アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

先週の土曜日に、地元の愛媛県新居浜市で、愛知での個展に使用する廃棄物を譲っていただくための交渉をしてきました。
僕は高校生のときまで、昭和4年頃に建設された「山田社宅」という住友の社宅に住んでいたのですが、
今回廃棄物を譲っていただくことになったのは、その社宅の近くの山の上に処分場を所有している、
大正リメイクという、産業廃棄物処理業者です。


担当者の方が本当にいい人で、かなりスムースに話が進みました。
大正リメイクは解体工事も行っている会社なので瓦礫が多く、処分場には解体現場などから運ばれてきたままの瓦礫と、
粉砕された瓦礫が積み上がって2つの山ができていました(粉砕された瓦礫は、再利用されます)。


現代の処理業では、収集された廃棄物を廃プラ、鉄くず、木くずなどに分類し、再利用するという
効率的な循環ができています。
近年鉄が高騰しているため、鉄くずは貴重ですし、ガラスは、ガラスの制作工程で、
古いガラスの破片を混ぜたほうが、一から新しいガラスを作るよりも強くなるそうです。
そう考えると、前世紀と違い、「廃棄物=不要で捨てられるもの」という図式自体成り立たなくなっているのだと思います。


さて、今回展示場所は愛知ですが、廃棄物は地元愛媛で調達したものを使用します。
倉敷の展示までは、「廃棄物によって現地の歴史性に触れることができれば」ということも考えていたのですが、
社会性の面ではその方法に可能性を感じるものの、
この方法を続けていくことで誠実さにおいての矛盾が生じる危険性を感じました。
そこで、一度割り切って思い切り実感に頼って制作してみようと思い、今回は地元の廃棄物を使用することにしました。
自分が望む方向へ進んでいくためには、自分の実感を追求するだけではいけないことは認識しています。
これらの比重は経験を積むことで変化していくのだと思います。

夜の海に夜光虫を見に行った。
とろりと暗い海に漂う光の粒を見ていたら、
まるで星空を眺めているかの錯覚を覚えた。
足下に広がる宇宙。


刺激に反応して発光する夜光虫。
石を投げると光の輪で、波打ち際には砕ける光が。
落ちてた傘で水面をなぞると海の中にきらめきが走り、
まるで指先から銀河。


空を見上げるではなく、覗き込むという感覚がとても面白くて
前に飛行機の上から海を見ながら似た事を思ったのを思い出した。


休暇が終わりウィーンへ帰る飛行機の中。
海の青は空の青を映しているのだとしたら
私が今見下ろしているこの海の色は空の色だということにもなる
じゃあ私はいま眼下に空を見ているといっても間違いじゃないよね?
そんなことをただただぼんやりと考えていた。
(そういえばあのときわたしは泣いていたのかもしれない)


空も海も気持ちまで吸い込まれそうになって困る。
ただし、それが嫌いではないのだけれど。


いろいろなものが姿を映し合って存在してんだよなあ、とか


世界は私をうつす鏡で
私は世界をうつす鏡で


さてと。


「指先から銀河」9月3日から京都で個展します。
ホワイトキューブな展示空間を飛び出しての展覧会。
まだ展示してみてないからなんとも言えないけど、
私はどうもそっちが性に合ってるかもしれないなあ。


ふらりと遊びにきてください。


yubisakikara_ginga_dm.jpg

ほんの少しずつですが、晩には秋の気配を感じられるような風が吹き始めてきましたね。季節の変わり目はわくわくするところがあります。


京都の場合ではやはり冬の終わりと夏の終わりが好きな季節です。
故郷の北海道であれば冬の始まりも大好きなのですが、京都の冬は正直なれません。


秋の気配が、とは言ったものの、日中はうちのスタジオGURAは灼熱のサウナ状態、半端にクーラーを入れたところで効果があるとも思われず、またそのような予算もとてもありませんので、今はとにかく冬場も快適に、ひいては来年の夏も制作が進むよう、自身のアトリエスペースをある程度閉じた、空調可能な空間にする為の造作を時間を見つけてやっております。


