



- &ART(以下、&) : 制作活動に一貫したコンセプトはありますか。
- 表恒匡(以下、O) : 大学の時は絵を描いていたんですけど、ものを作るとか、表現することに対して、納得できるようなうまい理由というのがわからなかったんです。中身がなかったり、軽すぎたり、作っていて意味がなかったりとか・・・。それで、なるべく自分以外のものを使いながら作ろうと考えました。“光”とか、“時間”とか自分でコントロールできない事を巧く使って、作品を作るということを消化したいと思っています。
- & : 2007年の個展「R」の時に、作品をはじめて拝見させていただいたのですが、会場で見たときは黒いアクリル板を曲げたのみの作品だと勘違いしていました。後で調べて知ったのですが、あれは長時間露光の夜景写真だったのですね(※1)。撮影する対象についてはどのようにお考えですか。
- O : 空とか、海とか、特定できないようなすごく抽象的なものってあるじゃないですか。「R」の展示の時に撮影した、星もそうなのですが、見ているけど今そこにあるわけじゃない。「今そこ」がすごく曖昧な存在です。星の撮影は必然的に長時間露光になっちゃうんですけど、適当に長時間、ボーっと夜空を眺めながら撮影しています。見た目や想像していたものと違うものが写っているんですが、そのギャップが良くて。
- & : 撮影する対象がなくても、表面的には同じ形の作品として成立しますよね。

「R」展示風景
O : 例えばアニッシュ・カプーアなどは効果と造形で見せているじゃないですか。僕は撮影するものに思い入れがないわけではありません。対象が有って、写真化することが重要です。それを素直に見せるんじゃなくて一層変な効果が出るようなレイヤーがないと…。あの作品を黒い物体という風に見るのもいいと思うんですけど、それがイメージであるとか、写真であるということが重要だったので。アクリル板を曲げたりすることによって現れる効果だけを見るんだったら、日常の色々なところで見えるわけだし・・・。
- & : アクリル板を曲げるという作品形態は、脱平面や、映りこみを重視したアプローチなど様々に解釈できますよね。

「R」展示風景
O : ものを見る時に、あまり平面と三次元を区別したくないというか・・・。イメージって重さがないじゃないですか。絵画は重さがあるものなんだし、そこに顔料があって物質があるわけだから、あんまり平面と立体とかを分けてしまうことを重要だと思っていないんです。だからこそああいう作品を制作しているのかもしれないです。

- & : &ARTでは、各アーティストに“ゆかりの地”を選択していただき、インタビューの収録、撮影を行っていますが、今回表さんにご指定いただいた白沙村荘は、日本画家の橋本関雪氏が生涯をかけて庭園の制作に取り組んだことで有名ですよね。なぜこの場所なのでしょうか。
存古楼から見た白沙村荘の庭園の景観
O : ただ好きなんです。画室に対する光の入り方がすごくきれいなんです。日の当たる角度とか、水面に映りこむ感じとか、湖面の色合いとか、反射の仕方もきれいなんです。その反射の中を池の鯉が泳いでいるような感じもすごくいいですし。一定の角度や条件もあると思うんですけど、少なくとも画室から見た景観は、すごく計算されているところだなと思いました。橋本関雪氏は素晴らしい画家だったと思うのですが、初めて来た時に庭園というものをつくる際に、「考えていることをすごく静的にコントロールして作り上げている」という印象をもって、すごく感動してしまいました。ここでは「ものを作るというのはこういうことだ」と深く考えさせられます。後は単純に落ち着くからということや、人工物を人工じゃないものを取り入れながら作ってるというところも好きです。
- & : 確かに大文字の送り火の時には、存古楼から池に映った如意ヶ嶽の送り火を鑑賞できるようになっています。 “景観”、“自然”などの個人ではコントロールできないこととの共存のバランスが素晴らしいですよね。

白沙村荘の庭園の景観
O : 鯉が泳いでいたり、たまに鷺(さぎ)が舞ってきたり、四季を通して感じが全く変わってくると思うので、「これでこの場所がわかった」というふうには全然思っていないんですけど、立ち止まって考えさせられる部分がすごく大きい場所です。日本庭園の制作過程では、庭の木の葉擦(ず)れの音も計算していて、音の仕方も植え込み方によって変わるそうなんです。考えていることが大きいんですよね。庭は、自分がやろうとしてきたことの小ささを感じさせられるような場所ではないでしょうか。

- & : 現在フリーのカメラマンとして活動されており、これまで様々なアーティストの作品を撮影していらっしゃいますが、表さんの中で「他人の作品を記録する」といのはどういう位置づけにありますか。
- O : 撮影する事が作品制作や仕事の中で、また社会的にもどんな位置にあるか、よく分かってないんです。必要があるからやっている。ただ最近思っているのは、自身の制作に還元する事もお金にする事も、仕事としての部分ではもちろん必要だけど、それとは別に、一つの時代、同世代をちゃんと記録していきたい、というのは思っています。昔で言えば、安齊重男さんが東京ビエンナーレなどの記録撮影をし、今ではあの人の写真だけが記録として残っていると思います。今の時代は誰でもデジカメでも、携帯でも記録できるし、電子メディアが多くあるから、その中で僕みたいな商売に何が必要なのか、仕事しながら考えています。ただ、歴史に残るという事は意識しています。残すべきです。撮られてないならば誰かが撮るしかなくて、それがたまたま僕に巡ってきたというか・・・。そんな大層な理由と言うのはないけれど、やるんだったら、ちゃんとやりたいと思っています。すごく楽しい仕事です。
- & : 写真の技術のクオリティーということ以上に「写真で作品を制作しているアーティストが、カメラマンとして、他の人の美術作品を撮影している」ということは興味深いですよね。
- O : 僕としては自分が好きでやってきた分野のことが、金銭に還元されるわけですから、それだけでラッキーだと思います(笑)。楽しくやっているんですから、いいものが撮れるんじゃないですか。
- & : 表さん自身が作品を制作しているので、撮影の際アーティストの気持ちに近いところで考えられるんじゃないでしょうか。「こういうふうに撮ってもらいたい」ということがわかるんじゃないですか。
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マーティン・クリード展
(C)広島市現代美術館
O : 撮影する際に重要なのは、作家の意図だけじゃない気はしてて、確かに一番良く見ている人だし、感じている人なんだけど…。でもそうじゃないものというのもあるのではないでしょうか。そうでないと作品を作ったり、見せる意味がないと思います。作品には鑑賞者に返ってくる部分、つまり「見て出来上がる部分」もあるわけだし、作家の意図以上のものというのを目指したいなと考えています。また、「作家が見つけてこなかった視点」というのも必要です。良い作品は勝手にものを言うようなこともあると思います。もちろん“作家受け”というのも大事だけど、それ以上のことをしないと仕事とは言えないんじゃないかなというのは思います。
- & : 人によって様々な捉え方があると思いますが、表さんにとって「社会」とはどのようなものでしょうか。
- O : 僕がやっていることを「作品の記録や、作家の記憶を未来につなげていくことが社会的な使命です」と言えば社会的になるんですけど、言おうが言うまいがやったことは一緒だと思います。美術で抱えている問題は大したことじゃないことが多くて、「個人的な満足」+「集団の満足」みたいなもので出来上がっていんるんじゃないでしょうか。例えば水や石油がなくなるとかそういう問題でも全然ないわけです。食料自給率の問題などであれば真剣に考えるようなものですが、美術も真剣なんだろうけれど、本当に幸せに悩んでいるんだなと思います。
- (※1)個展「R」では、写真表面をアクリルにマウントした作品が展示された。撮影した写真の表面に映り込みが生じる。