アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

一生、忘れられない3月であると思います。

 
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林勇気
「あること being/something」
クロージングイベント
兵庫県立美術館

 
このイベントの開催経緯と意図が何であるのか、もう震災の事しか考えられない訳で、関わった者としては最後まで見届ける事、また記録をする事、そして観ていない誰かに伝える事が兎に角必要であると思い、ほいほい行ってきました。急なお願いを心よく引きうけていただき、有り難うございます。
映像には災害や困難と、それに立ち向かう多くの人々との行動、を見て取れました。この内容だと数日で作ったんじゃないか。
オートマチックな断片として無感情の表象として登場して来た人々が、今回の映像では明確でストレートな意志を持つ者として描かれ、登場する人々(オブジェクトではなく実在として)の人間性への作家の信頼と感謝が伝わってきた様に思います。
あまり他人を代弁するような事もきれいな事も言いたくないので、ごく個人的な事を言いますが、自然と足が向いた事、また自分の役割と、今後何が出来るかを確認すること(少なくとも方向性は導かれたと思う)ができ、また満足させていただいたと思っています。
復興( 問題はあるでしょうが)した神戸の夜景を背景とした展示は、とても印象的でした。
 
 
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tightrope walking―てんとうむしのつなわたり
京都芸術センター


イベントの直前、AMeetの取材でwahとKACの清澤さんから展示の経緯を聞いていました。
アップされた記事こちら
綱渡りの実行事態が難題続きだったそうで、よく展示として成立できたと、取材時には思っていましたが、その後、震災が起きました。
そこからの経緯、南川さんご本人が書いています。
これは是非読んでいただければと思います。
wah document
イベントは無事に成功、また展示も完成度高かった。
 
 
antennaの市村さんも触れていますが、作家として、僕ならば写真が撮れる人間としてできる事、ってのは無理に作らなくても自然と見つかってくると思います。他人からしたら糞みたいな個人の欲求に従って生きているつもりです。感情と理性と現実の整合性がとれ納得出来るかどうか。日常では表れにくかった事が、今回の件で嫌になるぐらい見えてきた様に思います。いつもはどうでも良いと思っていた事ですらムキに考えこんでしまう。

どんなにがんばっても出来ない事は出来ないし駄目なものは駄目、だと思います。ですので、その限界と可能性を少しでも拡張する事に、少なくない意義があると思っています。
紹介した2つの展示は、それで直ちに何かが変わる訳ではありませんが、その事に大きな納得をいただいた様に思います。


先だって広島市現代美術館でのサイモン・スターリングの個展を観てきました。
このタイミングで広島に関連する新作を鑑賞出来た事は貴重でした。会期もうすぐなので観てない方はほんと是非。
広島市現代美術館
 
原発のあれこれで祖父が被曝していた事を思い出しました。常日頃には忘れるもんです。どの川か、詳細は知りませんが爆心地でセシウム入りの水を飲み、その水で飯盒もしています。酒も煙草もしませんでしたが割と早くにガンが発症していました。農薬はたっぷり浴びた人生だったし、因果関係は確定しませんが、真っ先に腎臓にきていました。
何が正しい情報か、何が悪い/悪くない、何をすべきか、揺らいだ一ヶ月で、しばらく続くでしょう。
作家としてとか、本当どうでも良くて、せめて後悔しない行動をと思っています。

この国が本当に未曾有の事態に見舞われた2週間でした。そしてこれからも見舞われ続けるのだと思います。


3/11から一夜明けた早朝、朝日が津波が襲った地域を照らし出した空撮中継をTVで見た瞬間に、全てが変わってしまった、と言う実感を持ちました。


あの瞬間、人間が築きあげた営み、喜び悲しみ、泣き笑ってきた多くの心が一瞬にして消滅してしまった事が、文字通り白日の下にさらされました。1つの町が消えたりしました。そこにあった人間関係もまるまる消えてしまったりしたのでしょう。


巨大な自然の前に無力な人間を知りました。自分自身がそういう人間である事を痛感せざるを得ませんでした。そして作家と言う存在も、如何に大きな理想を掲げていたとしても、その無力な人間と言う器の中に入っているものなのだと思いました。頭の中では分かっているつもりでした。しかし初めて「知り」ました。