北国出身の僕には酷暑に身をさらし撮影をするのはあまりにもハードルが高いと、この夏は思い知らされました。というか今の京都の夏は、もしクーラーが無ければ労働等出来る環境に無いと真剣に思います。
木陰がふんだんにあった昔ならいざ知らず、今の気候と都市環境を考えるとシエスタを導入するか、家は植物の生えた地中を利用して作るべきじゃ無いかと本気で考えます。そうすりゃクーラー無くせんじゃないかと。理想はどう考えてもクーラー無しの生活なのですが。


ただ、この酷暑、凶暴な太陽と京都の景観が作り出すイメージにも一つ素敵だなあと思う瞬間があったりします。太陽が南中高度に入る午後、すべての物体の影の存在感が一番薄くなる時間帯では、まるで世界が巨大な、強力な蛍光灯に照らし出されて、個々の物体の存在がなにか丸裸に暴かれて、文字通り白日の下にさらされている様に見える事があります。木々の多く、アニミズムの国と言われる日本においても、時にこのような、まるで砂漠に生まれた強烈な神性、ユダヤ教に見られるような怒れる神の存在に近いものが見える事は、それなりに興味深いなと思うのです。(多分ここら辺の話は和辻哲郎を読めば良いのかな?ちょっと記憶が曖昧ですが。)

あるいは、この国が本当に精神的に砂漠化して行くと言う事かもしれません、そう考えると怖いですね。
木々が多く茂っていたかつての国土であれば、強烈な太陽に比例して木下闇も深く、ひんやりと豊かだったのだろうと思いますから。そこに暮らしていた人間と、今の都市景観に生きる人間の精神性は、段々と乖離してゆく運命だと思います。それが文明と言うものだと言えばそれまでなのですが、文明化の行き着く均一化に危機感を持っているのは決して僕一人ではないのも事実なので、今が考えどころの時代ですね。


話は変わりますが、本当にこのアトリエにいると、生きると言う事はなんと必死な事なのだと考えさせられます。そして制作する為の環境と言うものから作って行くと言う事をしていると、昔は感じていた、表現活動と言うものが他の社会的に必要とされる産業と比較して重要ではないのではないか、というような引け目や劣等感等がうまく自分の中に消化されてゆくのが感じられます。


僕個人としては、リアリティと言う感覚は結局は人間の生存に関わる部分からしか生まれてこない、と言う考えを持っています。それはそして至ってシンプルなものだと言う気がします。


『あなたは生きていますか?』という問いに間髪入れずに『はい』と答えられるかどうか、とでも言えば良いのでしょうか。この一年半の作家活動とスタジオでの活動を通して、それだけは言える様になったのは間違いありません。


まあこれは作家個人のリアリティの在り方じゃないかと言われるかもしれませんが、そう言ったリアリティは必ず作品にも反映されるものだと思っています。


さて、GURAには今、『わくわく京都』に参加されている作家さんたちがレジデンス滞在しております。レジデンスと言う横文字にするとカッコいいのですが、とてもそんなにいい環境を僕たちが提供出来ている訳ではありません。
上記の様に灼熱の環境のなかで、ベッドも人数分ある訳ではなく、ソファーに布団も無く寝ていると言うのか今の現状。申し訳無い限りですが、そんななかでたくましく寝起きされてる方々には本当に頭が下がる思いです。


作家と言うものはノマドたるべき、また日本の言葉で言えば、もしかしたらこれは差別用語になってしまう扱いの難しい言葉であるかもしれませんが、河原者たるべき、みたいな憧れにも似た感覚が僕にはあります。(もちろん遊牧の民と日本の河原者を同一には見れないかもしれません。サンカとかミツクリの方がニュアンス的に近いのかも)
わくわくの作家さんたちはレジデンスを渡り歩いているような方々も結構いるらしく、それを地で行っているような作家さん達の姿を間近に見られるのは本当に良い経験であると思います。

