アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

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小泉明郎
「A LOVE SUPREME / 至上の愛」
Gallery RAKU
撮影日 2月12日、13日

 
 
5年前、アムステルダムのアーティストインレジデンスへ面接に行った際、当時の滞在アーティストであった小泉さんには大変お世話になった。面接の前日、みんなで餃子を包み、煮て焼いて、白米の黄金コンビの夕食をいただいた。緊張と貧乏でろくな食事をしていなかったのでこれは大変なごちそうになった。結果不合格ではあったけど、いい思い出になった。
以来お会いする機会もなかったが、今回の展示に伴うパフォーマンスと、浅田彰さんとのトークイベントの記録撮影を依頼され、というか半ば志願して再会する事ができた。せめて恩返しではないが、2日間みっちりと撮影させてもらった。

これまで制作されてきた「男たちのメロドラマ」、実在の人物を小泉さん自身が演じるパフォーマンス作品の三作目は、京都、金閣寺を炎上させた僧、また市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹、介錯された三島由紀夫をモチーフに制作されている。
暗い現場(会場という響きが似つかわしくない)には、粘土製の三島の生首がころがり、僧侶(おそらく)のマスクが釣られ、中央には割腹用の畳が二畳、短刀や粘土が準備され、奥に日の丸の祭壇とスクリーンが設置してある。
パフォーマンス記録用のビデオカメラが三台設置してあるが、これは制作/記録とともにライブでパフォーマンスの一部にもなる。 
 
介錯人と観客が君が代を唱い、小泉さんは祭壇に向かいマスクを冠る。
切腹場に座る小泉さんのちょうど男性器の場所に粘土をこねくり回す台がある。ハンディカムがアップでその粘土を撮影し、もう一つのビデオで撮られた小泉さんの頭部とともに後方のスクリーンに映し出される。口中にしこまれたマイクから爆音でノイズ化された声が響き渡り、主人公は粘土を性器に見立てマスターベションを始める。後方のスクリーンでは粘土と小泉さんの頭部が重なった映像が流れており、観客には自分自身の頭をいじり回してエレクトしている様が見える。時折言葉にならないうめきのようなアイシテイマスが響き、絶頂の中、金色のラッカーが『性器』にぶっかけられ、潤滑油の様なヌルヌルした着火材でさんざんいじり回された『それ』に火が着けられ、匕首で切り取って祭壇に生けて演目は終わりである。
言葉では全然つまらないので是非会場で拝見していただきたい(と思ったら会期は終わってしまった残念、またの上映を是非ご覧いただきたい)。

NGとは虚構から素に立ち戻る地点で、通常は笑いどころである。上演中、手に着いた着火材に火が回り、小泉さんも結構慌てているように見え、また陰毛の焦げる臭いまでが立ちこめてさすがにヤバいかな、と思わされたが、続行された。私は笑いをこらえつつシャッターを切り続けた。同時に思うのは、このヤバいという感情、中断し、興奮やら何やらの虚構が一挙に断ち切られ、やっぱりな、という素に戻る感覚、もしかしたら救済措置かもしれない。これが美意識として出来なかったのが三島由紀夫ではなかったか。あげく失笑も意に介さず素に立ち戻れず(戻る必要の有無は知らないが)、腹を切って死んでしまった。
 
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もう一つ、後編であるがトークイベント。
浅田彰さんとのトークは三島論で盛り上がったが、途中の質疑応答で厄介な親父にマイクが渡ってしまった。そこで小演説を一席始められたのである。たいした内容ではない、今の日本はいかんだの、正しい歴史認識だの、首相の子供手当はなんだの、司馬史観好きの親父で、なんの疑問もなく固定した価値観でただこの場で演説ぶりたいだけの親父だ想像に難くないだろう。会場のなんとも嫌な空気を想像されたい。誰かが制止するんじゃないかと思った。
浅田彰は大人である。長ーい質問(という演説の)後、その司馬好きの質問者のメンツもつぶさずさらっと流し、状況を立て直す。三島のアンチとしての司馬→新撰組血風録→映画御法度→男同士の友情の様な性愛とそれって三島の楯の会ですよねと、話を広げる抜群のレシーブである。

