アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

先月のブログリレーでストックした廃棄物の写真を掲載しましたが、
それらを今月半ばに京都の作業場に搬入しました。


トラックの運転手+3人のスタッフに手伝っていただいての搬入でした。
2006年に東京で個展をしたときは、
JRコンテナ便という鉄道輸送を利用した輸送方法で搬入出したのですが、
今回はトラック(4t)のみでの輸送でした。


当初は11トラックでの搬入を予定していたのですが、
11tトラックだと自宅前の道路には入らないので、
大通りにトラックを駐車して、そこから自宅まで
軽トラックで何往復もしての搬入になります。
そうなると作業工数が増えますし、4tにおさまってよかったです。


12月には倉敷にもたくさん行く予定なので、またそのあたりもレポートできたらと思います。
お手伝いしていただいたスタッフの方々ありがとうございました。


以下は作業風景です↓(上がトラックで作業するファンキーなスタッフの方で、下の写真が僕です)


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自分のブログで、フィールドワークスシリーズもアップしておりますので、よろしければご覧ください。↓
なかもと真生 ブログ "OUTWARD" フィールドワークス記事一覧

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笹倉洋平
「ツタフ」
neutron kyoto
撮影日11月2日


笹倉さんの新作は長さ8~9mほどのトレぺロール紙に鉛筆での線描画である。
ギャラリーの天井近くの壁面、端から端へ、U字型を描く様に展示している。重力のかかる頂点にちょうど線が集中しており、ここが目線ほどの高さになる。トレペを通した柔らかい透過光が、これも透けている鉛筆の線を美しく際立たせている。トレペは薄く軽く、人が動くと風でたなびき線がうねって見える。空間に一点とシンプルな構成であるが、線と紙の動きの美しさに長く見入ってしまった。
空間は少し暗め。絞って鮮明に線を写したいので露光時間は長くなるが、紙が動くのでブレると困る。絞る数値とシャッター速度といいバランスを探して撮る。呼吸も止める。
で逆に、今度は作品の動く要素を記録する。写真は静止画なので動きを表現し難い。スポーツなど激しい動きならまだしもだ。風でたなびく本当に微々たる動きを記録しても分かりづらく、ブレですか?失敗おつかれと言われかねないので、ある程度はきれいに動いているように撮りたい。
で6枚のカットを重ねて撮ってみた。露光時間を長くするよりも線の描写が死なずにすんだと思う。

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笹倉さんの撮影は、空間に対して紙と線をどういったバランスで入れていくか、いつも難しくて悩む。また、無機的でクールな物体感と有機的な線描、作品が持つ両面を感じ取れるように巧く撮れればと思う。今後も挑戦させてもらいたい作家です。


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林勇気
「overlap」
neutron kyoto
撮影日11月16日


林さんの新作はiPod touchを使用した展示。このデバイスを利用した作品は初めて観る。iPod/プロジェクターが、壁面、ソファー、足下、カフェをのぞむガラス面、など展示空間の各所にセットされ、それらの周りの空間を背景に、林さん作成の切り貼りした風景の一部、コマ撮りされた人の映像が流れる。また各映像デバイスが全体でリンクしているという映像インスタレーション。(あるiPod上で人が土管を投げ、隣のiPodに投げ込まれキャッチする、など)ガラスへの映り込みも丁寧に再現されている。映像画質が今までで一番鮮明であったので(iPodは本当にクリア)、デバイスの小ささが作品のエッセンスを切り抜くのにちょうどいいように思えた。ディティールが良くわかる。
大きな映像と(全体像のような何か)と小さな映像(局所的な出来事など)、この両者を用意されているところが好きなところで、映像はパッと見は落ち着いてほのぼのしたものにも関わらず、少し怖さのようなものを予感させられる。
iPodを撮影したのも、もちろん初めて。つるりとした筐体の質感と映像の鮮明さのバランス、映像の内容に併せて空間を切り取り撮影すること(展示空間を切り取った映像と切り取られた空間とを併せて撮影する。これはこれで入れ子のような写真になりおもしろかった)大変勉強になった。学ぶことが多い人だ。


