アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

最近は蒸し蒸しして、空もどんよりしてちょっと憂鬱な季節ですね。
でもこれを超えたら一気に真夏。
夏は最近あまり好きじゃないけれど、ポッキンアイス(で通じるのでしょうか)や真っ黒に日焼けした子供を見るとなんとなくホッとします。


毎月ブログリレーが回って来る度に、「もう一ヶ月経ったのか!」とびっくりします。
そういえばテレビを見ていても、一週間前と同じ番組を見て「もう一週間経ったのか!」と 思ったりしています。
意識しだすと早い、時間の流れ...。今年ももう半分が過ぎてしまっていますね。


前置きが長くなりましたが、今月は最近気になっているカメラの話をします。
このブログリレーでもちょくちょく写真の話をしていますが、技術的な部分ではいまだに素人です。
大学時代、一応授業も受けたのですが...カメラは絞りとか露出とか面倒だと、オート機能に甘えてさっぱり知識を得ようとしませんでした。(今となっては後悔でいっぱいです)
必要にかられてカメラは始めたものの、写真の楽しさを知らなかったのだと思います。


最近になって、やっと「撮りたい写真を撮る」という楽しさを感じるようになりました。
カメラも色々試してみて、全然撮れる写真が違うんだなと知ったり。
そうすると色々機能を試してみたくなるし、使っているカメラの機能に限度があればもっと良いカメラが欲しくなる。ごくストレートな心理です。
なので今、デジタル一眼レフが欲しくて仕方ないのです。
ただそれだけ、といえばそれだけの話なので申し訳ないのですが...。相変わらず専門的な話が全く出て来ない私の日記です。


興味を持ちだすととことん調べたくなる性格なので、最近毎晩のようにデジタル一眼を調べています。
やたらにカメラ屋さんにも通っています。
でもなんだか、これ!という決めてがないんですよね...。。
ランクはあまり高いものは無理なのでエントリークラスのものを...と思うのですが、どのメーカーが良いのか迷います。知識がなかったぶん、難しいです。皆さんどうやって決めているのでしょう。
見ためだけの好みで言えば、真っ黒で重厚感があるものが好きなんですが、あんまり重いと持ち歩かなそうだし...。。


最近はほぼ一日中ぐるぐる考えています。気になりだすとそればっかり考えてしまうのです。
とはいえ購入はまだ少し先になりそうなんですが、こうやってどれにしようか悩んでいるあいだが楽しいんですよね。しばらく悩み続けると思います。


昨日は七夕だったので写真は懐かしい七夕かざりです。
夜は晴れていたので、天の川が見えていたのでしょうか。


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こんにちは、ヤマガミです。


もう、蒸し暑くて倒れそうです。何年夏を経験しても一向に慣れません。


さて今回も勝手な僕の戯言を綴ります。


先日、昼間にコンビニへ行こうと歩いてましたら、何やら空に向かって怒鳴っているご老人がおられました。

最初は、そのご老人の対面に腰掛けていた、サラリーマン風のおじさまと口論になっているのかと思ったんですが、おじさまは、うつむき、そして沈黙。ま、独り言みたいです。僕がここで、この事をブログに書こうと思ったのは、何もこのような光景自体に興味が沸いたとか、そのご老人が何に対して、どのような事柄で、と、言うことではありません。その方への非難や嘲笑でもございませんので、あしからず。
特に珍しい光景なわけでも無かったのですが、その日は何故かこの様な光景を見た時に、ふとある考えが浮かびました。


※これは〈アングリープロジェクト〉と言う、ハプニングアートで、世界各地で、空に向かって怒りをぶつけます。


と、いうキャプションがあれば、立派な作品なのかなと。
はい。妄想です。ごめんなさい。


でも、この「This is Art」は、魔法の言葉だと思いませんか?この言葉さえ付けば、何かこう、急に高尚な行為や物質に見えてくるのです。まぁ僕だけかもしれませが。

