
「わからない」こと
自宅や、ギャラリーでの展示のとき来場される方は、ある程度予備知識があったり、
僕の作品に興味を持っていただいている方が多いように感じますが、
現在展示している大原美術館に来場される方は、
作品を日頃あまり鑑賞する機会のない方も多いと思います。
(観光のお客さんが多いせいもあると思います。)
だからこそ、作品を素直に受け止めていただけますし、
じっくり作品を鑑賞していただいている実感がある反面、
展示会場で「現代アートはわからない」という言葉もしばしば耳にします。
僕は「ある一人の鑑賞者が作品に興味を持ち、理解しようとし、
その人にとってその作品を鑑賞したということが重要な体験となる」
というプロセスは、人間同士が、深く分かり合うことと同じくらい
貴重で、時にとても時間がかかると思っています。
「作品に興味を持ってもらえるような要素を持たせる」
ということを実制作の中で意図的にできる作家さんもいるかもしれませんが、
僕の作品はほとんど加工せず、主に「要素を抑制するような作業」を
中心に制作しているので、人為的にそれを行うことは難しいです。
また、偶然そういった要素が濃い作品が制作できたとしても
そういう作品だけ選りすぐって、発表することは誠実でない気がします。
人間関係でも一瞬ですべて伝わるコミュニケーションなどないですし、
作品と鑑賞者の関係としては「見た瞬間に人の価値観を変えられるもの」
を目指すのでなく、感じて、考えて一つひとつ丁寧に長い時間かけて
作品とコミュニケートしていただくしかないと思っています。
だから、作品を見て「わからない」ということは、「現代アートがわからない」のではなく、
「その作品」、「その作品を制作した作家」のこと理解しようとしていない、
または理解できないことに原因があるのではないかと思います。
あたりまえのことかもしれませんが、「わからない」ことの原因の多くは、
人間同士の問題であって、現代アートの問題ではないのではないでしょうか。
下記初日の作品の写真です。野外の作品は雪が積もっていました↓

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