8月が終われば皆さんまたどこかへ行かれるのだと考えると、寂しい気がしますが、僕もこの先どこで何をしているか、、、わからないのが本当だと言う気もします。


つらつらと、おもうことをば。失礼します。


こんにちは。  ...暑い。


しかしいよいよ夏も後半戦って感じですね。
毎度次の季節は楽しみなんですが、毎度「まだ行かないでくれ...」とも思います。


今年もお盆には実家に帰る事ができました。
実家に帰ると懐かしくて愛しくて絶妙に笑えるものがたくさんあったりします。
昔描いた漫画などもそうです。


小さい頃は漫画ばっかり描いてる少年でした。
今読むとほぼ有名漫画のパクリな訳ですが、それはもう夢中で描いていた記憶があります。
学校から帰るとすぐ机に向かっていたし、よく「漫画ばっかり描いてないで勉強しなさい」と叱られていた記憶があります。


思い出深いのは『聖闘士リシー』でしょうか。(はい、某有名漫画のほぼパクリです)
主人公の名前が何故「リシー」なのか今ではもう伺い知る事はできません...。
しかし、主人公はペガサス座ではなくこぐま座の聖闘士でした。ここら辺に小学生の頃の自分のプライドを感じます。


大学ノートかキャンパスノートに描いていたのですが、
何とか一冊のノートにまとめようとするも、何も考えず描きたいまま描いているので最後のボスの戦いまできた段階で
残り1ページになっており、エンディングは1コマ。凄まじく劇的な展開をみせておりました。


思い出してみると、描いている途中も勿論楽しいのですが、
一番楽しかったのはまっさらのノートの真っ白な1ページ目を見つめながら、
今回はどんな物語を描こうかとあれこれ想いを馳せている時だったように思います。
真っ白なページに色んなイメージが浮かんで来て。ワクワクしてみてるだけで楽しくて。
今思うと愛しさすら感じていた様に思います。


ノートのあの真っ白な1ページ目。これが僕の原点な気がします。
何も考えず夢中に手を動かしていたあの頃を、今では羨ましく思ったりします。


そんなこんなで時は流れ...(?)


9月18日に丹波篠山まちなみアートフェスティバルにて、
&ARTでも紹介されている映像作家の林勇気さんとご一緒させていただく予定です。


9月26日にはClub METROにておこなわれる、night cruising 4th anniversary special 『paquebot de luxe』にて、
これまた&ARTでも紹介されている原摩利彦さんのユニット、rimaconaとも共演させていただく予定です。


詳細決まればスケジュールの方にもアップさせていただきます。


それではこの辺で失礼致します!

もう9月ですね。
なんとなく一ヶ月スルーしてしまいました。
申し訳ないので口調もですますに変わっています。


ひとまず、撮影の事よりこちらを紹介。
 
SANDWICH
http://sandwich-cpca.net/
 
 
7月中旬、開設したSANDWICHのWebサイトです。グラフィックチームの倉澤君渾身。僕は各プロジェクトの撮影など担当しています。
複数のプロジェクトが平行してコンテンツとなっており、様々な人がそこに関わっています。
名和晃平のアトリエ、だけではなく関わる全ての人達が自立し創造性を持つことのできる場所として機能していく事、それが場としてのSANDWICHの目標です。そのコンセプトを、高い純度を保ったままいかにビジュアルとして伝えていくか、がグラフィックチームの目的であり機能でもあります。
(グラフィックとしての)SANDWICHが名和さんに限らず、多くの作家達をロス無くかっこよく世に広める手伝いをしたい訳です。
後年、あー名和晃平のアトリエね、とSANDWICHが評されたら我々は失敗したねと言う事です。
たくさんの自戒とプレッシャーをこめて。
みんながんばれ。
 
8月1日、京都芸術のオープニングがサンドで開催されましたが、場所もお披露目でき(まだまだ工事中ですが)、先月今月とひとまずの成果が見えた次第。
関係者の皆さま、大変お疲れさまでした。
 
_DSC3117.jpg
 
 
 
 
iida art edition、PixCell_via_PRISMOID 作品撮影からイベントまで
撮影日:いつからだったか〜7月13日

 
PixCell_via_PRISMOID_b.jpg
 
 
こちらは7月、ではなく、撮影なら4月から延々、モック自体の企画やたたき台の制作等をあわせたら半年以上関わってきました。
たった一日のイベントに向けるエネルギーの密度は今まで経験したこともなく大変勉強になりました。
 