対して小泉さんは何か違う目で見ていた。会場中がうんざりしていたが、そんな異物を相手に、前に来て演説を始めてくれと進めだした。積極的にこの異物を、美術が大好きなんですという観客たちとの一見真面目な状況に取り入れ、本来の目的から逸脱したシュールな場に変容させようとする、ような制作スイッチが入ったんじゃないかと思えた。うがち過ぎにもほどがあるな。
今回のパフォーマンスもそうだが、モチーフや演技の取捨選択のセンス(という横文字よりも異能とか特殊能力とかそんな類いだが)それが小泉さんの作品の魅力という所か。イベント終了後、小泉さんは真っ先にその親父に駆寄った。
 
 
 
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京都オープンスタジオ2010
撮影日 2月14日

 
& Artの特集取材。
小吹さんの完璧なナビゲートのおかげで、なんとか一日ですべての会場を回る事が出来た。どの会場も変というしかなく、どうやって見つけてきたのかと思わされる物件ばかりである。モノを作る執着のある人たちは概ねこの嗅覚に優れている。また移動車中、小吹さんとも話していたが、この年代のこういった物件のショーの仕方は何かの主張、ではなく極めて現実の延長線上である事が感じられた。売れる事がずいぶん身近で明確に設定しやすい世の中になったのだとも思う。関係者も結構来ていたようだし、設定上の最終日もあってか大層にぎわっていた。
写真はAAS(田中英行さんの個展「空宙の∞〜忘却の果ての歴史α〜」)にて東西のギャラリー王、幕内さんと小吹さんのツーショット。幕内さんはいつもそうらしいが自転車で京都中を回られたそうだ。すごいな。
個人的には兼文堂スタジオの感じがすごく良かった。展示もとてもよく、拝見できてよかった。またGURAも以前お邪魔した時よりもかなり完成度があがっていた。取材都合でゆっくり出来なかったのが残念だ。


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森川穣
「雨の降るを待て」
studio 90
撮影日 2月21日

 
昨年の募集案内チラシから関わっていた京都芸術センターの公募2010、出品作家の森川穣君の同時開催企画である。芸術センターでの展示は寺島さん、森川君、両人ともに空間を変容させ、好対照な展示で見応えがあり、また大変撮り辛い内容だった。詳細はいつかまた。


で、studio 90である。またも壁が黒くデジャブかと思ったが、これまでで最高に暗く撮影の難しい現実だった。
真っ暗な空間にいくつか天井から床にライトが落ちており、その先には水の入った器がある。よく見るとその横にも整然と器が並べられており、そちらには光も落ちておらず水も無い。暗いせいもあるのか空間がむっと湿気ている。
器の水は雨水と聞かされ、これは雨の日だけライトが当たっているという寸法だ。
3連続で器に光が落ちてそれぞれ水がたまっているのを見ると、天気予報の味気ない未来図とは違い、自身の記憶を辿って雨の体験を引き出す、経験した事のない微笑ましい感情がわいてくる。

ただ撮影には時間がかかった。LED光源は撮った事がないが、とても暗い。解放近辺でも10分程の露光時間になる。1カットとって微妙な構図の誤差や光の状態を修正し、撮影を繰り返す。ノイズが盛大に撮像画像に入りこみ帰宅後の編集も長丁場を予感させる始末である。
終わる頃には日が変わっていた。
写真はスタジオの屋根で雨水の入った器を変える森川君。作品はとても詩的な内容だが、深夜にこれは完全な不審者である。
ともかくもお疲れさま!

