
唾と蜜
7月です。2010年も半分が終わりました。早いものです。
2010年の上半期は展示の予定がないのを良いことに、生活環境の一新を行いまして、仕事を変えたり引っ越ししたりとバタバタしておりました。
下半期に展示の予定が控えているので、それに向けての制作時間確保を目的とした一新だったのですが、何故か一新する前とそれほど変わらない忙しさという、不思議な状態に見舞われております。まぁ楽しんでいるので問題はありませんが。
先程も触れた展示の予定ですが、9月にBIWAKO BIENNALE、11月にINAXで展示させてもらいます。考えてみたら、&ARTで自分の展覧会の宣伝をさせてもらうのは初めてです。久しぶりの展示で少々緊張しますが、近づいたら詳細を載せますのでよろしくお願いします。
さて、本題に入ろうと思って最近印象に残っていることを思い出してみたら、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだことしか出てこないという、何とも動きの少ない生活ではありますが、せっかくなので少し書こうと思います。
主人公のラスコーリニコフが、独自の犯罪理論を元に高利貸しの老婆を殺害することを企てるのですが、偶然居合わせた老婆の妹まで手にかけてしまったことで、様々な問答をしながら次第に罪の意識に苛まれていくというのが、かなり大まかな概要です。
物語はラスコーリニコフの問答を中心としながらも、予審判事や主人公の妹の婚約者など、様々な人物の描写も交えながら進んでいきます。
実は4,5年前に1度挑戦したのですが、上巻の途中であえなく挫折、最近移動時間がふえたため再度挑戦したところ、下巻の展開が相当面白く、「ロシア文学は合わない」などと小生意気なことをのたまわっていた過去の自分に張り手をくらわせてやりたい気分に駆られました。
特に、エピローグでの人間再生の描き方は思わず泣きそうになる。
まさかドストエフスキーに泣かされるとは。
かなり有名な作品なので大部分の方は内容を知っていると思いますが、私はタイトルを知っている程度の知識しか持たずに読み始めたので、その内容の多彩さに驚きました。
人物の回想場面では哲学書のようであり、予審判事とのやり取りの場面では推理小説を思わせ、最後の場面では人間ドラマとしてまとめ上げる、とても見事な構成になっています。
数年前に、これもドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』が「現代の社会を予言していた」と注目されたことがありましたが、視点を変えてみると、作品が書かれた1800年代後半以降、社会の様相や人の心理がそれほど大きく変化していないのではないかと考えることもできます。
ヘッセやカミュの作品を作品を読んでいても感じますが、非常に鋭い観察力を持って書かれた作品には、自ずと当時の社会情勢や風潮、人が抱える悩みが滲み出てきます。
例えば、ラスコーリニコフは回想の中で、社会主義思想を批判しています。
そういった作品が「現代の社会を予言していた」と言われるということは、それが人にとって普遍的な問題であるのか、もしくは近代のシステムが潜在的に内包している問題であるのか、まだまだ考える余地がありそうです。
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