僕は歌う事も踊る事も出来ません。メディアが無くなれば、表現を届ける事も出来ません。


恐ろしい震災が起こってしまったのち、僕のその事実についてのリアリティーは、twitterなどのネットメディア情報をベースに作られました。


自分にあの時点で出来た事は、役に立っているのかどうかも分からないままでしたが、小さいながらも重要だと思われる情報を広めるための道筋の一部分になろうとする事だけでした。自分のしている事がtwitterで言われる「祭り」とどう違うのか自問自答しながらも、兎に角必要な人に必要な情報を届けるための道の一部になりたいと思ったし、僕が持っているもので出来る事がそれ以外には思いつかなかったのです。


必要な人、と言うのは、被災した方々のみを指している訳ではありません。もちろん実際に被災された方々には比べようもありませんが、関西で全く物理的被害を受けていない僕自身も、最大級に心を痛めつけられました。皆さんも同じだと思います。僕はその事実をとても大きなものとして捉えています。


この痛みを心の奥底に沈んだ淀んだ何物かにするよりは、いつでも胸にあって、事ある毎に取り出しては泣き出せる様な確かな痛みである方が、人にとってよほど建設的なものだと言うのが僕の考えです。どんな形にせよ動く事がエネルギーを生みます。というか、人間の感覚にとっては動いていると言う事がエネルギーの姿そのものなのだと思います。


そんな中、大学院時代の同期であり友人の作家である伊東宣明・中田有美夫妻から、3/26日のGURAでのお祭り、G祭の日に合わせたチャリティー展の企画が持ち込まれました。
ご存知の方も多いと思いますが、「DONATIONS!!」(http://donations-gura.jimdo.com/)と言う展覧会でした。
夫妻の行動力と心意気に脱帽です。またGURAをつかってもらって本当に良かったと思っています。僕は一個人として被災地復興の為の寄付がしたいと考えました。ですがこの展覧会のお陰で、作家である一個人としてそれが出来ました。Webデザイナーの荒木さんにはタイトなスケジュールの中でかなりの苦労をお掛けしたと推察します。多くの作家さんが、所属やキャリアの隔てなく参加してくれました。&ART掲載作家さんからは林勇気さんにも参加をして頂きました。辺鄙な場所にも関わらずいろいろな層の方々にご来場頂きました。うちの大家さんにも応援を頂きました。この場を借りて、関わった全ての方に御礼申し上げます。


そしてG祭も予定通り開催しました。こんな時だからこそ、人と会い、笑い合う場が必要だと思ったからです。出店者、出演者の方々とそう言う気持ちを共有できた事を嬉しく思います。こちらも様々な方にご来場頂きました。知り合いの方々に加え、地元の伏見の作家の方、音楽家の方、昆布屋さんも。誠に有り難うございました。僕は夜半にダウンしてしまいましたが、、、ようやく今朝回復しました。で、締め切りをオーバーしました。。。


とにもかくにも、GURAと言う場所をやっていてこんなに良かった事は無いと思えた日々でした。目的を持つ事で、再び日常を取り戻す事が出来たからです。


この震災を契機に、日本と言う国の社会構造は変化を求められると思っています。過去に置き忘れて来たものが戻ってきました。見ないようにして来たものも見ざるを得なくなりました。
「アート」と呼ばれる分野においてもその状況は何ら変わる事は無いと思います。


今言える事は、多様な価値観を、刹那的な有益性にとらわれずに受け入れる余地のある社会の実現、をこちらからも働きかけていかなければいけないと言う事だと思います。逆に、余地の限られている中で、社会からの精査を受けても屹立できる強さがどのような形の表現においてもシビアに求められると言う状況も生まれるでしょう。寛容さと実際性、と言う一見相反する要素が個々人の作家の中にバランス良く両立している、と言う非常に難しい第一歩。社会の中に機能的な余地、余白や緩衝地帯を作り出すと言う第二歩。表現がおばあちゃんの知恵袋のように機能できるか。


