
客観化
この10年間で、ここ半年間が一番体調安定しません。
常に風邪を引いているような倦怠感があります。
昨日は午前中~午後過ぎまで廃棄物の塗りなおしをし、
塗装作業が完了しました。
展示の前にはいつも展示の説明が客観的にできるように文章をまとめます。
今回の作品は演出的な要素が少ないということもあり、極度に慎重に言葉を選んでいます。
常に考えていることなのですが、
僕はほとんどの場合、作品は"自己表現"ではないと考えていますし、
最近では自分の制作しているものに対して"表現する"という言葉をなるべく使わないようにしています。
例えば僕は風景を描く画家は、自己ではなく"風景=世界"を表現していると捉えていますし、
描く過程において画家自身の自己が表出している(もしくは意図的に表出させている)ならば、
それは"自分と世界のつながり"そのものなのではないかと考えています。
特に僕の場合、風景へ直接アプローチすることが多く、それは自己表現ではなく、
世界そのものへのアプローチだと認識しています。
(そのとき風景にアプローチすることで自己を導き出す結果になったとしても、それは主体ではありません。)
また、僕の制作のプロセスとして、先ずあまり整理せずに、
物質として形にし、物質そのものについて「何を感じるか/どのように見られる可能性があるか」ということや、
制作プロセスについて「自分がこの物質をどういった立ち位置で扱っているのか」ということなどを、
長い時間をかけて分析/考察することで作品として提示すべきかどうか精査していきます。
精査すると言っても、客観的なイメージをコントロールしようとするわけではありませんし、
この場合"表現"という言葉の意味(内面的なものを、外面的、感性的形象として客観的な形あるものとして表すこと)
を考えれば、客観化は結果なので"表現する"という言葉は適切でないように思います。
廃棄物を銀色に塗装した作品は いろいろな角度から、世界のつながり
に、(言葉にできないことも含めて)実感を与えてくれるものです。
このことに関しては、まとめて何かの機会に掲載できたらと思います。
以下、廃棄物の配置図の一部です(縮小しています)。
位置の調整をしながら、繰り返し描き起こしたり、修正します。
プランは現場である程度崩しますが、内部を構想して設置するのははじめてです。

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