オープンスタジオ中のGURA、一番奥の暗ーい部屋の中でカチカチとMacをいじっている人がいましたら、それが私です。


4月頭にに展示を2つ、しかも同時期に、違う土地でやる事になっており、作品をそれに間に合わせないといけない切羽詰まった状態なので、これはもう自分のアトリエ空間の機材も展示用に使っている余裕はないな、と思い公開制作という形を取らざるを得なくなっております。


映像の公開制作など、ビジュアル的には全く面白くないと思います。
一人の男が自分に背を向けて、画面に向かっている姿など、いったい誰がみたいでしょうか。僕は見たくありません。。せめて見栄えを良くしようと、部屋を暗くして電球色のライトを点け、壁面にPC画面を投影して贅沢な制作空間を演出しようとしているのですが、効果は疑わしいものです。


基本は外に撮影に出ているので、その際は過去作を流しっぱなしにしたりはしているのですが、編集している映像の書き出し時間とオープンしている時間が重なると、本人不在の上に面白くもないPCの処理画面の大写しを見せる事になってしまいます。


生のアーティストの姿をみて欲しい、という僕の願いは、叶いすぎるほど叶っているのですが。


外に撮影に出ている、といいましたが、札幌ナンバーの水色のミニクーパーのルーフに、黒い金属パイプで構造を組み、それにカメラを固定して撮影しながらで走っている輩が、ここ何週間か京都各所(夜間も多い)に出没しています。それが私です。


新作の為の素材を集めているのですが、ブレを低減する為にステディカムもその構造に組み込んでみたのですが、ミニクーパーという車自体があきれるほどバネがなく、揺れる車で、奇麗な流れるような映像を撮る事は困難でした。なので今回は、そのブレもうまく作品に消化するような形で作ろうと思っています。


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映像に追い込み作業は付き物なのでしょうか。もっとスマートに、さらりと制作を済ませられる方もおられると思いますが、こちらは学生時代から何の進歩もしていないように思います。

長谷川一郎さんや田中真吾さんがブログリレー書いている[オラファー・エリアソン]、僕にとってすごく刺激を与えてくれるアーティストの一人です。(金沢行きたいけど、行けそうにない!)
今回はそのオラファー・エリアソンの話題から展開していこうかと思います。


2008年にNYにたまたま行くことができたのですが、その時に運良くMoMAで大規模なエリアソンの展覧会を観ることができました。MoMAとP.S.1の両方を使った本当に大きな展覧会で、二日にわけて観に行きました。それを観れただけでも、NYに行けて良かったと思えるほどの展覧会でした。
彼の光を使った作品には大体やられます。展示の中で印象に残っているのは、通路の壁に無造作にもたれかけられた鏡と天井からの照明機材が一つあるだけで、その鏡に反射して通路に光が当たっている、というだけのシンプルな作品。そのシンプルさの中にとても深いものを感じました。もっとたくさんの素晴らしい作品がありましたが、書き出すとおそらく止まらないので、今回は割愛させてもらいます。


そして、光のアーティストの大御所と言えば、[ジェームズ・タレル]ですね。
タレルの作品を初めて見た時は確か二十歳だったと思うのですが、その体験では本当に感動してしまいました。


この二人の光を扱うアーティストに共通して感じることは、僕にとっては鑑賞者の存在を強く意識していることです。
タレルの場合は、鑑賞者の知覚にどうアプローチするかというところから普段は知覚できない光や、自分の知覚/感覚自体を驚きをもって新鮮に感じさせてくれます。
エリアソンの場合は、ちょっと目線を変えさせてくれることで、普段でも目にするような素材や光景を特別なものへと変化させてくれます。使っている機材も(僕のとってはよく目にする普通の)舞台照明だったりするし。鑑賞者自体や鑑賞者同士の関係性を作品に組み込んだ作品は、全然いやらしくなく、自然と見ている人同士で笑顔になるようなこともあったり。(これは外国だったからかもしれませんが。)


そのような鑑賞者の存在や視点を計算された作品にはいつも刺激を与えられます。
舞台の場合、観客/作品の関係性が観るもの/観られるものという構図が強固なのですが、なんとか舞台でもその関係性に揺さぶりをかけられるようなことができないかと思ったりしています。


