
脳 と アイデア と さだまさしさん
自転車で道を走っている時、急におならをしたくなる時があります。そんな時は一応後ろに人がいない事を確認したあとに放出します。
自転車で思いだしたのですが、今日松屋で昼飯を食べて帰る途中、草笛を吹きながら自転車に乗っているおじさんにすれ違いました。そして目が合いました。そのおっさんの目はとても澄んでおり、すれ違い際に一瞬ぼくも何か澄んだ気持ちになりました。そして草笛の音はドップラー効果で音程を変え小さくなっていきました。
と、訳の分からないシチュエーションでしたが、一瞬だけ優しい気持ちになれた気がしました。
今頃おっさんはまた別の知らない人を強制的に優しい気持ちにさせていることでしょう。
またどこかですれ違いましょう。おっさん(草笛)
次すれ違う時は僕も草笛ふけるように練習しておくからね!おっさんのように上手くふけるかは分からないけど・・・。
おっさん 「草笛を上手くなるにはなぁ、最初はへたでもいいんじゃ、人前でかっこ良くふこうなんて 思っちゃだめじゃ、世間を気にしてちゃぁ外で草笛なんかふけんからのう。」
花岡 「そうですね、かっこつけてる自分が草笛ふいたところで絶対人の心には届かない・・・。」
おっさん 「唇と葉っぱがお互いを信頼し、唾液の温度が葉脈の温度とまじわって息が一つになった 時、はじめてオーディエンスに響くんじゃ。」
って、んなわけはない。
最近自分の頭の中のアイデアにすごく懐疑的で、いろいろなイメージを考えはするもののすぐに放棄してしまう。
頭が固くなって来たのかもしれません。老化現象でしょうか?
聞いている音楽もこのあいだは電子音楽だとかポストロックだとかブレイクコアだとか言っていましたが、ここ最近はなぜか さだまさし です。
よりによって哀愁のにじみでる さだまさし さんです。
さだまさしの人間の心のやさしさをうたう歌詞に感動してしまう様な陳腐な脳みそになってしまいました。
脳も大人になるのでしょうか。
そんなことを言っているあいだにいつの間にかTUTAYAで さだまさし のCDをむさぼるようにさがしている自分がいます。
さだまさしさんに洗脳されてしまっては、今後の芸術人生が危うい!
人間のやさしさや慈悲の心を養ってしまっては作品はつくれない。心が磨かれてしまう。もっと脳をツルツルにしなければ。
もっと感情を無機質にしてプラスティックの脳を取り戻さなければなりません。
清められた脳みそをシンナーでごしごし洗ってあげなければなりません。
そのためには さだまさしさん からはお別れをしなければなりません。
さようなら さだまさしさん。
こんな さだまさしさんが今夜歌います。
「いのちの理由」
http://www.andart.jp/mt/mt-tb.cgi/190