製品と作品の違いは何か、広告と美術の違いは何か、言い古されたフレーズですが、撮影中、揺さぶり続けせられた訳です。その基準や境界とは何か。撮影の違いは何か。写真で変わるのか写真が変わるのか。とかね。
それはただ単に撮影だけの話ではなく、作家がプロジェクトの終着点へ向かう諸々の関わり方全てに於いて、言える事です。中途半端にパッケージされて世の中に出たら双方にとって残念でデザイン的には失敗と言える訳です。カタログでのビジュアル、ハンドアウトツール、会場構成、展示の細かいパーツ(たとえば台のエッジとか、業者甘かったけど)やら各階層に於いて何が必要で必要でないか、どこをどのようにコントロールすれば100点をたたき出せるか。100点とは何か。
 
これについては別案件が進行中で会議毎にその話をしています。またお見せできる段階で皆さんに問いかけてみたい。
何が美術で何がそうでないのでしょうかね。作家はどうすればいいのですかね。
 
_DSC1834.jpg
 
イベントの準備は前日入りで、各展示作品の調整と光を確認作業。プロのライティングは勉強になります。一方の薄い光で他の環境光をキャンセルしてメインは若干色温度上げて補完する、などなど。

それと高木正勝さん。ピアノの調律師の方を人生で初めて見ましたが4時間かけて延々調整するなんて、エプロンした渋い爺さんかっこいいし二人の空気、こだわりがすごい。 
 
 _DSC1758.jpg
 

イベント当日、完成した展示を確認し、朝っぱらから高木さんのリハ生演奏聞いていたらここ半年の疲れが全て吹き飛びました。
Light Poolの坪井さん高木正勝さん、BOTANICAの東信さん、そして名和さん、各人の創造性、理想の高さ、間近で感じる事ができ勉強になりました。
 
 
 
川北ゆう
「ゆらぎのあと景色をそそぐ」
INAXギャラリー
撮影日:7月13日

 
iida発表会、夕方の一般解放までの合間に川北ゆうさんの展示撮影のため銀座のINAXへ。新作を拝見したかったのでタイミングを合わせ撮影させてもらいました。
空間に大作を2点、床置きのシンプルな構成です。
川北さんの作品は水を使用した制作法ですが、描画材料は油彩。油彩らしくない繊細な線が幾重にも流れるように描画されています。
 
100713_kawakitayu_11.jpg
 
100713_kawakitayu_14.jpg
 
勝手ながらついさっき聞いた高木さんのピアノが頭の中で流れっぱなしで、これはまったくの偶然でしかありませんが、水の流動性を記録する、という強い方向性を導いてもらったように思います。ざぶーん。
床置きなので周囲を歩きながら、上も下も左右も無く体験する訳で、壁にかけてある絵画とは描画内容以上にその違いがあります。壁掛けの方がいい、また意義を見いだせない、という意見も中にはあり、絵画展の審査なんか良くやっている学芸員などもこう言うのですが、水と重力、制作する視点を作家が裏切れないのでは、と僕は思います。壁にかけ固定されてしまうと、視点と水の流れが嘘をついてしまう、ような。絵画の自律性ではないんでは。
画面から流れ落ちた水と絵の具もそのまま線として残されています。
毎度、挑戦させていただく作家さんです。
  
 
  