光というメディアは、視覚をコントロールするには必要不可欠なものなのですが、
実はあまり意識されないものでもあったりするのかもしれません。
あたりまえに太陽があり、夜には月があり、家に帰ってスイッチを入れれば明かりは点きます。
都市に住んでいれば、夜道を歩いていても、「本当に暗い」と感じることも今では少なくなってきました。
(僕の実家はものすごく田舎でトイレも家の外にあったので、幼い頃は夜にトイレにいくのが本当に怖くて、いつも走っていってました。)
光がなければ実は何も見えないということや、光の存在自体を感じることが考えてみれば少なくなってきているなーと。


舞台の始まりはたいてい、一度暗転して(真っ暗にして)から始まります。
そのことを、一度「観客を殺す」という表現をした人がいました。
日常の感覚や、その観客の日常的な存在(社会的な存在)のあり方、価値観を闇を通過することで「殺す」ということです。
そこから作品を新鮮な感覚で観る為の儀式のようなものという捉え方です。
舞台が始まっていく「暗闇」に感じる、何か新たな体験への期待と同時に自分がだれでもない観客という存在の一人になっていく感覚は、そういえば気持ちの良いものだと思います。それを殺すという表現をしたことに、僕はとてもまっとうなものを感じます。
光と闇、それぞれの力をあらためて捉え直して、作品に活かしていきたいものです。


というところで、ちょっと宣伝なのですが、3月の公演では、企画の大枠のテーマが、「照明と身体の妄想」。
三つの作品のオムニバスなのですが、dots以外の作品では、ダムタイプでの活動やLED照明を使った作品で知られている藤本隆行さんが照明をされます。少し話しを聞いている段階でもとてもおもしろそうです。
dotsでは派手ではないけど、渋い光の使い方を妄想中です。


今回は、そんなつもりなかったのに長くなってしまいました...

ベランダのチューリップが芽を出してるのを発見。
いま3cm。うれしいかわいいわーいわーい。


こないだ。色鉛筆を愛する私のリクエストに答えて家具職人のふくちゃんが鉛筆立てをつくってくれた。
しかもカステルが入るように普通よりもちょっと太めの穴で。
うれしいなーうれしいなー。
98本収まるのだ。偶然にもうちのテーブルの幅とほぼぴったり。
これはもうなんだしばらくドローイング週間だ、月間だ。


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なんだかいろんなことが変わっていく。
じゃあそのもっと根底に流れる大切なものは何だ何なのだ、ということに意識を集中させる日々。
何かとてつもなく本当のこと(もしくはモノ)について。


こないだ フォーチュン クッキー からひらりとこぼれ落ちた言葉


" A challenging surprise is waiting."   


そうか。


わたしは フォーチュン クッキー を食べるときの少しの緊張感が好きだ。
それはきっと言葉の強さに関する問題


風景が不思議な共感によって生成されたこと


投影による二重の世界


それにしても
ほんとにいろんなものに人に励まされて助けられて歩いてる
ひとりじゃなんにもできないよ
クルテクだってパンにバター塗るの手伝ってくれるし


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いつものように、とりとめのない話です。


仕事と制作をしております。
パソコンの前にすわって制作をしていると1日外に出ないことも多いです。
カメラを持って撮影に出かける時はずっと歩いています。京都
のアトリエの近くで撮影することが多く、
宝塚や西宮北口でも時々撮影します。
生活の圏内での撮影が多いです。


ツーリングに出かけられるような自転車がほしいとずっと考えています。
購入しようと思います。
映像や音楽、美術にかかわっている友人で自転車にくわしい方
も多くそれぞれのお話をきくのが楽しいです。
自転車の映画祭とかあるそうです。たのしそう。


子供の頃自転車にのって鞄ひとつで家出をしたことがあります。
夕方までに家に帰ってしまったので、
家出にはならなかったけれど、
思い出すとちょっとどきどきします。
なぜか、鞄にロープと魚肉ソーセージを入れていた記憶があります。