夏の終わりの東北撮影旅行では、甚大な被害を受けた被災地も通りました。仙台から太平洋沿いを宮古まで北上しました。GURA活動とは別に、自分がこれから先の段階で、それらの素材をどのように扱い何が出来るのか、今は自分に問いかけています。


亡くなられた方の冥福を心からお祈りします。被災地復興を願います。被災者の方々の心が少しでも健やかになる事を願います。僕が何が出来るかを考え、表現して行こうと思います。

こんにちは、Antennaの市村です。
&ARTとの約束を全然守らず、ひと月飛ばしの上に日にちも遅れて書きました。
そして、僕はほんとに言葉にしたり文字にするのが苦手だなと痛感してます、ごめんなさい。


最近、デザイナーとして、とか、アーティストとして、なんていう、○○として何ができるか、
みたいな言葉を目にしますが、なんだか僕はそれが気持ち悪いです。
アーティストとして、っていうかその前に、例えば僕は市村恵介という人なのです。
いくつかある僕のできることの中に、アーティストとしての一側面が含まれるかもしれない、
でも、含まれないかもしれない、ただそれだけな気がするんです。


どんなことでも、まず、人ありきなんじゃないかな、と。
じゃないと何をするにしても大切なことを置いてきてしまう、そんなのイヤです。
色んなことは人と人のローカルなつながりの積み重なりでできた円環、
つまり輪っかなんじゃないのかなって思ってます。


花岡くんがまさに東京にいた、その一週間後に僕たちは東京に行く予定でした。
六本木アートナイト関係のワークショップをするためでした。


でも、ワークショップは中止になりました。


そして、六本木アートナイト自体もその数日後に中止が決まりました。


複雑な気持ちで、うまく言葉にできません。


六本木アートナイトは3月26日、27日の予定でした。
色んな方と一緒にミコシを担ぐはずでした。


で、最近になってやっと分かりました。
みんなでミコシは担がないけど、僕は、「わっしょい」って言います。
色んな意味で、「わっしょい」って言います。
色んな人に、色んなことに、わっしょいです。
口に出さなくても、心の中で言います。


わっしょい、みんな。


「わっしょい」の語源は、諸説あるそうですが、
その中には「和を背負う」とか「輪を背負う」ってのがあるそうです。
難しいいことは分からないですが、よしとしてください。
なんだか、いいじゃないですか。
みんなで輪っかなんです、んで、それ背負ってるって。


だから、やっぱり。


わっしょい、です。


こんにちは。
ばたばたと慌ただしい日々を過ごしており、
今までかたくなに守り続けていたブログの担当日が一日遅れてしまいました。
ぬぅぅ。


最近少々頭の中がくちゃくちゃになっており、
まとまりのない文章になるであろう事を先にお詫び致します!


最近、あまりの情報量と感情の多さの前に呆然とし、意味なく落ちたりしてました。
しかし僕ひとりヘコんでいたところで誰の何の特にもならないのでやめました。


「ヘコんでいる状態=思考が停止している状態」、だと思います。
どんな時であれ、思考だけは止めずに1mmでもプラスになる様な言動を心がけて行きたいと思っております。
自分のために、そして誰かのために。


少し告知をさせていただきます。
4月3日に京都、寺町通りの雑貨屋さん「torinouta」にて開催のチャリティーライブにてrimaconaさんのサポートギターで参加します。普段あまり弾く事のないクラシックギターでございますので何か緊張してますが、頑張ります。


4月17日には大阪初開催の「night cruising」にソロの方で参加します。
共演者も豪華です。こちらも良かったら遊びに来て下さい。


最後に、
最近僕の周りで出産の話や、小さな子供や赤ちゃんと絡ませてもらう機会が多いのですが、
何と言うか彼等の発するパワーは凄いのです。...何か凄いのです!!
たくさん元気を貰ってます。そして色々考えさせられます。


以上です。やはりまとまりのない文章になりました。
次こそはきっと...!