しかし実際にこの「This is Art」的作品をよく見かけるのも事実です。この冠言葉がなければ、ゴミ一歩手前(失礼!)、冠言葉付きで、芸術作品。画廊内で、嘔吐してみたり、学芸員の排泄物を展示したりするのも、まさしくこの類ですね。僕の個人的な見解ですが、いつもとは少し見方を変えてみる事で、新しい価値を見いだすという作品が多くなってきている様な気がします。人の概念を変えることは、相当骨が折れますが、それをいとも簡単にシフトチェンジさせてしまう言葉が「This is Art」でしょう。さぁ皆様、この無敵の魔法を駆使して、どんどん作品を世に生み出しましょう!。。。は、冗談です。すみません。
しかし、本当にこの「This is Art」さえあれば、全てがアート化されるのでしょうか?


例題
絵が下手な芸能人の人が番組内で、変なキャラクタの絵を描いた。周りは大爆笑。そして下手だからこそ、画伯とか芸術とか言われてる。


このような光景、たまに見かけます。ま、変な絵自体がパワー持ってますので、ちょっと例えが悪かったかもしれませんが、やっぱりこれはアートでは無いように僕は思います。アートっぽいのかもしれませんが。


次の例題
炊飯器でご飯を炊いた。そのまま忘れ、1年間放置。思い出して、一人で開けるのが怖いので、人を呼んだ。開ける。びっくり。周りから、なぜ1年間も放置したのかと問いただされる。これはアート作品だと言い訳する。


あ、なんかこれはアートっぽいな(笑)でもやっぱり「ぽい」というだけで、芸術ではないような感じですね。かなりそそられますけどね。炊飯器の中を覗くの。


僕の勝手な考察では、やはり「This is Art」だけでは、作品ぽくなるだけで、アート作品自体にはなれないような気がします。
表層だけでなく、その作品の背景にある、思想や歴史みたいなものが、作品を作品たらしめているのでしょう。
表層だけまねて、「This is Art」じゃ、ただのコピー品ですね。そこに行き着くまでの、何らかの背景が見えれば、おぉ〜っ、いいじゃん、となるのかもしれません。先の話の嘔吐や排泄物も、言葉で聞けば、「This is Art」的ですが、実際はその作品の生み出された背景や、その展示環境などが大きく作品に作用して、とても面白く感じるのかもしれません。


となると、やはり、先日のご老人の前にキャプションが置いていても、作品とは思えなくて、何か悪質な冗談だと思うのかもしれません。
僕の妄想は、やっぱりただの妄想だったのですね。「This is Art」は魔法の言葉ではなかったみたいです。


しかし、本当にそうでしょうか?


もし皆様が、何もイベントや展覧会のない場所で、空に向かって起こっているご老人と、アングリープロジェクトのキャプションに遭遇したら、どう思います?


アート?
それともジョーク?
うーむ。。


なんて事を考えながら、蒸し暑い夜を過ごしております。

梅雨ですね。1ヶ月に一度のブログ更新というペースですので、毎回書き始めに、どんなテンションで自分が書いていたかな〜、と、少し前回の記事を振り返ったりします。そして結局、あんまりテンションとか文体とか特に気にしていないな...、と気づきます。そんなわけで、今回も「今、気になること」みたいな感じで、ミーハー的にワールドカップについて少し書こうかと思います。
ちなみにこの文を書いている7月4日時点では、ベスト4が出そろい準決勝はどうなるのか?!みたいな状態です。
僕は基本的にスポーツ全般が好きなので、大きな大会はけっこう見たりします。ワールドカップの他には、オリンピックとかWBC(野球の方)とか、WBC(ボクシングの方)も長谷川穂積選手なんかはとても気になります。トップアスリートはアーチストだ、という思いもあります。と言うのは、トップアスリートはアーチストに必要な要素である「才能=生まれ持った資質」「鍛錬=後天的に得られる資質」「発明=先天的、後天的な資質を融合させた新たな資質」を兼ね備えていると思うからです。アーチストという言葉の定義として、狭義と広義でいうならば後者の方になるとは思いますが。


