
むかし何気なくyoutubeをサーフィンしていたらぐうぜん興味深い動画に遭遇しました。
二人がチェスをするみたいにコマをボードに置いていくと、置いた場所が音になりだんだん音楽が出来上がっていくというパフォーマンスでした。
http://www.youtube.com/watch?v=detM789SPI0
さいきん見た展覧会でそのパフォーマンスをやっていた人がその音の出るボードをYAMAHAとコラボして最新版(TENORI-ON)を展示していました。
なぜか僕は最近このような電子系のモノに心惹かれます。
それとは逆に作品をつくるときは、はじめたばっかりですが木を彫っています。
木を彫るときはいつもipodで電子の音楽を聞きながらノミを叩きます。
このアナログな感じに電子の音を組み合わせるのはとても心地よいです。
楠木のあの鼻がスッとするような独特の臭いを嗅ぎながら耳のなかはエレクトロニカやテクノです。楠木の臭いは長渕剛の方が似合うかも知れませんが、エレクトロニカやテクノです。
この電子音に癒される感覚が僕にも良くわかりません。人工的な音なはずなのに気づくとトリップ(宇宙旅行にいったような気分になる事)してしまいます。
自然の音で、川のせせらぎや鳥のさえずりではトリップできません。もちろんEXILEの歌やダンスではトリップできません。
むかし僕はゲームッ子でした。学校や塾が終わると家に帰ってすぐテレビゲームをやっていました。その時やっていたゲームはすごくハマってしまい、結局そのゲームのサウンドトラックのCDまで買ってしまいました。当時のゲームの音楽の主流の音は人工的な電子音でした。
僕の初めて買ったCDは今思うと、広瀬香美でもなく久保田利伸でもなくゲームのサウンドトラックでした。今思うと。
もしかすると、今僕の癒されているこの電子音の由来はゲームの音なのかもしれません。
そして今僕がメガネなのもゲームで毎日テレビを近くで見ていたせいなのかもしれません。
メガネ男子が流行って良かったです。これが流行っていなかったらただのメガネの男性でした。
メガネを買う時に気をつけなければいけないことは、お店に行く時は必ずコンタクトレンズをして行かなければいけません。メガネで行くと、いろいろ店のメガネを試着し鏡を見た時に裸眼になるので全然顔が見えなくなります。自分の顔にあっているのかどうか、ぼやけて判断できなくなります。
あとレンズの度がきつい人は、少し値段はあがりますが薄型レンズをおすすめします。分厚いレンズだと、試着のときは似合っていたメガネも、仕上がった時にはまったく別次元のメガネに早変わりです。目がもの凄くちっちゃくなります。
もの凄くちっちゃくて腹がたちます。
そして結局そのメガネは自分の部屋用として活用することになります。

コホ、、、
いつの間にやらコホリ、とでも咳をすれば周りの人の見てるような見てないような無言の視線が感じられる、そんな世の中になっておりますね。。。私も喘息持ちなもので思わず咳が出る時もあって、「いえいえ、風邪とかインフルエンザじゃないんですよ~」と言い訳したくなる事がよくあります、、、
さておき。
原宿~from 京都。といっても裏原宿。
原宿の中では京都みたいなもんですかしら(いささいか乱暴なふりわけですが)。
たまには人の手伝いもするということで、スタッフ仕事。先日、山下残ダンス公演『せきをしてもひとり(It's just me coughing)』の映像オペに行って来ました。(2月8日・9日 VACANT にて)
『せきをしてもひとり』とは自由律俳句の漂泊の俳人・尾崎放哉の詩句から「ダンスによる戯曲化」を試みた作品で、タイトルも放哉の詩句の一つからつけられています。
「せき」=「呼吸」をダンスの通奏低音として、「詩を読解」⇆「詩を身体から吹き出す」。そんな作品です。
映像の内容は「すう」「はく」の10回の呼吸が1つの画面にテキストとして表されていて、全80シーンをダンサーの呼吸を読み取りながら切り替えていきます。(独特の間合いでゆるり流れているように見える作品なんですが、実はタイミングにものすごくシビアなので、ド緊張しますし、笑えるとこも結構あるので可笑しくなってふっ飛ばないように集中集中。。。)
自分で自作のパフォーマンスの操作をすることもありますが、演出しもってなのでどうしてもオペは極められないことが多くていつも反省。。。次の時はぜひに!と思います。
