アーティストブログリレー

ARTIST BLOG RELAY

展示/作品撮影の事を書いていこうと思う。
何か一連のテーマでもあれば便利なんだが、提出締め切りに追われているので一回目はここ最近の仕事で一先ず乗り切りたいと思う。
空気を読んでない長さになってしまったがご容赦下さい。


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中村裕太
「めがねや主人のペンキ塗り」
neutron tokyo
撮影日 10月6日、7日
東京、南青山


友人の陶芸家/美術作家、中村裕太君の展覧会。展示風景の撮影だけではなく、制作風景の撮影、搬入も併せて手伝う。
以前から床一面にタイルを敷き詰める作品を発表していたが、今回も同様、展示空間の床面を、45°で二つに区切って敷き詰めている。一方は緑青の八角形(と隙間を埋める小さな正方形)、もう一方は文字の書かれた白い正方形のタイル。写真を参考にされたい。中庭まで隈無く、総数2000枚以上のタイルを敷き詰めていくのだが、腰を随分とやられてしまった。学生、スタッフ総出、現場で削りながらの作業は2日間でなんとか終わった。
彼の作品の魅力はなんなんだろう。捉えたようで、それを言葉にできないもやっとした感じがつきまとう。ひとえに批評できない僕の言語センスの無さが理由だが、こうやって文章に起こす事も頭の中で整理するのも、彼の作品を表す言葉が足りていない気がする。本人が聞けば、なんだよ、とがっかりするかもしれないが、僕としてはその掴めない感じがあるので、彼の制作現場も搬入も撮影も、どれ付き合ってみようかという気にさせられる。(今回は深夜、台風の中央道疾走というおまけ付きである。ほとんどの運転は中村君だった、すまん、お疲れ様。)
こんな陶芸、美術作品をやっているのは彼一人である事。
モチーフを選ぶセンス、詩的な部分と実際に体験できる物質感、総じてビジュアルセンスが良く、それらがバランスよく成立しているという事。
美術、陶芸、建築など、各々の文脈で語る事が出来るが、カテゴライズを巧みに避けているような事、それら全てから自由だ。
追いかけてみたい作家の一人だと思う。撮れないのは損だし、どうにかその魅力を引き出すように撮れれば、尚良い。
彼の作品に限らず、撮影する事は時間をかけて対象を見る事になるので、(本当に理解するかどうかはさておき)手っ取り早く向き合える仕事だと思う。目下、データを編集中、足下の感触をビジュアルデータに変換できるや否や。
細かい続きは自身のブログで少しずつ書くと思う。技術的には、とにかくトレペを持っていって良かった。特に白い作品は反射光で表情がガラリと変わる。準備はするものだ。


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水野勝規
「フィールド・モーション」
Art court gallery
撮影日、10月14日
大阪、天満橋


&ARTにも掲載されている水野勝規さんの個展。作品は初めて拝見する。
映像作品の展示撮影を、一時停止/コマ送りなどの一切の操作なしに撮影したのは今回が初めてだと思う。大抵の展示空間は暗い事が多く、必然的に露光時間も長く、映像を停めて撮らないと何が映っているか分からなくなる。映像だけを別撮りしようが必ず動くのでほとんどは停めて撮影している。
彼の作品は、画面にほとんど変化がない。カメラは定点、風で木々や水面が揺れたり、水が流れていたり、ジェット機が雲を残していたり、そんな何でも無いような映像が何分か続いている。これが他の作家の映像作品ならそれでも映像を停めて一コマを鮮明に写していたと思う。
彼にそれは似合わないような気がした。長い露光時間で結果的に映像の細部がぼやけていてもそれが彼の作品を表すと思ったからだ。彼からも停めずに撮る旨を伝えられた。
作品を観た多くの方が指摘されていると思うが、ほとんど何の加工、操作も無い彼の映像はとても現実離れして見える。場所を選び、フレーミングし、撮影をして、無音で流す。これだけ、実にシンプルだ。映像はα派の出るようなリラックスムービーともまた違い、ノイズの無い既視感だけの様なイメージ。撮影者の意図すら削いだ感じだ。何の加工もない最もシンプルな画が逆に違和感だらけなものに変化する。何がそうさせているのか。構図か、色か、モチーフか、時間か。