宮永亮
「Making」
児玉画廊
撮影日:8月11日

 
特製の車載カメラから収集された夜景映像を重ねて投影した映像作品、街のきらめきが怒濤のように押し寄せる映像はとても美しく荘厳でまた不安にさせられます。幽霊は実在するかどうか知りませんし、何と定義づけられるかも知りませんが、そこに居るのに会った事も無いものに出会った、そんな感じです、変かな。お化けみたい。
その素となる一つ一つの映像が会場中、ミニクーパーを囲み、特製のスクリーンで上映されています。
映像作品を撮るのは難儀で、暗さと輝度差もその理由なんですが、映像を選び停めながら撮影しなければなら無い所が一番大変な所です。各機器になれないと行けない上に(おかげさまでPS3は慣れましたよ林さん)いいポイントを探すのがまた至難で、僕のセンス任せになってしまう。(ここ一番自身無い所です)考える箇所が増え時間もかかり終わった頃にはへとへとになります。
今回は宮永さんに暑くて蚊だらけの中、つきっきりでセッティングしていただいたので、気楽にスムーズに撮影できました。8台のプロジェクター、映像がすぐスリープするので動き回っていただきました。ノイジーな空間と映像とそして存在感のあるミニと、それぞれにひっぱられつついいポイントを探します。ミニがこんなにプレッシャーのかかるものだとは思いませんでした。本当に下手には撮れない。
勉強させていただきました。
 
_DSC3898.jpg
 
 
作る事、iidaの案件から揺さぶられています。
イベントの翌日、瀬戸内寂聴さんとポルトガル人作家のRui Zinkさんの対談撮影に伺ったんですが、「私は書く煩悩だけは捨てれなかったの、他はみんな消えたけど」とZinkさんの「なぜ書くか」との問いに瀬戸内さんはそう答えていました。
「煩悩」って集約した便利な言葉だね。こういった作られてきた単語はツールとして優れている。けどこぼれていくものを丁寧に拾う作業も必要か。まだ若いんだしよ。
さて、怒濤の秋です。


その1、展覧会情報。
六甲ミーツアート2010に出品します。
展覧会を口実にちんたら登山しましょうと不純な動機から〆切1週間前に資料作って応募したら受かってしまい首が回らず本当に大変です。
〽(ioriten)
ひどい写真だ、どうぞよろしく。
その他諸々は来月。

いや、きっと誰かが恋に破れ、噂のタネに邪魔、してるんでしょう。
毎年の事なんですが、今年の夏はひと味違うんです。


あ、どうも。
両腕だけは小麦色。
これはバイクで仕事してるから、の木内です。


ここ数年、「夏のレジャー」がほとんど無くて、思い出したくても何も夏の思い出が出て来ないのですが、今年も残念。
残念です。


や、強がってるわけじゃないけど、誘われてないわけじゃなくてよ!
海、焼肉、BBQ。
いくつかありがたくお誘いいただいたのですが、どれも断らざるを得ない状況でした。


理由は「ごめん、作品制作せなあかんから」


キャー!カッコいいー!
「美術系の人」って感じ==!


・・・と、思われる方も居られるかも知れませんが、まあ、気取っても僕も人の子。
お誘い、行きたい!メッチャ行きたい!
海!山!川!滝!ワイハ!軽井沢!貴船!BBQ!屋上ビアホール!スーパー銭湯!甲子園!
・・・んんん?


ま、とにかく、タイム&マネーがたっぷりありゃ、そりゃ行けなくもないとは思いますが、今年の・・っていうかここ数年・・・っていうか思えば生まれてから、その両方が溢れんばかりにある、なんてことは一度もなくて、結果、両親指にくっきり指サック焼けができる30代後半となってしまいました。


ああ、みんな瀬戸内とか行って楽しそうやな~。


・・・とか言うんだったら、勝手に行けばいいじゃん!


と、お思いでしょうが、その為にはまず休みを取るための交渉を上司に代理人なしで行わなければならず、それがもう、もの凄い面倒くさい。
自身の展覧会に為の休みを取る時はなんとかそこを踏ん張って交渉してるのですが、調子のってたら、
「そんなに休みたいんだったら、休みな!ただし、永遠にな!」
と、いつ言われるかもわからない。
そう思うと、その交渉だけでも随分神経を減らすのに、さらにその後、旅行の計画、宿の手配、一緒に行く?行かない?車は?パスポートは?英語話せんの?疫病対策は?・・・・


・・・・ぬあああああ!面倒くせー!


友人知人で、「ふらっと外国行ってきた~楽しかった~」
的な人もたくさんいますが、ああいう方々はどうやって上記のような面倒を解決してるのだろう?
と、いつも思います。


「おー!そんなんやったら辞めたら~!、二度とくるかだらぁボケぇえ〜!」
とか上司に言える様な方々なのか?
それとも元々勤労などせずとも楽しく生きられる財力をお持ちなのか?
何か国家機密レベルの秘密でも握ってるのか?
あるいは明日死んでもいいように、みたいな刹那主義な方々なのか?


