アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

「耳を澄ます 第3回 INTERLUDE」

こんにちは、原 摩利彦です。まだまだ酷い暑さが続くものの、夏の終わりが近づいていることが感じられて、とても寂しいですね。


さて、前回、前々回と更級日記の音を聴いてきました。今回は間奏曲のように少し違う話題を書こうと思います。


前回、前々回と『更級日記』の東国から京都に至るまでの道中の音を取り上げてみました。古典の音を聴くということをテーマにこのブログを書いていますが、一体、何を聴いているのか?という疑問はいつも持ち続けています。現実としてはもちろん聴こえませんし、また『更級日記』に書かれていることがすべて事実であるとは限りません。作者の回想の記であるため、記憶の曖昧さも含まれているでしょう。しかし、それでも書かれたもの(今残っているもの)を読み、その中にある音を聴こうとする姿勢は有効であると僕は思うのです。単に自分たちの経験から音の記憶を呼び出してくるだけではありません。


2008年に亡くなった作家小川国夫氏はとても興味深いことを述べています。晩年に出版された随筆集『夕波帖』(幻戯書房、2006)に収録されている小さな随筆『耳を澄ます』には、「私の願いはただ一つ、傾聴の世界を書きたいのです。」と書かれています。小川氏は、小説とは自らが書きたいことを主張するものではなく、「聞こえてきた言葉」をとらえる、いわば「聴く」という姿勢を目指しています。自らが書こうとしている小説の登場人物に話をさせ、その声を聞き取ること。彼自身も言うように、これは「一見非条理な試み」に思えるでしょう。(彼は「その手順を考えるのが文学なのでしょう。」と述べています。)それでも小川氏の求めていた世界とは、この方法でしか到達できない、表現することが出来ないものだったのでしょう。

じっと登場人物たちが話をし始めるまで。その声が聞こえるまでじっと耳を澄まして待つこと。こういった彼の態度の中に、今創造するための最も大切なことが含まれているように感じるのです。


原 摩利彦

  • トラックバック(0)
  • コメント(0)

この記事へのトラックバックURL

http://www.andart.jp/mt/mt-tb.cgi/362

コメントを入力する

 ※必須

 ※必須




このページの一番上へ