展示もシンプルな構成。アートコートの広い空間を表現するのが難しい。正面からだとプロジェクター、映像のあたる壁面、要素が限定され、この距離感がなかなか出ない。結局目線よりかなり高い位置から、モデルを上から眺めるような構図で撮影して解決(したろうか?)。
水野さんにはまだ見せていない。ごめんなさい。
映像(?)作品の撮影はまだ続く。


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名和晃平
「Transcode」
gallery nomart
撮影日、10月15日


撮影の難易度はここ何年かで一番だったと思う。
代表作品、PixCellのシリーズの最新作と、dotが動く映像を床一面に投影した作品。
PixCellはご存知の人も多くいるだろうが、オブジェをビーズで覆った作品。ビーズを通す事で物質を映像的に変化させる彫刻作品と言えばいいだろうか。
新作は映像機器である液晶モニタがビーズで覆ってある。作家の名前をGoogleでweb/イメージ検索、抽出し編集した映像が流れている。(Google検索、というのは作家がモチーフを選ぶ際のルールの様なもので、検索にかかったオブジェを作品化するというしばりがあるそうだ。)
移り変わる映像をビーズ越しに眺める。スティルも有ればムービーも有る。RやBの単色だけのテキストが流れる。どんな仕組みか分からんがR、G、B、各色のプリズムが滲みの様にビーズに生じる。まことに物騒な彫刻作品だ。

作品の口上は長くなるので、さておいて、困った。下見の際に閉口したものだ。
空間は映像を鮮明に見せるため、ほの暗い。しかし目の前の作品は彫刻作品である。投影された映像を鮮明に撮り、同時に彫刻としても見せねばならない。ビーズの物質感と映像イメージ、二つのクオリティを損なわず撮影する為に必要な光量、色温度がまるで違う。
映像面が四角形なら迷わず合成するだろうが、どっこいビーズのせいで映像のキワは複雑だ。おまけにモニタの外枠についているビーズにもちらほらと映像が映りこんでいる、困った。なるべくならこのパスは切りたくない。
結果、まあがんばって、空間、彫刻、映像の3つの要素をまとめられたと思う。(自分でもびっくりの濁しっぷりだ。)遅くまで付合っていただいたノマルのスタッフの皆様には頭が上がらない。ありがとうございます。画像は未編集のため一部という事で。


次回は林さん、ヤマガミさんのグループ展について書くと思う。詳細を全然聞いてなかったが、どう考えても二日間での撮影は短い気がする。どうしてくれる。


こちらもよければご参照いただきたい。
http://omotenobutada.blogspot.com/

はじめまして。
サイセクスの糸魚健一です。
普段ブログを書く習慣がないのですが、良い機会をいただきました。
楽しんで書いていこうと思っています。
どうぞ、よろしくお願いします。


10月は多くのイベントやパーティにお誘いただいたり、主催しました。
今年の秋は忙しくも充実しています。
ブログリレーでもイベントをピックアップしてレポート的に音を交えて、書いていこうと思います。


10/14にメトロで行われた"SOUNDROOM" meets "page of documents"。
このイベントは、六本木SuperDeluxeにてCommune Disc主宰の鈴木康文さんによるオーガナイズで毎月に行われている音響系イベント"SOUNDROOM"と僕が七条ZENcafeにて毎月開催するグッドミュージックラウンジパーティ "page of documents"で共同開催しました。


Commune Disc、shrine.jp(自身のレーベル)ゆかりの出演者の方々をお招きしました。
ユタカワサキ、KUKNACKE、三毛猫ホームレス、伊藤文、intext、Takashi Kojima、37A、dj colaboy、鈴木康文、attic plan。


ジャンルの中でも幅広い内容で、イベントの流れも良く、いいイベントになりました。
中でも、圧巻はユタカワサキさん。
吉田アミさんのユニット、アストロツインは見た事があったのですが、ソロははじめて見させていただきました。
往年のアナロブシンセSystem100M&TB303のみでストイックな世界観を披露されていました。
すごく良かったです。