さて、今回のワールドカップですが、個人的にいちばん気になった選手は中村俊輔選手です。本大会で活躍した本田選手や遠藤選手などのスタメンで起用された選手ももちろん注目はしていましたが。
中村俊輔選手は僕と同い年(1978年)ということもありますし、もともと好きな選手のひとりでした。同い年というのはあまり関係ないような気もしますが、同年代の活躍というのはやはり何か特に気になる存在ではあります。だいぶ前の話ですが、中学時代に岩崎恭子さんがバルセロナオリンピックの水泳で金メダルを穫ったのは衝撃的な出来事でした。


話を中村選手に戻すと、彼はアジア予選まで、というか本大会直前まではチームの司令塔として絶対的な存在でした。しかし足の負傷などもあり、大会直前でスタメンから外れ、本大会での出場時間はオランダ戦の26分だけという結果に終わりました。
今大会での中村選手の心情はいかなるものだったのか、というのを考えると、とても僕なんかの想像の及ぶ範囲ではないことは確かです。スポーツ選手である以上試合に出られないというのは、本当に辛かったと思います。けれど、各選手が口をそろえて言う「素晴らしいチームワーク」は中村選手の立ち居振る舞いなくしてはあり得なかったのではないかと思います。彼が辛いと言って腐ってしまっていては、きっとチーム全体に悪影響を及ぼしたはずです。けれどそうではなかった。
プロスポーツ選手としての個人的なプライド、ライバル心、向上心、単純に言うと「活躍したい」という気持ちと、チームスポーツとしてのサッカーにおけるチームワーク、つまるところの「チームの勝利」という目標との間での葛藤に見事打ち勝った彼のメンタリティは本当に尊敬に値します。


勝てば官軍、大会前の予想を大きく上回る日本代表の活躍にメディアでの代表の取り上げ方が180度変わったお祭り騒ぎムードの中、中村選手は何を思うのか、とても気になります。代表引退という報道もありますが、本当なのでしょうかね。まあ、中沢選手も以前そんなこと言いながら、戻ってきてくれましたし。そもそも代表引退って何なんでしょうか。三浦知良選手ならきっと今でも、代表狙ってると明言してくれるような気がします。三浦選手も中村選手も好きな選手なので、今後も活躍を期待しています。


日本代表の予想以上の大活躍、というのはおそらく大半の意見だと思いますが、この活躍と代表チームの成長を見ていて、昔に読んだマンガ「スラムダンク」を思い出しました。勝利という目標のためにチームがだんだん一つになっていく姿に、素直に感動しました。アスリートというアーチストが創りだす「物語」は、時にそこらのフィクションなんかよりよっぽど「いい出来」だったりします。(ちなみにスラムダンクは素晴らしい物語だと思いますが。)
一方で、アーチストの会田誠さんの「カリコリせんとや生まれけむ」の中の「ポエム―積年の恨みを晴らす時が来た。ボールよ、お前を殺す。」を思い出したりもしました...。これは簡単に言うと、球技が苦手な会田さんが、ボールに対する恨みをポエムの形で綴っているものです。さすが会田誠さん!!と言わざるを得ないこのポエムはこのエッセイ集の中でもとくに印象に残っています。ワールドカップの感動を素直にそのまま置いておきたい人にはお勧めしませんが、とても面白いので気になる人は狭義のアーチストの「物語」も読んでみてはいかがでしょうか。

7月ですね。
 
 
毎度、&ARTブログ〆切近辺で進行案件が重なり、ついついこちらには対応できなくなる。事前に準備していればいいのだが、そんな計画的な人間なら美術のお世話なんかにはなっていないのである。
納品関係遅れまくってる関係者各位にはこの場を借りてお詫びしたい。まったく一社会人としてどうかと。

 
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パラモデルの 世界はプラモデル
西宮市大谷記念美術館/兵庫
撮影日:6月24日~7月1日

 
 
