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「強さ」と「弱さ」について

昨日の昼ごろから雨が降っていて、塗装作業ができません。
作業場の整理をしたり、文章を書いたり、展示までのスケジュール
の組み直しなどをしながら、合間に読みかけの本を読んでいます。

今読んでいるのは『河岸忘日抄』 という小説です。
小説の主人公の"彼"は、船を住居とし、チェーホフ、ツェランなどを再読し、
様々な考察をしたり、思いを馳せながら、日々を過ごします。
物語の中で"彼"が一番初めに読むのは『K』(ディノ・ブッツァーティ著
リーヴル・ド・ポッシュ ロベール・ラフォン社 1967)
という短編です。『K』のあらすじは以下の通りです。

―少年時代に、死を司る海の怪物Kに追われていると知ったステファノは、
老人になるまで逃げ続け、老いの果てにてついにKへの投降を決意する。
しかしそこでステファノはKに、「自分は海の王からあずかった
財産、権力、愛、そして心の平和が得られるという真珠を渡す
ために追いかけていた」と告げられる。
追われていたことが勘違いであったことに気付き、
真珠はただの丸い石になり、ステファノは死を迎える。―

物語を読み終えた"彼"はこのように考察します。
「海の怪物につけねらわれていると知って以来生涯の終わりまで頑として
逃げ続けたステファノは、結果はともあれ持続において強い人間だったと言えるのか。
それとも相手の目的をついに理解できなかったことにではなく、
最後の最後に自分が愚かだったと断じてしまった点において弱い人間だったのか。(※)」

"彼"が考える「弱さから逃げ続ける強さ」を僕は、
「作品を発表し続ける」という行為の在り方に類似していると思います。
強さを保つ上では、弱さを見失わない距離にいて、
弱さを自覚し続けることが、重要ではないのでしょうか。

制作する上での理想的な「強さ」と「弱さ」の関係性は、
「弱さと向き合うこと」自体をテーマにしたり、「弱さを量りにかけること(あるいは
誰かに量りにかけられること)」ではなく、ステファノのように「必要とあらば、
変換した強さを弱さに引き戻すような誠実さを保つこと」
そして「他者に配慮しない無自覚な強さに陥らないこと」ではないかと思っています。
そういったことを最近はよく考えています。

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※引用文献 『河岸忘日抄』 堀江敏幸著 新潮社 2005
参考文献 『石の幻影 短編集』 ディーノ・ブッツァーティ著 大久保憲子訳 1998

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