この日はもう一つトピックがありました。
僕とカーテンオブカーズの大堀秀一氏によるラップトップデュオ"attic plan"のひさしぶりにライブです。
結成は'03年でおたがいがシゲキし合ったり助け合ったりで、いろんなつながりを生んできました。
ここ1年半ほどはタイミングがあわず、お誘い頂いても、ソロでの出演になっていました。
attic planの久しぶりのライブでしたが、今までの演奏の中でも、最高レベルに匹敵する良いものになりました。


attic plan / live_091014 by Ken'ichi Itoi aka PsysEx

はじめまして、林勇気です。
映像を制作しております。
ブログリレーに参加させていただきます。
作品のこと、日々のことを記していこうと考えています。


制作中の息抜きのひとつに散歩があり、
あてもなくアトリエの近所を歩いたりしています。
ついつい足が向くのは三条商店街や五条大宮あたりで、
昼の散歩もいいですが、夜の散歩もとてもいいです。
三条商店街に限らず、夜の商店街はすてきです。
一人で散歩だけでなく友人や知人との夜の散歩は、
町がいつもとちがってみえるような気がします。


先日は京都芸術センターの展覧会の打ち上げに、
東京からこられていた方たちと夜に鴨川を散歩しコンビニで購
入したお酒で乾杯しました。
遅い時間だったのでほとんどまわりにも人もおらず、夜の川は
やさしい雰囲気で、でもちょっと寒かったですが。。


友人たちと缶ビールを片手に町を歩いた夜は、
なぜだか忘れがたい時間になります。
なぜなのでしょう。


写真は夜の散歩ではないですが、
散歩中に撮影した写真です。
なんてことはない写真。


IMGP2389_2.JPG


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一年ぶりにウィーンに戻ってきています。
京都での生活を制作をすこし離れたところから見直したかったのかもしれない。
先週はアカデミー時代の友人を訪ねてウィーンから電車で3時間半ほどのケアンテン州に行ってきました。
森と、湖と、朽ちた古城があるところ。そして何も無いところ。
そこで、本を読んだり、人のアトリエで絵を描いたり、美術教師をしている彼女の学校へ行ってゲストで授業してきたり(!)、庭のリンゴをかじりながら空を見上げたり。


旅をしたらすること、記憶の断片としての言葉集め。
ここから絵につながったりもするし、ただのメモで終わったりもする。
どうでもよくて、大切なもの、切り取られた一瞬。


先週のある日、突然に夏が終わって、当たり前の顔して冬が来た。
来月京都に帰ったら まだ秋がいてくれるといいけれど。


ーーーーーーーーーーーーケアンテンにてーーーーーーーーーーーーー


  短縮された時間、それに比例する距離


  一年間の秋


  期待しなかった再会(よろこぶ)


  14歳だった


  アップルパイを焼く姉妹


  もうクルミはいらないのに


  アトリエジャック


  留守中に熊出現


  日本語はすべて四角である(もしくは視覚である)


  気に入らなければ塗りつぶす、それでもだめなら切り離す


  乾燥キノコ、野菜、中華風麺


  真夜中の水温、プールルームの怪


  夜、夜、夜、闇、樹、樹、夜


  朝はすべてを浄化する


  シナモン入りコーヒー


  朝焼け、山の雪、降りた霜にシガー・ロス


  ああ、音楽は風景だ


  感情を溶かす


  目の奥の興味、緊張、美術室


  初めての街/歩く歩く歩く


  ボルチーニ茸入りラビオリ、カボチャのクリームスープ


  カフェ・ヴィンセント(インゴに会う)


  風景が流れる


  リサのママ


  読書は台所で


  くもりガラス越しには世界


  つながらない電話


  長い週末は木曜日から


  " 気配 " について " 退屈 " について


  闇の色の違い、もしくは質の違い


  煙突そうじ屋さん


  庭に迷い込んだ犬、そしてその飼い主(!)