タイトルの英訳 "It's just me coughing" も「イッツ ジャスミー コフィン」と3つの音節のリズムが心地好くて「呼吸」を意識したものなのでした(訳者:セス・ヤーデンさんも京都から見に来てくれました)。
フーときれいに息を吐き切ると、自然と次に吸う息が入ってきます。
吸うよりも吐くこと。体の表よりも後ろ側が大事。などなど、いろいろ舞台人たちに教えられることも多いです。
ところで、自分自身も展覧会間近なのですが、まだ今週に撮影もたくさん残っているような状態で、、、
だから東京に滞在中も空き時間にはウィークリーマンションにこもってプランニングしていたりという感じでした。
今回の作品は『トショモノ』って言います。
図書系のもの、みたいなノタリコンです。
大阪・難波のGallery Hosokawaにて3月に展示します。
写真は撮影しているところ。。。

1人こもっての制作もあれば、私の場合、周りでスタッフをしてくれる人がかなり心の支えに。
今回も映像の出演者の大原千晶さんとか(彼女のことも長年ずっと撮っています)、本やデザインワークのパートナー納谷衣美さんとか、設営のスタッフをやってくれる彫刻家の築山有城さんとか。
だから私の場合、せきをしてもひとり、ではないなぁ、、、
では。まだ寒さ厳しいですが、みなさまも暖かい春が迎えられますように。
2月8日にUrBANGUILDにて音楽×ヴィジュアルアートのイベント「オトエホン-15」を開催しました。
この日は、林加奈(紙芝居と演奏)+HANA★JOSS(ガムラン)/
むーとん(音楽)+足田メロウ(絵)+にしもとひろこ(お話朗読)/
にしもとひろこ(ペインティング)+イエグチナルキ(音)の3組が出演。
まずは林加奈とHANA★JOSS。加奈さんのハイテンションな語り+不条理なストーリー
ときどき演奏とか歌に、HANA★JOSSの演奏が加わり
(HANA★JOSSはダンス、セリフ、人形などでも参加)なんともシュールな世界。
笑い誘い会場の雰囲気はなごやかに。加奈さんの"やりきる力強さ"は
僕には無いな~と感心しながら見入ってました。
で、僕らの。加奈さんが紙芝居ってことで、こちらも紙芝居的なものをやることに。
あらかじめお話を用意しておいて、むーとん(DUB MARRONICS/ドラヒップ/スズメンバ)
がPCその他諸々の機材を駆使して音楽を担当、要所で歌。
むーとんと僕が「お話の朗読はこの人しかいない!」と白羽の矢をたてた、
にしもとひろこ(たゆたう)のゆる声なお話朗読。
僕はシーンに合わせて一枚づつ絵を描いていき、
その様子をビデオカメラで撮影しプロジェクターでステージバックに投影、
ビデオカメラを使うのは何度か経験があるけどストーリーがしっかりあるパターンは
初めてだったので、お話についていくのにいっぱいいっぱいで吟味する間もなく
あっという間に終わってしまったかんじ。でも、むーとんもひろも楽しめたみたいで
「このお話でアニメーションつくろう」ってことになりました。
最後は、にしもとひろこのペインティングにイエグチナルキ(ex花電車/PARA etc)のピアノ。
床に広げた2メートル四方程のクラフト紙に、白・黒・オレンジの三色の絵の具をこぼして
手や身体でのばして(筆は使わず)、始めは「絵」らしきものを描いてたけど徐々に画面は
どろどろに、ひろも全身どろどろに、絵の具の浅瀬でのたうちまわっている
イルカのようにみえてかわいかったです(表現的に合ってるのかわからんけど)。
イエグチくんのピアノは終始麗しく、地べたで絵を描いてるひろの周りをお客さんが
ぐるりと囲んでの図はすてきでした。
で、終わってほっと一息。みなさん芸達者やな~、と。
あとはお客さんも交えて次の話もしつつわいわい飲んで、家に帰って時計をみたら朝の5時前。
みなさんおつかれさまでした。
下記のはこの日の「お話」です。僕の娘が5歳のときにつくった話を基にして、
むーとんが脚色、ひろが仕上げました。
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空みたいな世界でした。
その世界の真ん中には分厚くてまん丸い雲の塊があって、
そこからはいろんなものが生まれます。宙を漂う浮き島や、
そこから流れ落ちる何本もの川、ふわふわと浮かぶ薄い雲たちは、
あっちへ行ったりこっちへ来たり。
いろんなものがたくさんにあふれかえる頃にはその雲の塊の裏側から霧の海が吹き出し、
