アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

光のこと

長谷川一郎さんや田中真吾さんがブログリレー書いている[オラファー・エリアソン]、僕にとってすごく刺激を与えてくれるアーティストの一人です。(金沢行きたいけど、行けそうにない!)
今回はそのオラファー・エリアソンの話題から展開していこうかと思います。


2008年にNYにたまたま行くことができたのですが、その時に運良くMoMAで大規模なエリアソンの展覧会を観ることができました。MoMAとP.S.1の両方を使った本当に大きな展覧会で、二日にわけて観に行きました。それを観れただけでも、NYに行けて良かったと思えるほどの展覧会でした。
彼の光を使った作品には大体やられます。展示の中で印象に残っているのは、通路の壁に無造作にもたれかけられた鏡と天井からの照明機材が一つあるだけで、その鏡に反射して通路に光が当たっている、というだけのシンプルな作品。そのシンプルさの中にとても深いものを感じました。もっとたくさんの素晴らしい作品がありましたが、書き出すとおそらく止まらないので、今回は割愛させてもらいます。


そして、光のアーティストの大御所と言えば、[ジェームズ・タレル]ですね。
タレルの作品を初めて見た時は確か二十歳だったと思うのですが、その体験では本当に感動してしまいました。


この二人の光を扱うアーティストに共通して感じることは、僕にとっては鑑賞者の存在を強く意識していることです。
タレルの場合は、鑑賞者の知覚にどうアプローチするかというところから普段は知覚できない光や、自分の知覚/感覚自体を驚きをもって新鮮に感じさせてくれます。
エリアソンの場合は、ちょっと目線を変えさせてくれることで、普段でも目にするような素材や光景を特別なものへと変化させてくれます。使っている機材も(僕のとってはよく目にする普通の)舞台照明だったりするし。鑑賞者自体や鑑賞者同士の関係性を作品に組み込んだ作品は、全然いやらしくなく、自然と見ている人同士で笑顔になるようなこともあったり。(これは外国だったからかもしれませんが。)


そのような鑑賞者の存在や視点を計算された作品にはいつも刺激を与えられます。
舞台の場合、観客/作品の関係性が観るもの/観られるものという構図が強固なのですが、なんとか舞台でもその関係性に揺さぶりをかけられるようなことができないかと思ったりしています。


光というメディアは、視覚をコントロールするには必要不可欠なものなのですが、
実はあまり意識されないものでもあったりするのかもしれません。
あたりまえに太陽があり、夜には月があり、家に帰ってスイッチを入れれば明かりは点きます。
都市に住んでいれば、夜道を歩いていても、「本当に暗い」と感じることも今では少なくなってきました。
(僕の実家はものすごく田舎でトイレも家の外にあったので、幼い頃は夜にトイレにいくのが本当に怖くて、いつも走っていってました。)
光がなければ実は何も見えないということや、光の存在自体を感じることが考えてみれば少なくなってきているなーと。


舞台の始まりはたいてい、一度暗転して(真っ暗にして)から始まります。
そのことを、一度「観客を殺す」という表現をした人がいました。
日常の感覚や、その観客の日常的な存在(社会的な存在)のあり方、価値観を闇を通過することで「殺す」ということです。
そこから作品を新鮮な感覚で観る為の儀式のようなものという捉え方です。
舞台が始まっていく「暗闇」に感じる、何か新たな体験への期待と同時に自分がだれでもない観客という存在の一人になっていく感覚は、そういえば気持ちの良いものだと思います。それを殺すという表現をしたことに、僕はとてもまっとうなものを感じます。
光と闇、それぞれの力をあらためて捉え直して、作品に活かしていきたいものです。


というところで、ちょっと宣伝なのですが、3月の公演では、企画の大枠のテーマが、「照明と身体の妄想」。
三つの作品のオムニバスなのですが、dots以外の作品では、ダムタイプでの活動やLED照明を使った作品で知られている藤本隆行さんが照明をされます。少し話しを聞いている段階でもとてもおもしろそうです。
dotsでは派手ではないけど、渋い光の使い方を妄想中です。


今回は、そんなつもりなかったのに長くなってしまいました...

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