・・・いずれにせよ、羨ましい。


まあ、話は夏に戻って、そうは言いつつも夏はまた来るのだから、最初から
「今年は捨て夏!」
なんて設定してたらいいのですが、僕にとってはええ感じでいくつか誘っていただいた近年稀にみる夏だから、余計に残念なのです。


「なんで、たいして何も予定なかった昨年までに誘ってくれないのん?」
と、思ったのですが、考えてみたら、誘ってくれた方々は皆さん、自身の作家活動を通して知り合った方々ばかりなので、そりゃ、展覧会のお誘いと遊びのお誘いも、比例するというものです。


とは言え、「作家は食わねどベレー帽」じゃないですが、目の前の発表があって、それに向かって何かを作れるなんて、冥利に尽きるじゃないですか!
クソ暑いけど。


というわけで、腰の辺りまで切れ込む水着も残念ながら今年も見れない夏ですが、幸いまだ季節は色々ある!
秋も冬も春もある!


そんで、季節ごとに、
「今年の秋も制作のせいで、紅葉借りも栗拾いも・・・」
なんて嘆いてりゃいいじゃない!


akirameomoza.jpg


「タイトル未定」蒲鉾板にウッドバーニングペンでドローウィング 2010


夏に焦がれてる・・・ということで、蒲鉾板を焦がして描きました。
(無駄毛の処理を忘れて描いてしまったので、モザイク処理しておきました~)
♪変人も泣いてる~ あきらめの夏~
あれ、漢字間違ってる?


そんな、夏をあきらめる最大の理由(って失礼ですね)は9月のグループ展です。
くわしくはこちら
こちらはあきらめないで!


♪ダーリン キャンチュシ~~? アイルトライトゥーメイキッシャイン~ ダーリンビーウィズミ~~~イィ~~イ~~ レッツゲットゥビー ソーファイン~~


今月の引用句:「蛸壺や はかなき夢を 夏の月」(松尾芭蕉)


*おわかりかと思いますが、今回ブログの随所に、「夏をあきらめて」(作詞作曲;桑田圭祐)を引用しています。

今回は、いつもこのブログを書いている地点の制作の田嶋はお休み、代わりに映
像の山田が書きます。はじめまして。


地点は、新作を作るのに3ヶ月くらい稽古しますが、俳優と違ってわたしは3ヶ
月の稽古に常に参加するわけではありません。後半の1ヶ月くらいはほぼ毎日稽
古にいき、映像を映していろいろ試しますが、それまでは演出家と打ち合わせや
美術プランのミーティングに参加したりするくらいです。だから地点の稽古に行
かない時期というのはかなりあるわけで、そういうときに何をしているかという
と、地点ではない作品の映像スタッフをしたりしています。


というわけでわたしはいま金沢にいます。東京のコンテンポラリーダンスカンパ
ニー「金魚(鈴木ユキオ)」の、金沢21世紀美術館内シアター21でのレジデ
ンスクリエーションに参加しています。劇場に2週間滞在し、最後の2日間が公
演日。つまり10日間も劇場を使って稽古できるということで、これは本当に贅
沢なことです。毎日10時に劇場に入り、13時から21時まで稽古。午前中はフ
リータイムです。


お盆の21世紀美術館は本当に混んでいて、開催中の「ヤン・ファーブル×舟越桂
」展の招待券を頂いているのですがなかなか見に行けません。昨日のフリータイ
ムはすいている劇場内の図書室で過ごしました。美術書や写真集を眺めているう
ちに新しいアイディアが生まれ、それをすぐに劇場で試すことができる。美術館
でのレジデンスは最高の創作環境です。


「金魚(鈴木ユキオ)」の新作「HEAR」は8/21,22に金沢21世紀美術館シアタ
ー21、東京公演は来年2月です。


ちなみに、地点はの新作は10月、目下稽古中、のはずです。チラシもそろそろ
できあがってくるようです。


このページの一番上へ