  『よろめいているのは現実感のほうだ』


  電話がつながった


  伝説の魔の山


  トルコに行きたくなる


  おばあちゃんの生みたて卵


  手についたハーブのにおい(ミント、オレガノ、チャイブ、コリアンダー、ローズマリー)


  コーヒー入りシナモン


  年輪を数える


  夕方の光、とげの痛み、やわらかい土


  美しい鹿を集めて


  ぬるいビールと世界の感触


  壁をぶち抜くのだ


  人との付き合い方と時間について


  半生の卵(せめてあと1分)


  ギリシャの蜂蜜


  発音 - LとRの真ん中


  フライド・トーフ・オン・カリー


  セロ弾きのゴーシュ(プンパラ!)


  かんたんに、かんたんに麻痺するんだ


  「それなら私はどこへ行くべき?」
  「ここにしばらくとどまることね」


  写真集/世界の不思議/ストーンヘンジ


  フィリップのパパの前世


  牛の王者とリアリティー


  墓に、花を、植える


  最後のラディッシュ


  パウゼとヤウゼ


  「ウィーンは雪が降ったって」


  クリスタリジーレン(結晶化する)


  またあした


  虹を見た


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はじめまして。
dotsというパフォーミング・アート・ユニットの主宰と演出をやっています、桑折 現(こおり げん)です。


僕は普段、日記やブログを書かないので、何を書こうかと本当に悩んでしまいますが、これを機会にこれまで特に意識しなかったことを言語化していければいいなと思っています。


9月に大きな公演が終わり、その最中はほぼ京都の中で過ごしていたのですが、すこし前に久しぶりに京都から脱出して、滋賀県に行って来ました。
とあるアートプロジェクトにこっそりと参加することになったので、その下見だったのですが、久しぶりの琵琶湖と大きく抜ける空がなんとも言えない開放感でした。
京都はどっちを向いても山が見えるぐらい、周囲が山なので、特に最近自分の中で「囲われている」感じが、強い印象だったので、なおさらだったのかもしれません。
こうして京都から出ることもやはり必要だなと思いました。


話しは変わるのですが、最初の回ということもあり、やはり「京都」かなと思うので、京都の街で印象に残っていることを書こうと思います。
もう2年ほど前になるので細かいことは憶えていないのですが、烏丸今出川の交差点での出来事でした。
そこに電車を走らすか何か、そんな計画があったらしく、その試験の為に今出川通りの車を止めて、お役所や警察の人たちが実験らしきものをしていました。
印象的だったのは、その周りにものすごく少数の反対デモの人達がいたことです。
おそらくは地元の人達だと思うのですが、大きくもない交差点の四つ角に分かれて、それぞれ5人程度だったと思います。
交差点にか細いシュプレヒコールが響いていて、その声を聞きながらお役所や警察の人たちの顔は笑っていました。
僕はあまりに京都らしくない、非日常な光景を前にして、しばらく眺めていました。
眺めながら、50年後のこの交差点の風景は、はたしてどうなっているのだろうかと考えたり、100年前の風景はどんなだったのだろうと考えたりしながら、この交差点だけでも莫大な時間の積み重ねと人々の往き交いがあったんだと当たり前のことを思ってました。そして、そこに住む人や、都市計画や、京都の独特の街の変化の仕方とか、いろんなことを考えさせてくれ、現在から繋がる遠い時間を感じる出来事でした。


こういうことが作品を制作していく中で、またふと思い出されたりします。


それでは、今回はこの辺で。
次はもっとタイムリーな話題があればいいなと思います。

初めまして。ヤマガミユキヒロです。
僕は普段は絵画や映像などで作品を作っています。このブログでは、そういった制作にまつわる話や展覧会についての話などを書き込んで行こうかと思っています。普段あまりこういった文章を書く事がないので、ぎこちない文面でしょうけど、楽しんで書いていこうと思っています。宜しくお願いします。
今回は初回なので、自己紹介も含めた作品の誕生するまでの話をして行こうと思います。