目下、開催中/制作中のパラモデルさんの大規模な個展。
同時期に青幻舎さんから出版される初作品集に、今回の美術館での新作インスタレーションカットを冒頭に差し込むと言うことで、ちょうど昨日(7月1日)、作品集用の写真を撮り終え、デザインの豊永さんに納品し、本日入稿予定の関係者過労気味の進行でございましたよ、ってまだ終わってないな。
展示も本も相当のボリュームで、是非、両方ご覧いただきたい。
 
まとまって拝見したのは初めてだったが、どれほど引き出しがあるのか、制作量の多さとその実行能力に脱帽した。
一つ一つは、プラレール/配管/おもちゃ/ただの箱/etcetc......チープな質感のものだが、それぞれの取捨選択、ディープなリンクと得体の知れない完成度を、あるボリュームからモノと空間が持ち始める。
 
 
展示撮影について。
決まったカットになったか、僕には分からない。どうにか一部を撮ったという感じ。
作品集用のカットは昨晩、納品後のページレイアウトを見て、現条件でのベストだと思ったしその感触もあるにはあるが、会期冒頭での撮影では全貌を撮ることができないので、やはり残念さはある。
撮影した5分後にものが増えている/景色が変わっている、というのは会場につめた4日間、何度か味わい、その度に突っ込みたくもなった。冒頭1週間は公開制作中なので、もちろん変わることは確認の上で撮っていたけど、Fixだと思っていた展示室や廊下の片隅、外の庭園、におそらく予定せず反射的に建設されているのだからたまらない。たった一つ空間にアイテムが増えるだけで他の全ての見え方も変わってしまう。
公開制作期間の一応の設定はあったが、本人たちは会期終了まで作り続けるご様子だ。撮影時、ほとんど手つかずの部屋も二つばかりあった。
 
タブローも新作を含め、まとまって展示されている。
パラモデルと言えば空間展示の印象を持っていたが、こちらのずいぶんな量とそれぞれの完成度の高さも大変見応えがあった。ドローイングの量も、空間展示の密度の濃さを裏付けさせる制作量で、こちらも多く展示されている。また、最初にタブローをまとめて撮ったおかげで、その後のインスタレーション撮影の方向付けができた。
タブローやドローイングの多くがそう感じられたが、作品は透視図法、よりは投影図法または図面として描かれ、ありがちな遠近法は採用されず消失点も描かれていない(例外はあるにせよ)。風景、また図面には交差するファジーな遠景は設定されていない。現実には消失点なんか存在しないが、平面の見かけ上で曖昧にできるこの点を回避する姿勢が、たとえばパイプやレールの展示における増殖していくボリューム/方向性を導いているような、そんな感じ。極めて実作業を意識させられるタブローに僕は思えた。
で、展示撮影では巧いことそれを表せるようアングルを探す訳だ。作り込み過ぎなのは承知しているが、いわゆる鑑賞者の一般化された視点が本当に有効か、僕は疑わしく思っている。誰かを代表なんかしたくないし、できる傲慢さも持ち合わせてはいない。
 
出版は少し先なので実際に使用したカットはお見せできないが、没カットや制作風景などで雰囲気を感じていただければ。ご覧になるのは会期後半がベター、だとは思う。僕も終わりを見届けたい。
 
 
 
Art Court Frontier 2010 #8
アートコートギャラリー/大阪
撮影日:6月24日

 
こちらも大変なボリュームの展示だった。
鑑賞者として、また記録撮影で関わってきて、今回が一番見応えのあった展示に思える。
世界各地を放浪しまくっている大西さんと久しぶりに再会でき、写真で見ていたグルーガンの実作も拝見できた。
チープな素材をそのままに、単純なアクションで美しい効果を作り出し、そのチープさがギャップ要素として全体を柔和なバランスでまとめる作品を作る人、という印象だったが、新作の溶けたグルーの禍々しさと、それがビニールの柔らかい稜線として形作る表情のギャップと、素材を行為または別の素材で掛け合わせて異化させ、別の素材「感」を出現させ、つぎはぎ合わせる作品を作る人、という印象に変わった。
7月以降また別の土地に行かれるそうだが、またどこかで撮らせていただきたいと思う。
 