真っ白に光りながら世界を包み込んだかと思うと、
太陽と月が出会うころにはまた元通りに戻り、また、まん丸い雲の塊がぽっかりと浮かんで、
新しい世界が生まれていくのでした。
それはとても綺麗な光景で、果てしなく遠いどこかまで、目に映る全てのものが、
手を取り合って繋がりながら1つの色に広がっていくみたいでした。
途切れることなく、そこにはすべてがありました。
と、同時に、それは何もないみたいでもありました。
霧の晴れたある朝のこと、そんな雲の塊の上を、あおいおばあさんとみどりのおじいさんがあるいていました。
おばあさんとおじいさんの横を、いろんなものたちが通り過ぎていきます。
逆立ち歩きの双子の小猿や、一本足で飛び跳ねるカンガルーの親子。
くるくると回りながら進むシマウマたちや、宙を行き交う象の群。
なぜだかみんな不思議そうな表情で、ふたりをのぞきこんでいきます。
みんながあまりに不思議そうにしているので、おばあさんとおじいさんもようやくそれに気が付きました。
みんなの視線に、ふたりも不思議な気持ちなっていると、
ちらほらと話し声が聞こえてきました。
「おばあさんとおじいさん、なんだか楽しそうだね」
「なんでだろう?」
「なんでかな?」
「わたかった!ふたりはワルツで歩いているんだよ!」
「ワルツってなあに??」
「ルンタッタ♪ってやつさ」
「わ?、すてき!」
「けど、わたしにはむずかしそうだわ」
なるほど。それでみんな不思議に思っていたのですね。
すると、おばあさんとおじいさん、ニコリと微笑んで「かんたんよ」と、
ゆっくりと丁寧に、軽やかに踊りながらワルツの歩き方を披露しました。
一通り踊り終えたかたと思うと、「みなさん、ありがとう」と、
その場で1つおじぎをし、「また会いましょう」とみんなに手をふりながら、今度はマーチであるきはじめました。
しばらく歩くと大きな広場にでました。
暖かい日差しをまとっていてとても気持ちよさそな場所です。
ふと片隅に目をやると黄色いベンチがありました。
少し歩き疲れたふたりはそこへ座り、一休みすることにしました。
ベンチに腰かけてお茶を飲んでいると、一羽の小鳥が飛んできて、
おばあさんの前にとまってこう尋ねました。
「おばあさんはト音記号のおばあさんですか?」
おばあさんはおどろいて答えました。
「ト音記号とは何かしら?わたしは青いおばあさんですよ」
「そうですか・・・」
小鳥はとても残念そうにどこかへとんでいきました。
すると、もう一羽、また別の小鳥が飛んできて、
今度はおじいさんの前にとまってこう尋ねました。
「おじいさんはヘ音記号のおじいさんですか?」
おじいさんはおどろいて答えました。
「いいえ。僕は緑のおじいさんですよ。ヘ音記号とは国の名前かい?」
「うううん。違うのならよいのです・・・」
小鳥はとても残念そうにとんでいきました。
小鳥たちの期待に答えられなかったのは少し残念でしたが、
不思議なことを聞かれたもんだ、とふたりは顔を見合わせて、
笑いました。お茶をのみ、少し早いお弁当を食べたふたりはまた歩き出しました。
しばらく歩いて、太陽が高くのぼる頃、小さな黒猫に出会いました。
猫はこちらを見ています。ふたりがその場を去ろうとしても、
にゃーにゃーと後をついて来るので、「おやおや」と、
おばあさんが猫を抱き上げると、黒猫はゴロゴロと嬉しそうにしています。
「仕方のないこだねぇ」と、ふたりは猫を連れて帰ることにしました。
森の小道の途中にある泉にさしかかると、
黒猫がキョロキョロと何かを気にしだしました。
あたりを見わたし、おばあさんとおじいさんの顔をじっと見つめたかと思うと、
くるんと飛び上がって「にゃー!」と鳴きました。
「わー」っと驚いたふたりをよそ目に、その鳴き声は440の波をつくって響き渡り、
海みたいな世界が一面にできあがりました。
ひと息の間を置いて、猫は尻尾を振りながら、
何かを知らせるように「ふーっ」と息を吹きかけます。
すると、どこからともなく群青色に輝く大きなクジラが空と海の狭間を埋めるようにやってきたのです。
2つの世界は1つになり、長?くたなびくクジラの髭が五本の線を描きました。
「おばあさん、おじいさんどうぞこちらへ」
どこからでしょう。ふたりを呼ぶ声が聞こえました。ふたりは誘われるようにふわふわと漂い宙を舞っていきます。
1つになった世界の中、
青いおばあさんはト音記号になりました。
緑のおじいさんはヘ音記号になりました。