僕の作品の多くは、都市を主題にしています。なので、普段街中を歩いていても、その景色や情景がとても気になる事があります。風景で気になるのは、大抵の場合は左右対称のシンメトリックな風景ですね。そして昔から、透視図法的な構図にもとても惹かれるのです。特に一点透視図法の構図がたまりませんね。陸橋から道路を見下ろせば、シンメトリーで且つ透視図法構図になるので、陸橋があれば、意味なく上ってしまいます。気になった風景を全て作品にするなんて事はありませんが、一応撮影はしておきます。後で、写真を見返すだけでも楽しいですし。


shinjyuku1.jpg陸橋は楽しい。


Kyoto_underground24.jpgこんな構図はかっこいい。と思ってます。


それで、僕の場合、作品を制作する時には大抵、完成イメージやコンセプトが先にぼんやりとあって、それに向けて制作をするという形になります。作品の完成イメージやコンセプトは、不意にやって来たりします。なんか油断している時にうかんだりもします。逆に、雨乞いみたく、「アートの神様降りて来い!」ってやっても、何もうかびません。だから、やりません。
ぼんやりと作品のイメージが見えた時はテンションが上がるのですが、翌日とかに、いったい何が面白いと思ったのか、、と思い直す事もしばしばです。いやぁ、よくある事ですが、落ち込みますね。でもそうやって、一喜一憂している時って、あまり苦ではなく、なぜか楽しかったりするんです。それは、一度ボツになったアイデアも、ひょっとしたら数年後とかに、とても良い作品に変身するかもしれないと思ってたりするからなのです。


botsu1.jpgボツになったアイデア達。復活を期待してます。

こんにちは、かなもりゆうこです。
&ARTのブログ当番も楽しみに書いてゆきたいと思います。


はじめての今日は、日々の京都空間との関わり方のことから。
わたしは車窓から眺めるのが好きなのですが、視覚人間なので自然とカメラアイなのです。
たいていは音楽を聴きながらです。
すると景色は窓ガラスのフレーミングのついた映像空間に早変わりします。


多くは決まった経路なのですが、それだけにどこか始まりの作法のような、ちょっと改まった気持ちになったりもします。
高野川を下るバスの車窓からスタートし、河岸の季節のうつろいと川面の様子を見ている内に、何かがからっぽになり、その一方でまた別の何かを充電をするようです。
通勤の阪急電車、地下を抜けて西京極のグランドの緑を少し見ると、桂川の水鏡。
ここでスカンと音を立てて視座が変わります。
菜園と釣り人と水面のモザイク。
橋の上からなのでちょっと鳥瞰的で、加えて自分を上の方から小さ?く見ているパースが頭の中に現れます。
わたしの金言は「過不足なく」であるのに、これらの景色を見るために度を越して窓にかぶりついてしまいます。
あぁ、中庸の徳からはまだまだ程遠いようです。


 写真:ビデオ作品〈美術の時間〉より、ビデオグラフ
    昔、京都に来て間もない頃、車窓から見て大山崎へ降りてみたくなった
    それから、桂川の河川敷へは、たびたび撮影に行くようになった
 *ビデオグラフとは、わたしが勝手に読んでいる呼び方で、動画から静止画を取り出したもののこと


bijutsu.jpg


そんな風に何らかの感覚を与えてくれる車窓の風景ですが、胸にすべき言葉が浮かんだりすることも。
どんな言葉かは秘密ですが。というか、はずかしかったりして?
何でも文字が無くて話し言葉だけだった時代には、自分が考えたことに対して、行ったことと同じように責任を持たねばならず、それ以外の選択はありえなかったとのこと。
ほ、ブログで良かったです。いちおう見直しできますものね。
それでも作家としての自分の書く文なので、思わない事は書かず、読者の方も自分もささやかながら高めていけるものが書けたら良いな、と思っています。


ブログ・リレーのみなさんもまずは京都の風景に関わるものが多いですね。
それだけ、日々目にする景色というものは大切で、私たちをつくりなおす機能を持っていて、自ら選んでここに居るのだなと感じさせてくれます。


とりわけ、京都の車窓は好きだと思っています。
それではまた。


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