをするためでした。


でも、ワークショップは中止になりました。


そして、六本木アートナイト自体もその数日後に中止が決まりました。


複雑な気持ちで、うまく言葉にできません。


六本木アートナイトは3月26日、27日の予定でした。
色んな方と一緒にミコシを担ぐはずでした。


で、最近になってやっと分かりました。
みんなでミコシは担がないけど、僕は、「わっしょい」って言います。
色んな意味で、「わっしょい」って言います。
色んな人に、色んなことに、わっしょいです。
口に出さなくても、心の中で言います。


わっしょい、みんな。


「わっしょい」の語源は、諸説あるそうですが、
その中には「和を背負う」とか「輪を背負う」ってのがあるそうです。
難しいいことは分からないですが、よしとしてください。
なんだか、いいじゃないですか。
みんなで輪っかなんです、んで、それ背負ってるって。


だから、やっぱり。


わっしょい、です。

今月のブログを担当します田中英行です、年明けそうそう皆様にお知らせがあります。

Antenna(アンテナ)の2011年開催「六本木アートナイト」参加が決まりました!


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詳細はWEBサイトをご覧下さい→http://www.roppongiartnight.com/

今回のブログでは六本木にAntenna(アンテナ)の作品を展開するにあたって考えた事を書こうと思います。


α:六本木の街について

何度か六本木にて現地の下見とリサーチを行い、六本木は祝祭的な場であると感じた。

日本の生活の中で、大きな商業施設は「ハレ」の役割を持っていると考えており、日常的な営み「ケ」の中に「ハレ」は組み込まれ、境界を失い存在してるように感じる。

日常からの逸脱を昔の人々は「祭り」を通じて行ってきが現代人は消費活動の一部として、買い物旅行、音楽等に触れる事で行っていると考える。

Antenna(アンテナ)が祭りやテーマパークを作品の主たる要素としているのもそのためであり、東京や六本木のような街はそれらがより肥大した、毎日が「ハレ」状態でありハレとケの逆転が起こったような場であると考える。

ただ六本木の中には普通の生活を営む、住宅街もあり。道を一筋はいるだけで都市の喧騒とは真逆の人々の生活がある「ケ」としての場も存在している。

Antenna(アンテナ)は六本木の「ケ(住宅街)」に「ハレ」の状態を起こし、「ハレ(商業施設等)」の場に「ケ」を再考できるような仕組みを作る。そしてもう一度人々の生活そのものに目が向けられるような「場」を作る事を作品プランとして構想中。


β:ジャッピーの役割

「ジャッピー」はAntenna(アンテナ)がモチーフとして多用しているオリジナルキャラクターだが、今回のアートナイトでは、六本木の街で起きている「ハレ」と「ケ」の場を繋ぐ役割をつとめる。
ジャッピーは表層と深層の関係を象徴する存在として考えており、フラットな表面性が肥大化した社会構造をシンボリックに表現した作品。
日本人を象徴する、日の丸、富士山、黄色い皮膚等の記号で覆われた着ぐるみの中は空っぽ。そこに人が入る事で機能するが表層だけではキャラクターとして機能しない、そこに見えてくる構造が重要だと考える。


γ:人が受け継ぐモノとコトについて再考

人が連綿と受け継ぐものには言語や科学で既定できる意味を超えた意味を内包していると考える。
「生」そのものが最たる例かもしれない。百年、千年以上の時を超えて受け継がれるモノやコトには人類にとって必要な情報が遺伝子のように組み込まれているいるのだと思っている。
繰り返し行われる中で形骸化した伝統的、歴史的なモチーフに新たな角度からの視点を提示し、再考し今の時代と接続されるような機会を作ることを目指している。


δ:東京について考える

東京は街の規模がとても大きく、人口や情報、お金等が集中する事で様々な物事が過剰な状態になっていると感じる。
ものすごいズピードで日々様々なものが生み出され更新される「ハレ」の状態には面白さを感じる反面、人々の欲望が渦巻く恐ろしさもある。
創世記に登場する「バベル」の世界が具現化した場のように感じる、しかしそれは都市が背負うべき宿命なのかもしれない。


japanese_05.jpegのサムネール画像


長々と書きましたが以上のような事を考えながら、Antenna(アンテナ)として作品を詰めていこうと思っています。
これからが忙しくなりそうです!気合い入れて精一杯頑張ります。