正午の鐘がなると同時に、やってきた無数の鳥たちは音符へと、
そこにいる全ての生き物が一斉に飛び立ち音となりました。
それはそれは言葉にはできない、とても綺麗な光景で、
途切れることなく果てしなく、遠いどこかまで広がって行くようでした。
先月末に1年ぶりに東京へ行ってきました。
始め夜行バスで行こう思ってましたが、ちょっとリッチに「ぷらっとこだま」。
京都から3時間半ぐらい。
おかげで富士山を見る事が出来ました。
「のぞみ」で行った時は気がついたら過ぎてるという感じだったので。
1日目は横浜美術館→国立新美術館→森美術館。
2日目は東京都現代美術館→小山登美夫ギャラリーなどのビル→gallery αM→レントゲンヴェルケ→INAXギャラリー→メゾンエルメスギャラリー→資生堂ギャラリー→東京都写真美術館。
3日目は原美術館。
2日目、かなりハードに動いてます。
よかったのは東京都現代美術館「レベッカ・ホルン展」。ピアノの鍵盤が動いたのを見れて幸運。メゾンエルメスギャラリー「小谷元彦展」もよかった。あそこのギャラリーは入るのに勇気がいります。
原美術館「ヤンフードン展」、横浜美術館「束芋展」は使っている機材と設置のしかたが気になって仕方がなかった。
東京へ行く度、何かしら変わっています。
ビルが植物のように生まれては枯れていくようなそんな感じがする。
首都高が蔓と行った感じでしょうか。
生まれ育った場所と正反対なので、ほんとビルの森を歩いてる感じがします。
そんな感じで何か作品できないか考えてました。
とある漫画で出てきた、「葛西臨海公園」へ行って見ました。
平日のしかも冬なので、人はまばら。
最近買った新たな相棒canon「PowerShot S90」で何枚かパシャリ。
あまり時間がなく長くはいれませんでしたが、また写真を撮りにきたいと思える場所でした。都会の騒々しさとは違って、のどかな時間の流れを感じる心地よかったです。
余談ですが、東京の名前の由来。「東の京」という意味で付けられたらしいです。元々は「東京府」だったのですが、1943年の都制により「東京都」になりました。
しかし、「東京都」。「東」を取ったら「京都」。これは偶然なのでしょうかね~。
かなり久々にがっつりと展覧会を見たせいか、年末ぐらいから落ちていた制作意欲が湧いてきました。リフレッシュは大切ですね。
今回は作品とはあまり関係ないのですが、最近気になっているものの話をします。
私は作品を描く際に資料として写真を使用するので、描きたい風景のありそうな場所へ撮影に出掛けています。
それはあくまでも資料用の写真なので、写真だけで作品として独立できるようなものではなく、人に見せることもほとんどないものです。
ところが最近、作品資料とは関係なく自分好みの雰囲気の写真を撮ってみたいという気持ちが高まって来ました。
(といっても写真作品を作るとかではなく、趣味の話なのですが...)
そこで気になりだしたのが、トイカメラです。
トイカメラで撮影された写真の色や雰囲気がすごく好きで、私も撮ってみたいと思うようになったのです。
しかしトイカメラは持っているものの、何度か挑戦しようとして挫折した過去がありました。
それというのも、フィルムを現像するのが苦手で。
なかなか思うように撮影できないトイカメラで、何本もフィルムを現像したらお金がかかりすぎる...!と思って挫折してしまいました。。
最近ではそんな悩みを解決してくれる「トイデジカメ」というものがあることを知り、早速始めてみることにしました。
手始めに30万画素の安いトイデジカメを買ったのですが、これがとても面白いんです!
パソコンに繋ぐまで画像が見れませんが、失敗していてもすぐに削除できるし、トイカメラに比べて経済的。気軽に楽しめます。
光に弱くてほぼ白く飛んでしまうし、25枚撮影してちゃんと撮れているのが5枚以下だったりするのですが、たまにすごく良い雰囲気の写真が撮れていたりするんです。
予測のつかなさが面白い。
解像度の低い独特の荒れた感じが、印刷物やイラストのようでもあります。
画面に写りすぎないからこそ見えてくる景色が、そこにはある気がします。
ただ、やっぱり安物すぎたため色が全然出ないので、次はもうちょっと良いトイデジカメを買おうかなと検討中です。
最初から吟味すれば良かったんですが、待ちきれなくて(笑)
写真はトイデジカメで撮影した数少ない成功例です。もっと精進したいです!