ではでは今回はこの辺で失礼致します。

え〜前回のブログで「次回は仏様を紹介する予定です」と予告しておりましたが、ブログの内容を変更させていただきます。
ご了承下さい。


もう、神や仏にすがっていても、どうしようもない事態ですからね。


というわけで、仏の話は次回に回して、今回は「稲尾さま」編の話にします。
そう、伝説の鉄腕・稲尾和久投手・・・ばりの、美術作家さんの作品。


僕が行ってた大学の「洋画クラス」は当時、あまり「油の臭いのしない」洋画クラスでした。
それは、教授、助教授であった二人の作家さんが、あまり「油絵」の作品を作っていなかった、ということも関係していたかもしれません。
具体的に言うと、お二人とも、元・具体美術協会のメンバーでした。


戦後日本の美術史をかじった人なら、聞いた事くらいはあるかと思われるこの具体美術協会。
具体的にいうとアンフォルメルでアクションな(どこが具体的やねん!)抽象作品等で世界的に知られる美術団体で、戦後の美術作家主導のムーヴの先駆けでもあります・・・(よね?)


僕が大学に入った当時は、この協会はとっくに解散して過去の団体となってましたが、ちょうど再評価、再検証、リバイバル等の展覧会も多く、その渦中の4番バッターと当時最年少のメンバーのお二人が学校の先生ということもあり、ある種の「スパルタ具体教育」(?)を受けていたかもしれません。


で、僕はと言うと・・・こんな文章書いてることからもおわかりのとおり、なかなかの劣等生でした。
クラスには、先生の言われる通り「100枚持ってこーい!」「床の方が綺麗や〜」等々の教えに従い、芦屋の公募展に出品するような「ネオ具体」と呼ぶべき人もいましたが、当時の僕は、その先生や具体美術の作家さんや作品は尊敬しつつも、当時流行ってた「シミュレーショニズム」とか「ネオポップ」とか、そういうものに夢中になってまして、「ネオ具体」的な作品作って芦屋市展とかにエントリーしたりするのは「ダセーぜ!」と生意気にも思ってたりしたものです。


ただ、救われたのは、その若い方の元具体メンバーの先生、I先生は、元具体の作家さんの中ではどちらかというと「穏健派」というか、グレイシー一族で言うところのヘンゾ・グレイシーの様な感じで、様々な表現を認めてくださる方だったので、自身もなんとかやっていけてました。


それから十数年たった、2年ほど前、その、具体のクリンナップを打つ作家さんでもあった教授が大学を退官されるということで、パーティーがあり、僕も出席しました。
その際、その先生の歩みをスライドで紹介するというコーナーがあり、その伝説の具体美術協会の集合写真などが紹介されました。
美術版「まんが道」と言った感じの、セピア色の集合写真の端の方に、もう一人の先生の若き姿も写っていて、
「あ、I先生、めっちゃ若いですね〜」
なんていったら、I先生が、
「僕の隣に写ってる人が、堀尾さんやで〜」
と教えて下さいました。


そして現在、東京で「激凸展」というグループ展に出品してますが、この出品作家の中に、この堀尾貞治さんがおられます。
2011年現在、失礼ながら、具体の作家さんは御高齢の方も多いということで、「現役バリバリ」な方は少なくなってきてると思うのですが、現在も精力的に、衰えるどころか増々制作や発表をされているのが、この堀尾さん。


老いてなお、尖ってきておられるのですが、しかしそれを、あたり前田のクラッカー!とばかりに平然とこなされる様は圧巻の一言。
いや、この姿はまさに、日本シリーズで7戦中6戦、先発や中継ぎで投げてチームを日本一に導いた、「稲尾さま」のごとし、です。


そして、よく関西では今でも1人でマメにギャラリーなどを回られ、若い作家の作品などもよく観ておられます。
その態度も、「作品観たろか〜?」的ウザイおやじ感とは真逆の、非常に紳士的な態度!
「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」
偉くなって大学なんかに属して、ろくに現場に足を運ばないくせに偉そうにのたまう作家や批評家に見せてやりたい姿です。
いや、そんなんじゃ生温い!
堀尾さんの爪の垢煎じて濃縮還元したものを、北京ダック用に育てるダックのごとく、首から下を土に埋め、身動きできなくなった状態で口を開けさせ、放り込んでやりたい〜〜!
(この妄想設定は藤子不二雄A氏の漫画より拝借〜)