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森川 穣
公募京都芸術センター2010チラシ用イメージ撮影
京都芸術センター
撮影日11月10日


来年度の公募KACに後輩の森川穣君が選出された。もう一人は寺島みどりさん。たまたま今回のチラシをデザインすることになり、彼の作品のメインイメージも撮影することになる。作品の内容はネタバレになるので割愛するが、芸術センターの床下が関係するらしい。ということで二人して潜った。床下の高さは50cmくらいか。想定外だったが、ヤッケにヘルメット、マスク完全防備で這いずり回った。埃対策はしたもののカメラがつぶれないかヒヤヒヤした。(上の写真は森川君撮影)
これも難しい撮影だった。何がって身体的にだ。ヒトの首はこれ以上折れたり曲がったりして巧いことファインダーをのぞけないものか、邪魔な三脚のポールをへし折る力はないものか(加えて元通りに戻す力も)、埃に繊細な肺が耐えれるのか(やばい建築資材はシャレにならない)。
いつも観ることのない場所で物珍しさも手伝い、窮屈さも心地よく、通気口からの入射光、床板の裏、積もった土、何十年まえのゴミ、など美しい眺めで心境としては悪くなかった。が、体は別で、小一時間潜っただけだがへとへとになってしまった。森川君はギャラリーから前田家珈琲あたりまで這っていった。タフだ。


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チラシの出来上がりは12月初旬の予定。寺島みどりさんのイメージ写真も同じく撮影している。タブロー展示と思っていたが滞在制作になるらしいのでこちらもどう表現するか悩む。実際の展示は2月になるが、本当に楽しみだ。
 

今月は自身主催のイベント(patchware on demand)に始まり、
大牟田~福岡、帰って来てすぐ七条ZEN cafeでのマンスリーパーティ(page of documents)と、
月頭にバタバタとライブとDJをしました。
その後、少し時間が出来たので、制作に向けて、環境をあれこれ、いじっています。
楽しい時間です。
特に、ここ数日はabletonが、年始にアナウンスしていたmax for liveがやっと出たので、寝ないで夢中になっています。


さて、今回のブログリレーは、大牟田~福岡にライブに行って来たので、その時のお話を...。
10/7大牟田にてAFRO SHOCK、10/8福岡にてTIMEMARKET147と言うイベントにお招き頂きまして、ライブしてきました。
約1年ぶりの九州ライブだったので、良い印象を残してきたかったです。
不慣れな箱での音のセッティングは難しいものです。
セッティングそのものよりも、エンジニアさんとのコミュニケーションの部分で、自身が思う事を正確に伝えられるかどうか。
とか、その場所の制限された環境の中での音作りで、ベストに持って行くところ。
というところで言うと、主催の方や、共演の方々、エンジニアがその部分も、協力的でやりやすかったです。
特に大牟田では、主催者のご好意もあってサウンドシステムのセッティングから作り込む事が出来ました。
より良いものを一緒になって目指したいというのが伝わってきました。
良い環境を得た時には、ゆとりが生まれるもので、すんなりとライブを始める事ができました。
ライブなので、反省点はあるものの、その時のベストは出せたと思います。
九州に限らずライブに出た時、思います。
各地域に、突き詰めて取り組んでいる方、極めようとする方、が存在されている。
改めて、感謝いたします。
自身の京都での取り組みに、フィードバックしたいと思います。


ライブの一部をYouTubeに上げていただいているようなので、貼っておきます。


大牟田


福岡


おまけ(大牟田の地元のリンゴ牛乳「オームリンゴ」)

仕事と制作の日々をすごしております。
ですので取り立てて書くこともあまりありませんので日々のことを。


京都のneutronで展覧会を開催しております。
もうすぐアートコートギャラリーでの展覧会がはじまります。
映像のライブもします。どうぞよろしくお願いいたします。


近頃急に冷えてまいりました。
息が白くなるのがなんだかうれしくて、仕事帰りの坂道に息をはきます。
マフラーをぐるぐるにするのも心地よいです。
ipodの電池はすぐに切れてしまいます。
それから少し風邪をひいてしまいました。