友人の音楽のレーベルの運営に参加していて、
今年もまた無事にリリースをすることになりそうです。
レーベルの名前はseeと書いてドイツ語でゼーとよびます。
湖という意味です。
英語のseeにも意味をかけています。


湖で思い出したのだけれど、
うだるような暑い夏に子供のころ友人と二人で京都から琵琶湖
まリュックとテントを背負って歩いて行ったことがあります。
暗闇の山中に建てた、
テントの中のランタンの光は言葉にできない何かがあったように思います。
特別な一夜でした。


今年は京都では久しぶりのサイセクス名義でのライブに始まり、別の名義の活動も充実したライブやDJで幸先良くスタートきれているかなと思います。(しれっと)
なんで2月のブログリレーで年始の話なのと。先月担当をとばしているからでした。すみません。
例にもれず、つぶやき文体になってしまっています。
(この頃のtwitterの広がりぶりのせいもあって、あちらこちらでブログやメディアのコラムでも、つぶやき調の文体が目立ってますね。)


本題です。
ブッダマシンの紹介です。
GRISTLEISMというインダストリアルミュージックのループマシンをゲットしました。
その名前からも想像できる通り、音をThrobbing Gristleが手掛けています。
2007年4月アドベンチャーズ・イン・ミニマル・エレクトロニック・サウンドというイベントに出演していたCOH(Raster-Noton,MEGO)ことIvan Pavlovに同じく出演していたTGのメンバーでcoilのメンバーでもあるPeter Christopherson紹介していただきました。
その後、2008年夏にCOHの京都と大阪のライブの世話をした時にPeterも来られていて、3日ほど観光や食事を共にさせていただいた思い出があります。


この手のループマシンというとBuddah Machineが有名です。
こちらはFM3(北京在住アジアのエクスペリメンタル〜アンビエントミュージックの実力派ユニット)によるアンビエントミュージックのループマシン。
9曲から任意で選曲できます。曲名が面白い。
5年程前に手に入れてから、毎年、夏の休日のキャンプや海水浴で持って行ってのんびりした時間をつくってくれるお気に入りのアイテムです。
蓮の花の模様の箱に入っていてツマミやイヤフォンジャックが中国語であったり、つくりもおそまつで名前がブッダマシーン。怪しすぎるのですがFM3による音は最高(音質はあまり良くありません)。


このブログを書くにあたってBuddah MachineについてGoogleってみると、すごく話題になっているんですね。
MONOLAKEがBuddah MachineでCD制作していたり、イーノやヤンさんのような大御所が購入していたり、The Wire,New York Times,Wall Street Journalなど著名メディアに取り上げられていました。


驚いたのがGRISTLEISMがBuddah Machineの最新バージョンの位置付けになるということらしいです。Buddah Machineがその後、話題になって第2段を経てGRISTLEISM。
質感やデザイン、ピッチコントロール、選曲スイッチ等機能面も格段にアップしています。


GRISTLEISMパッケージ。鏡面仕上げ。


GRISTLEISM本体。鏡面仕上げ。


パッケージにおさめて使う事が可能です。


Buddah Machine本体。ちゃっちいですが、音は良いです。


Buddah Machineパッケージ。蓮の花が怪しげ。サイズも合っていません。

&ART、アーティストブログリレーを御覧の皆様、はじめまして。木内貴志です。
今回から、このリレーに参加させていただくことになりました。
それでは、読んで下さい。木内貴志で「ウェッ!ブログ」
(「CDTV」風に)


というわけで、アラタメマして、木内です。
初めてのブログリレーとなります。よろしくお願いします。
このような、シュッとしててイケテル作家さんたちと御一緒できて、光栄でございます。
どさくさに紛れて勘違いされ、MP(モテポイント)のアップを企んどる次第です。