そんな堀尾さんが、先日、この「激凸展」のミーティングの時に、「お土産」といって海外から帰る時に描かれたドローイングを、メンバーが皆、いただきました。
僕がもらったのがこれです。


というわけで、今月の作品


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堀尾貞治作ドローイング(タイトル不明)2011


外国の新聞に即興でドローイングしたものかと思います。
ああ、ありがとうございます。
僕にとっては、失礼ながら、「自身もいつかは、ああいう風になりたいな〜」と思う作家さんの一人であります。


その「激凸展」のミーティングの際、さり気なく会話の中で、
「僕は木内くんとかオモロいと思うねん」
的な発言をして下さいました。
自身の作品は何度か観てもらってたのですが、ちゃんとお話したことは無かったので、名前覚えていただいてるだけでも光栄だったのですが、そこまで言っていただき、そのときは、心の中で泣きながらガッツポーズ!という感じでした。
(もちろんこれは自慢でーす!)


そんな日の、貴重な思い出コレクションであり、2011年入荷の最新コレクションです。
僕はまだ随分若造ですが、そんな貴重な作家さんの作品、大事にしたいと思います。

例えば自分の家や家族が10メートルを超える大きな津波で流されたとします。


まったく想像できません。
しかし今、東北地方にはこの様な現実に直面された方々が何万人といるということが事実です。
当事者にしか分からない恐怖や絶望は、テレビやラジオのニュースでは到底伝わらないのではないでしょうか。

その日、僕はたまたま展覧会の作品搬入の為に東京に行っていました。
少し早く着いたので、何となしに東京都現代美術館に行きました。
そこではMOTアニュアルという若手作家の展覧会をやっていました。
広い館内をまわり、最期に八木良太さんの作品を見ていた時でした。
八木さんの作品は鑑賞者が手に取る事ができ、(おそらくカセットテープのテープをぐるぐる巻きにした球状の玉)それを再生機の装置の上に置くと、玉がくるくる回りながら部屋にあるスーピーカーから音が出るという作品でした。
そこから流れる音は雷がごろごろ鳴っている様なノイズの様な音で、しばらく聞き入っていました。
するとその時、音に合わせてだんだん地面も揺れ始めました。


「あっ、すごい!。部屋も振動で揺れる大掛かりな体感型のインスタレーションかぁ。」


と関心していました。
それにしてはどういう仕組みで部屋が揺れているのか疑問に思い、辺りを見渡していると、いきなり近くにいた監視員の女性が立ち上がり


「地震ですっ! 柱の方に避難してください。」と叫びました。


ほかにもいたお客さんもみんな大きな柱の近くに集まりました。
今までに体験した事の無いような激しい揺れでした。
大きな空間がまるで紙でできた箱のようにひし形になりながらゆっさゆっさと、1〜2分間くらいゆれていました。
建物の天井からホコリや粉が降ってきた時、ふとこの間のニュージーランドの地震で崩れた語学学校のことが頭をよぎりました。
「あぁ、ここで俺はこの柱に集まった5人(おじいちゃん+おじさん+女性2人+監視員の女性)と最期の言葉を交わし崩れて死んでいくんだな・・・。」
と思いました。

しかし、今思えば地震大国である日本の高度な技術で設計された建物がそう簡単には崩れるとは思いません。その時は本当に怖かったのです。

そのあとは、とりあえず安全な場所に避難するために、倒れそうな電柱をかわしながら持ち前の運動神経を発揮し公園に駆け込みました。自分の身は自分で守るしかありませんでした。

そして、電車もとまり渋滞で街中が混乱の中なんとかその日、搬入を終える事ができ展覧会も予定どうり開催はできたのですが・・・。

もう世間ではそれどころでは無いように思います。。正直僕も自分の作品が公共の場に出ているのにも関わらず全くそんな気にはなれませんでした・・・。


震災があって2日後に京都に帰ってきたのですが、関東のピリピリした空気とはかけ離れていて、地図を持って歩く観光客や電車内で楽しそうに談笑している若者を見ると温度差を感じてしまいました。