豆乳を毎日飲んでおります。
調整豆乳なのでほどよい豆の香りを楽しんでいます。
メープル味の豆乳も気になります。
ぼくにとってカナダはなんとなく特別な国で、
メープルシロップも時々すごく食べたくなります。


それから、また去年か今年くらいから映画のことをよく考えるようになりました。
随分と以前はミニシアターでやっている(いそうな)映画をみていましたが、
ここ数年は金曜ロードショー等のテレビで放映している映画ばかりでした。
それはそれでとても楽しく得る事も多いのですが、
12月になればまた小さいけど魅力的な映画も少しづつみていこうかな、と思っています。
かなもりさんの本棚にある、ガンモとジュリアンはとてもすてきな映画ですよね。
ストリートの最果ての神話のような。


とりとめのない文章になりました。
ぱらぱらと、感じたこと、考えたこと、過ごした時間が少しづつつもりながら、
日々が紡がれていくのだろうなと思っています。

2回目のブログです。桑折です。


先日、横浜にいってきました。
10年度と11年度の公演の計画と打ち合せだったのですが、
横浜在住20年のアートマネージメントを仕事にしている方に横浜を案内してもらいました。
時間にしては、数時間だったのですが、やはり、単に外から訪れて見るのと、そこで生活している人と話しながら見るのとは全く違う経験でした。


主に横浜の関内地域(みなとみらいとかあの辺です)を回っていたのですが、いわゆる観光地化されている「関内」とその外側にある「関外」とに地域は二分されていること。そして、関内での仕事をすることで、関外の人達の経済は支えられていたりすること、などの話しが印象的でした。
横浜は今、産業と文化をミックスして、新たな都市計画を実行している真っ最中で、都市のポテンシャルをフルに活かして、外から様々なものを呼び込もうとしている感じでした。うらやましいと思うところあり、考えされることもありと、色んなことへ思考を飛ばしながらの横浜視察だったのですが、特に印象的だったのは、立派な西洋様式の近代建築が多いことでした。
それは、逆に京都の特殊さを改めて感じさせられるものでした。京都の街で感じる歴史と横浜で感じる歴史、この違いは圧倒的なものです。それは僕にとって、大戦前後の時間はまだなんとか繋がれる感覚はあるが(近代建築は戦後に建てられたわけではないですし、戦後のものは現代建築となるようです)、それ以前のことになると、もうどうしようもないくらいの距離を感じているのだなと強く再認識させられることでありました。そこの線引きがあることを認めつつ、その歴史感覚への認識を一度疑うことも必要ではないか?これは勉強し直さねばならんと思ったのでした。


このようなことを考えつつも、いざ作品の構想に入ると、まだなかなか接点を持ちえません。
作品の表現でいきたい到達点と、社会的なことや歴史への言及というのは、僕にとってどこかで相反するものでもあるのです。
歴史をモチーフに作品を作ることはOKでも、それが目的になることはないからです。
どちらかというと、それらの枠組みが作品の中で解体され、その奥に潜んでいる人間の本質的な部分に触れたいと思うのです。
何か歴史を捉え、それを俯瞰的に見ることはいくらでもできるけれど、作品がそれを解説したり、補完したりするものであってはならないし、だからこそ、作品がどのような力を持ち得るのかと問い続けなければいけないなと。


そんなことを考えながらも、来年度の計画を「今」具体的にたてなければならない「舞台芸術」のもどかしさを感じている今日この頃です。

柿を食べていた。


その少し前、その場の話題は和菓子だった。


で、柿を食べながら「タネが入った柿にあまり出会わなくなったな」と言ったその人は続けて「和菓子の甘さは柿の甘さを超えてはならんそうな」とぽつり。生菓子のあのやわらかく深い色と舌触り、それに柿の潔い色と硬さが奇麗な対のイメージとなって頭に残った。


そもそも柿という果物、あまり好きなものではなかった。それが去年のちょうど今頃ある日突然そのおいしさに気づいてしまった。ばばばーんと雷に打たれるがごとくドラマティックに、というわけではなくて「あ、おいしい。」と、とても地味に静かに。しかしある種の衝撃を持って。