Antenna / 田中英行

こんにちは、Antennaの市村です。


だいぶ寒くなってきましたね。
寒くなるとキュンとなります。いろいろと。


先月のブログで告知した、「琵琶湖ビエンナーレ」先日無事終了しました。
お越し頂いた方、ありがとうございました。


今回の琵琶湖ビエンナーレでも展示していました、Antennaの作品の中の「金色の雲」。
見た事あるよ~、って方がおいでかもしれません。ありがとございます。


あの雲は2006年の取手アートプロジェクトの時に作った物で、
その後、2008年の広島アートプロジェクト
2010年のさいたまのプラザノースでの個展(のPEELER掲載記事)などなどと活躍してきました。


その雲と今回の展示を最後にお別れする事にしました。
ようは解体して廃棄したのですが、
僕はある友達にその日の事を、「金雲解体祭」と言いました。


みんなででかい雲にぶつかり、汗をかき、バラし、汗をかき、袋詰め、イェイ!
気の持ちようで、それはまるで祭です。


何かをちゃんと勉強した訳ではないので、完全に僕の勝手な思いですが、
祭の起源って案外そんな感じなんじゃないかなって思うときがあります。
最初はノリ! と 勢い!だった、みたいな。


雪溶けてやっと外出れる、イェイ!
米めっちゃ穫れた、イェイ!
山が紅葉してきれい、イェイ!
あの一番高い山なんかすげぇ、イェイ!
この川なかったら生活できない、、イェイ!
子供たち集まれ〜、イェイ!
みたいな。


生活の中にある当り前の事、何でもない事、
その中からふと、これって実はなんかすげぇ事なんじゃね、って気付いた瞬間、
それをちょっとだけみんなで共有できた時、それが祭のタネになるのかなって。


そう思うと、&ARTって、
京都にこんなにたくさんのアーティストがいるんだ、イェイ!
それが集まってるぜ、イェイ!
みんな面白いことしてるな、イェイ!
それがローカルで少しずつ繋がっていくんだ、イェイ!
それって、、なんかやばくない、イェイ!
みたいな。


まさに、祭じゃないですか。
&ART祭、イェイ!


もうなんか、ノリノリですね。


僕たちが「金雲解体祭」を催していたその日、
その友達はもんじゃを食べながら熱く語る「もんじゃ語り祭」をした、と言っていました。


うん、気の持ちようで、何でも祭です、イェイ!


Antenna 市村恵介

現在Antennaでは9月より開催されておりますBIWAKOビエンナーレ2010に参加しています。思いがけない展開で急に大掛かりな映像のインスタレーションを作ることになり、久しぶりに映像を使った作品を制作しました。今回は手持ちのデジカメで撮影した映像に特に特殊な加工を用いずほぼ撮影したままの素材を構成してプロジェクションしています。今までのようなワザとらしいテクニックを用いず、いかにして普通の景色にズレを作り出し、イリュージョンを導きだすか、だんだんとサジ加減が見えてきました。


"ウツ世ウツシ" sound:AWAYA


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非常に大きな会場全体を使用した映像インスタレーションです。近江八幡の水郷にてフィールドレコーディングされた音と映像がジャッピーの形状をしたミラーに幾重にも投影され反射し光の断片となって明滅を繰り返します。


youtubeでも御覧いただけます。



田中英行、市村恵介の個人による作品も展示してます。
BIWAKOビエンナーレは11月7日まで開催中です。
この機会にぜひご高覧いただければと思います。


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BIWAKOビエンナーレ2010
会 期:2010年9月18日(土)-11月7日(日) *火曜休み 開場10:00-17:00
場 所:滋賀県近江八幡市旧市街
主 催:NPO法人 エナジーフィールド
WEBサイト:http://www.energyfield.org/project/index.php
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