それもそうです。今回の大災害で、現実に自分の家や家族までも流されてしまった方々の本当の恐怖や絶望、慟哭は当事者以外の人にはニュースを介しても、例え被災現場に訪れたとしても、少しも伝わることはありません。
そして当事者になって初めて気づくのです。


しかしながら、いま起きている現状を受け止めながらも昨日の今日起きた大災害にも関わらず京都の街を観光したり、電車内で談笑できる屈強な精神はとても大事なことというのも確かです。
今、自分がやっている芸術活動ももちろんこのような精神力が問われてきます。
周りに同情していては結局自分も前に進むこともできません。自分の身は自分で守るしかないのです。


ほじゃけぇ、自分の人生は自分でやるんよ。

みなさまも同様と思いますが、心が揺れる毎日です。
関西にいる私たちが出来ることは少ないです。でも少しはやれる。少ない効果かもしれないけど、節電、ものを買いしめないなども。
それからやるべきことはあるかもしれない。これは自戒の念も込めて。冷静に自分の日常を維持し、仕事や勉強に取り組むこと。メディアに関わる自分は、多くの情報の間のスリットを指摘できるようにすることも大事だと思っている。情報は編集され、そのため遅延し、映像はかなりまびかれています。ものを作っている私たちはそれを嫌というほど知っているはずです。



ほとんど役に立たないことは知っていますが、いま展示中の自作のプロット的なテキストを載せておきます。
本に関する作品ですが、当然メディアというものについても考えたものであり、情報との接し方について多くの方向性を持つべきということを思っています。


【plot】
〈Alphabet of Acanthus(アルファベータ オブ アカンサス)〉
 ~ひとつの架空の詩編の中


並行世界などというものは本の中でしか見たことがなかった。
影の中の世界はずっと古い昔からあったものの、もはや紙の上にしか姿を留めておらず、それを語る謎めいた文字を翻訳することは、あらたな謎かけをうながしてくる。


もとめるところへは空気が導いてくれる。ある冬の日の散歩では、古代からの池のほとりで、不動の静寂に包まれながら森の意識を感じた。
手渡されたものは、言葉。か、なにか。
ふと、持っていた本の中に何かの名が言及されていないか探すが、美辞麗句以外めったにはふれていなかった。
自分の部屋にはもう一つ別の層があるようにときおり感じるのだが、もしかしたら封印が施されているのかもしれない。
ペンを取り、奥にひそむものを明らかにしていく。
本を書物の列へ差し入れながら、その隙間にある巨大な空白を見つめた。


相手はふりかえった。
言葉を目にすると、心が変化する。そう言って本をめくる。風をおこす。
気持ちで時を貫いてその人のことを見ていると、風に押されて外へ転がり出た。
古い扉は、固く閉ざされている。目も耳も思考も存在しないようだった。
室内に戻ると香りが現れ出た。しるしは謎であった。ようやくそれが語り出したのは、ずいぶんと長い間それを眺めた後だった。
呪文が空白の心に流れ込み、手は語り出す。華麗な比喩以外のことを。
小刀は紐解く。古い紙片を。


それは、葉あざみやいろいろな形を組み合せたり、ばらばらにしたりできる。
夜の夢の中で、誰かがこの文字の本当の名前を知らせて来た。
 Alphabet in Shadow・・・Alphabet of Acanthus・・・
声に出そうとしたが、言わずにそのまま喉に押しもどしておく。
黙読が記憶を紙に封じ込め、それを忘れさせることは、封印のひとつの正体である。


ときに、森がいろいろな忘れものを見せてくれることがある。



以下は紹介用のムービーですが。。。

タイトルは〈Alphabet of Acanthus(アルファベータ オブ アカンサス)〉 。
音楽はmama!milkさん。
2人の出演者の小さなパラレルワールド。
アカンサスというのは葉あざみのことで、Alphabet of Acanthusは架空のアカンサス文字。


日常で出来ること、仕事を通じて出来ることを模索しつつ。


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