好みなんていとも簡単に変わるものだ。


ひとつ好みが変わると、それにともなって何かが少しずつズレ始める。「ああ、もしかしたらこちらもすごくステキなのでは?」と今まで見向きもしなかったものが急に光を放ち始める。そうやってふと顔をあげるとそこここに微細な隙間が出来てそこから光が漏れていることに気づく。ズレの連鎖はおもしろい。その連鎖こそが今まさに自分の興味の方向。そこを辿っていくとそのときに見るべきものが姿をあらわすのだ!・・・のか?


そこにあるものは変わらなくて、変わるのはこちらの意識のみ、でありますが、その変容の末に得うるものの膨大さたるや。
願わくばそれを受け入れるのに柔軟でありたいものだ、とかぼんやりと。


ああでもそんなことよりも和菓子だ和菓子。甘くて柔らかい生菓子を買いに行くのだ。
それに煎茶を淹れておいしく飲むのだ。器はどれがいいかしら。とそれが昨日からの私の全くの興味。


足田メロウさんのカップがものすごくステキ。
焼き上がりがとても気になります。いいな、いいな。


そういえば。去年の末に見た『柿喰う客』という劇団の芝居がものすごく面白かった。目からウロコぽろり。

今日はとある美術家の読書のことを。(て、わたくしの事ですが)


勉強のためなどと言って読書空間に引きこもることの出来る「本」というものは、音楽なんかと同じくプラベイベートゾーンを作ることの出来るすごく大切なメディアですね。
持ち運べて、好きな時に取り出せて、またそっとしまっておけるもの。
本とは、まさに美術家も羨む、コンパクトなミクロコスモスです。


言葉や音を視覚化した文字ですが、電子にのせた活字を追うよりも、紙の上で目を転がすことは独特の味わいがあるものです。
ところで、言葉は音を伴うので、文字を読む時もわたしたちの声帯の感覚は反応しているそうです。
目が疲れている時と同様に、喉を痛めている時の読書は、よろしくないとか。


読書には人それぞれいろんな進め方がありますが、わたしの場合は〈積ん読〉にして〈併読〉。
コンディションに合わせて数冊の中から手に取ります。
出掛ける時は文庫や小さい本を携えて、辞書のいるものや机に広げる重い本は家で、などの理由もあります。
もちろん一気読みのものもあれば、なかなか進まず1ヶ月くらい持っているものもありちょっとしか理解出来なかったのでは? ということもあります。しかし「9割も理解できたら、そんなもん本とちゃう」という人もいるくらいなので(笑)ここは安心しておきます。


 写真:ちょっと前の自室の積ん読コーナーです。


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実際には積んどくと手に取りにくいので、並べとくわけですが、いくつかの自分があっていろいろの興味や心の状態があり、読書こそそんな無意識の自分を垣間見せてくれるのだと思います。ちょっと前に読み終わった本や、再読の本も思い出し事の為にまだ並べておきます。実際の併読は常時だいたい3?5冊くらいです。背表紙を並べると今の自分が分りそうでちょっと恐いのと、それと楽しみと両方です。


いくつかの読書でそれがいつか網の目のように繋がり絡まることが、読書の醍醐味の一つと思いますが、面白いことにそれぞれアプローチの違う興味から始めた併読の書物が偶然に近寄ってくることもあります。茨のように眼前で絡み合うのは驚くべきことですが、もともと何か自分で選び取っていたか、シンクロニシティと同様、そうあって欲しいという自分の願望の現れなのかもしれません。


映像や空間を作るとき、わたしはいろんな感覚について思いをめぐらそうとします。
本を読むことはもちろん感覚のエクササイズになる面があります。
作品に本のモチーフが登場することもあります。
それと今年になって1冊、本を作ってみました。
本というメディアに何となく聖俗合わせた敬意を持っています。


 写真:ビデオ作品〈カランドリエ〉より、ビデオグラフ


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また、紙に手を触れることも大切なことと思っています。
紙についてはまた今度にでも。。。


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