さて、そんなブログの1回目に何を書こうかと思ったのですが、折角なんで「ブログ」について書いてみたいと思います。


僕は私は俺は筆者は小生は・・・と、まだこちらでの一人称も定まらぬ感じですが、とにかく朕は自身のホームページでもブログをやっております。


キウチグループブログ「場末の車窓から」


これは、自身のホームページの最新情報をニュースとして紹介する為のブログページなのですが、そんなに毎日作家としてニュースがあるでもなく、結果なんとなく日記や妄想等で埋め尽くされてる感じになっております。


まあ、ブログ書くのは嫌いじゃないし(素直に好き♡って言えよ!)特に苦痛でもないので、気がついたらキーボードをカタカタと夢遊病の様に叩いている自分がいます。


ブログを始めたのは1年半くらい前と、数多のブロガーの中ではまだまだルーキーなのですが、ブログ始める前は、昔ちょっと流行っていた「掲示板」を2002年から管理、運営してました。


で、掲示板だから当初は友人知人やゲストとしりあいふれあいわきあいあいあい、と賑やかにやってたのですが、皆、段々大人になったり成長したり別れたり飽きられたり・・・と書き込んでくれる人が次々居なくなって、最終的にはほぼ独り言をつぶやく板、と化しておりました。


こうなると単なる日記なのですが、昔から「日記」は始めても続いたことがありませんでした。
ですが、何故このネット上の書き込みに関しては続けられるのか?


それは、おそらく「誰かに見られている」というのがあるからでしょう。
「見られているかもと思うと、興奮しちゃうっ♡」
というわけでもないのですが、基本、何かを伝えたい欲が強く、思いついたらすぐ言ってしまう美術作家、なもんで、誰にも見せないものにはあまり力が入りませんが、やっぱり他人が見てるかと思うと力も入り、オモロいと思われたい!「ええこと書くやん」と頭ナデナデされたい!なんてて欲求が湧いて、やる気!根気!木内です!となるのかと思われます。


もしかすると、それは「表現というものの根源的な何か」なのかも知れません。
・ ・・ってアホか。
たんなる喋りたガールズ&ボーイズなだけでしょ。


とにかく、そんな感じでその掲示板~ブログだけでなく、一時期はミクシイ日記や展覧会用に別キャラのブログ、最近はツイッターなどにも手を出し、今、僕は俺は私は小生は筆者は・・・なうなうなう!
いよいよ、ウェブログ的なものが自身の実生活を越えて先走るような、妙な感覚に陥ってしまいつつあります。


オエ~ッ! ウエ~ッ! ウェッブログ、であります。


しかしながら、そんな吐き気がしながらも、悪いことばかりではありません。


「他人が見てるかも」ということもあり、やはり文章をわかりやすく、面白く、と、単なる心の吐露みたいなもんにもそれなりにアレンジ等を加え、さらに誤字脱字はないか、間違った使い方や意味や情報はないか?俺は誰かを傷付けてないか?♪シェリー、俺はうまく書けてるか?俺の文章は卑屈じゃないかぁ~、等、再度確認し徹底管理。


四字熟語などは多種多様、千差万別。間違ってないかと疑心暗鬼で挙動不審、奇妙奇天烈摩訶不思議、奇想天外四捨五入、出前迅速落書無用~~~。


と、そういう感じで調べたりなんかしたら、この歳まで知らなかったことや、間違って使っていた言葉やなんかを確認し、とても勉強になっています。


これが、他人に見せるという前提がなければ、御座也になってしまってるかも知れません。僕の場合は。
他人に見せるということにより、よりちゃんとしたものを書こうと努める。


これは、作品制作と同じやね!(決まった~~!・・・てない?)


とにかく、そんな感じでこの歳になって、ブログのおかげで作文の勉強になってる、という昨今であります。


・ ・・と、先日そんな話を年上の女性にしたら、
「あんた中学生かっ!?」
と笑われてしまいました。


今月の引用句:「学問は 尻からぬける ほたるかな」(与謝蕪村)


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