こんにちわ。ヤマガミです。
いきなりですが、今年の4月にneutron tokyoにて個展をさせていただきます。詳細は会期が近づけば、アップします。
で、今、制作の真っ最中。というか、怒涛の制作の日々が続いております。
今回は作品サイズも大きく、細かな作業が多いとはいえ、なかなか思うように作業が進みません。こんなにひとつの作品に時間を費やしたことないんじゃないかってくらい、というのは大げさですが、まぁ進み具合が、遅いです。
まさに亀の歩み。急がず、慌てず、千里の道も一歩から。と、自分に言い聞かせながら、コツコツとチビチビと毎日の作業をこなしているわけです。でも良い作品になる予感がとてもしてます。
僕は制作までの手順として、先に作品の大まかな完成図をイメージして、それを煮詰めていきます。で、吟味して良さそうなら、制作に入るという手順です。大体、いつも。大概はボツになりますが。
その具体的に構想を練っている時に、同時に作品タイトルが浮かぶ時があります。突然、浮かんだりします。その時は何ていうかもう、ものすごく嬉しいわけです。やっぱり作品タイトルは重要ですよね。少なくても僕はそう思っています。作品自体の、コンセプトやテーマを伝えるだけでなく、作品自体に何らかの補完をしてくれたりしますので、僕は結構重要視してるのです。そのタイトルを、最後に何となくつけるのが嫌で、制作中に浮かべば非常に嬉しいのです。その時はとても良い作品になるような気がしてくるのです。ま、気持ちの問題でしょうけど、それも重要なことですので。
で、浮かびました。現在進行中の作品に。作品タイトル。と、言うよりも、浮かんだのは去年の8月くらいで、(6月くらいから具体的に構想を練ってまして)実際制作に入ったのは10月ですが、その時には、まだこの世に生まれてない作品に名前がありました。サイズも、技法も、あまり定まってないのに、名前がありました。制作中の作品を見せたりするのは、何となく嫌なのですが、とりあえず名前は「Sleep Walking」になりました。これを、毎日のように連呼するわけです。良い名前のような気がするが、しっくりきてないような気もするなぁ、なんて思ったりして、こころの中で連呼するのです。まぁ、こういう時は往々にしてファーストインプレッションが正解なので、今回もこれになりそうです。先に作品タイトルが浮かんだ時は良い作品になるような気がするという、気のせいや思い込みに近い、自分なりの勝手な験担ぎがありますので、今作もきっと、裏切らないはず。頼んだぞ、「Sleep Walking」。
そして当分の間、「Sleep Walking」氏と共に生活をしそうです。
「Sleep Walking」な素材たち。
先日金沢21世紀美術館でおこなわれている、「オラファー・エリアソン あなたが出会うとき」に行ってきました。
すでに行って来た方からの情報で、かなり見応えがあるということだったので、とても期待しながら行きました。いやいや、期待以上、感動すら覚えました。
以前、原美術館での展示を見た時もそうだったのですが、作品の構造はいたってシンプル。考えてみれば、「ああそうか」と思うのですが、そこにあらわれているものは、まさに宇宙といっても過言ではない感じです。メディアそのものはそれほど特殊なものではないし、そこでおこっている現象も「魔法」ではないし、けれどすごい...!!
そこでおこっていることは、宇宙の構造の断片。しかし、その断片から宇宙の全体が見える、という感じでしょうか。妙なメッセージ性や説明的なものがなく、現象を見せるシンプルな構造がかえっていろいろ読み取れるのかなあ、と思ったり。
思わず、美術館内をグルグルと何度も回ってしまいました。
作品の解釈はおそらく、僕自身の理想的な作品のあり方に引きつけているのだろうとは思います。それは、世界の仕組みや構造を読み解き、それを提示することでより大きな世界(いつも宇宙と言ってしまいます)を感じさせるというものです。杉本博司さんの作品からも似たような感覚を受け取ったことがあります。
このような素晴らしい作品に出会うと、とても嬉しい気持ちと、とても悔しい気持ちが同居します。頑張るしかない...!!と思いながら。

写真は、大雪のあとの兼六園にて。