
自分観察
月日がたつのは本当に速いです。
4月にいろいろ、なんとか展示を乗り切り、5月は充電の時だ!!と思って無理にでも休みを作り、読書三昧して知識をあさり、twitterを始めたり、土をいじってみたり、、、
ていうのを出来る事ならもう一ヶ月ぐらいしたいのだが、あっという間に6月になりそうな気配。
7月には展示の予定。これは東京で展示した作品の京都でのフルバージョン、といった意味付けで、新作ではないのでまだ気は楽なのですが、環境的にも、それぐらいがいろいろ転機になりそうで、あまりのんびりともしていられないのです。本当は晴耕雨読をがっつりたしなんでみたいのですが、まだまだ先になるのかな。
それでもまあ、以前よりは心に余裕をもって生きれる様になってきている気はします。三歩進んで二歩半下がるくらいの気持ちで精進。
さてとりあえず、5月の間に詰め込んだ本。GWに息抜きで明日香村や、奈良市街に行ったのですが、京都に戻る前に古本屋で仕入れたものです。この順番で読みました。
『額田女王』井上靖
『森のめぐみ 熊野の四季を生きる』宇江敏勝
『エスキモー 極北の文化誌』宮岡伯人
『ドイツ人のこころ』高橋義人
『構造主義』北沢方邦
うーん、よくよく考えてみると、僕の5月は結構この本達に影響されて形作られたような気もします。
奈良方面に行った直後に『額田女王』を読んでいるあたり、安直な僕の思考をかいま見て頂けると思います。そこから割と近場の、しかし異質な熊野に興味が映り、文化人類学的な興味がそそられエスキモーへとずいぶん飛躍したので、ちょいとヨーロッパとしゃれ込んで、しゃれ込みついでに構造主義ぐらいは理解を深めとかないと、、、
てな感じでいい具合にジョギングして、さあ次はなにを読もうかと言うとき、たまたま伏見の喫茶店で出会った本が
『半島を出よ』村上龍
でした。
そして結局今読んでいるのは、僕が自分の精神安定剤の様に繰り返し読んでいる、
『風の王国』五木寛之
です。
本を選ぶ時は何気なく選んでいるし出会いも重要だし、その順番なんかはほとんど意識してはいないのですが、結局似たようなパターンを繰り返しているのだろうなと、後々見返すと思います。あっちゃこっちゃに手を出してはいつもの自分、一番求めている所に立ち返って、また飽きて動き出す。
読書でも何でもそうやっているうちに少しづつ自分の足場が、戻って行く場所が固まって行くのでしょうね。
そして歴史は好きなくせに、美術史関係もらしいものも買っていないし、映像関係の本も、購入していない事に改めて気づきました。
いろいろな意見があるでしょうが、美術の中にいるうちからその歴史に責任をもって動こう、と言う考え方には魅力を感じていない自分がいます。作家が美術史のお守りをしてもなにも面白い事は無いと思っています。僕が歴史を好きなのは、そのダイナミズムが好きだからな訳ですから。
映像を飽くまでも表現の手段として捉えている自分には、取材すべき対象は映像メディアそれ自身でも無い、と少なくとも現時点では考えているからでしょう。飽くまでもそれは何かをする為の場であり、ここで降りるとと決めたプラットホームの様なものです。
うん、何となくわかってきました。
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