& ARTの木内さんも出品されている。以前インタビューの際お世話になったが、話は真面目だけど、作品(ついでにブログも/本当にいい意味で)アホだと言うことが良く分かった。笑わさせてもらったが、単純に笑いを誘うのではなく、笑う者にも悲哀を逆照射する道化を演じられている。

その他にも中庭を養蜂場にしている埋橋さんの作品/まさかギャラリーの撮影に来て蜂のシャッタースピードを考えさせられるとはな/や、入谷さんの絵画など見応えがある。今月24日まで開催中で、こちらも是非ご覧いただきたい。
 
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あと来月書く予定だがもう一つこれにかぶって進行中の件がある。
誰とは言わないがパラモデルさんも名和晃平さんも京芸出身者のこだわりには本当に学ばさせてもらっている。
30半ばに、ある一線を超えるかどうかでおそらくその後も変わるんだろうが、多分若くからこんな感じなんだろうな。
 
自身の作る、という事も考え時ではある。

7月です。2010年も半分が終わりました。早いものです。
2010年の上半期は展示の予定がないのを良いことに、生活環境の一新を行いまして、仕事を変えたり引っ越ししたりとバタバタしておりました。
下半期に展示の予定が控えているので、それに向けての制作時間確保を目的とした一新だったのですが、何故か一新する前とそれほど変わらない忙しさという、不思議な状態に見舞われております。まぁ楽しんでいるので問題はありませんが。


先程も触れた展示の予定ですが、9月にBIWAKO BIENNALE、11月にINAXで展示させてもらいます。考えてみたら、&ARTで自分の展覧会の宣伝をさせてもらうのは初めてです。久しぶりの展示で少々緊張しますが、近づいたら詳細を載せますのでよろしくお願いします。


さて、本題に入ろうと思って最近印象に残っていることを思い出してみたら、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだことしか出てこないという、何とも動きの少ない生活ではありますが、せっかくなので少し書こうと思います。


主人公のラスコーリニコフが、独自の犯罪理論を元に高利貸しの老婆を殺害することを企てるのですが、偶然居合わせた老婆の妹まで手にかけてしまったことで、様々な問答をしながら次第に罪の意識に苛まれていくというのが、かなり大まかな概要です。

物語はラスコーリニコフの問答を中心としながらも、予審判事や主人公の妹の婚約者など、様々な人物の描写も交えながら進んでいきます。


実は4,5年前に1度挑戦したのですが、上巻の途中であえなく挫折、最近移動時間がふえたため再度挑戦したところ、下巻の展開が相当面白く、「ロシア文学は合わない」などと小生意気なことをのたまわっていた過去の自分に張り手をくらわせてやりたい気分に駆られました。
特に、エピローグでの人間再生の描き方は思わず泣きそうになる。
まさかドストエフスキーに泣かされるとは。


かなり有名な作品なので大部分の方は内容を知っていると思いますが、私はタイトルを知っている程度の知識しか持たずに読み始めたので、その内容の多彩さに驚きました。
人物の回想場面では哲学書のようであり、予審判事とのやり取りの場面では推理小説を思わせ、最後の場面では人間ドラマとしてまとめ上げる、とても見事な構成になっています。


数年前に、これもドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』が「現代の社会を予言していた」と注目されたことがありましたが、視点を変えてみると、作品が書かれた1800年代後半以降、社会の様相や人の心理がそれほど大きく変化していないのではないかと考えることもできます。


ヘッセやカミュの作品を作品を読んでいても感じますが、非常に鋭い観察力を持って書かれた作品には、自ずと当時の社会情勢や風潮、人が抱える悩みが滲み出てきます。
例えば、ラスコーリニコフは回想の中で、社会主義思想を批判しています。


そういった作品が「現代の社会を予言していた」と言われるということは、それが人にとって普遍的な問題であるのか、もしくは近代のシステムが潜在的に内包している問題であるのか、まだまだ考える余地がありそうです。


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