K : 空間の高さや会場に行くまでの経路など、美術館やホワイトキューブでも特色は必ずあると思います。今回も出品依頼をいただいてから美術館に通いました。以前から何度となく足を運んでいましたが、あらためて「ここはどういう場所か」といった特徴や印象を、自分の中に溜めていきました。その過程の中でこの館の大きな特徴は、やはり“地下”であることだと感じました。これに加えて展示室の床材、空間における“地面”の存在も主要な特徴だと思います。国立国際美術館は2004年に、万博公園から現在の中之島に移転しました。万博公園の頃の床は真っ白な大理石でしたが、現在は木材がタイル状に敷きつめられた木の床ですよね。移転した時に強く感じたことでもありますが、この対比も印象深さと繋がっているように思います。今回の展覧会の展示室は偶然にも館の最下層であるB3です。そのような要素をもとに発展させ、テーマを“深度”としました。深さとは自分がどこにいるのかという基準があって感じるものだと思います。自分の立つ足もと、地上までの距離、広がる外の世界、そして地上からは見えない地下の空間の存在。作品を通して、ものごとの奥行きを掘り下げながら、感覚的にも概念的にも、深く潜っていくような状況がつくれないかと考えました。また観に来ていただいた方が、観終わった後に「いったい自分は何を見たのだろう」とふと考えるような、全体の構成にしたいということも思い描いていました。
K : ストーリーというのはありません。共通点があるとしたら、「私が何に魅かれていたか」という趣味性によるものかもしれないです。そうはいっても「他の人にも共有できる何かがあるのではないか」という基準で作品の題材を選んでいる部分も否めません。例えば「晴れた日に外に出て気持ちいい」と思う感覚は、他の人にも共感できることだと思います。そういう素朴で明快なことに魅かれて作品にしているという気はします。今回は一連のインスタレーションのタイトルとして『Closer』という名前を付けました。「閉める[閉じる・終わる]こと」と「近い、接近する」という、2つの意味をもつ言葉を選んでいます。
K : 私の展示においては、あの作品を最後にするということは最初から決めていました。空の映像は見えるときと見えないときがあるのですが、空が消えていくタイミングでは、鑑賞者は覗きこんだ自分の姿を鏡を通して見ることとなります。私は例え作者がいたとしても、作品はある時点からは、受け取り手である鑑賞者自身のものだと思っています。今回の展覧会名は『世界制作の方法』でしたが、私の場合作品は観る人に委ねているので、最後は鑑賞者にかえっていくような構成にしたかったんです。
K : そのことについてはすごく考えますね。その人の記憶の中で生き続けていくという形もあるでしょうけど、残したいという気持ちもあります。だけどすごく長い目で見たら、残すことはできないんですよね。例えば今価値のあるものが、100年後に同じ価値を持っているかは分からないですし、同じ展示場所で2度と展示できないということからも、本当の意味で残すことは難しい。展覧会があるごとに記録としてしっかりと写真撮影をしていただいていますが、最善を尽くして撮ってもらったとしても、感覚は残らないですよね。そのような面でも残らないことを前提につくっているのですけどね。
& : 時間が経つと鑑賞体験に対する印象も変化していきますよね。
「第七幕第十三場」 2010 撮影:市川靖史
K : もちろん残らないということに美しさを感じている部分もあります。私は強くて美しいものに魅かれるのですが、その強さは硬度などではありません。形を変えていく柔軟性を持ったものや、必要に応じて変化していくものに強さや美しさを感じるんです。そういうものは決まった形がないですし、残っていくものではないのかもしれない。過去に得た体験を自分でつくり直すことで再現し、その過ぎ去ったものをもう一度見てみたいという目的のもと、作品を制作することもあります。
K : 当時は大学の近くに下宿などあまりなくて、山科に住むことになり、そのままずっと京都に住み続けているような感じです。地元の富山にいた時から、京都の文化的な雰囲気に憧れていたので、住んでみたいと思っていました。それに、東京や大阪ほど大きくなく“とっつきやすい都会”という印象を持っていました。また当時「地下鉄のある街は都会」というイメージを持っていたので、地下鉄のある街に住んでみたかったんですよ(笑)。でも住んでみてから地下鉄はずっと真っ暗な中を走るから、風景が変わらずつまらないということに気付きました(笑)。
& : 住んでいて感じる京都の魅力はどういうところでしょうか。
「over the rainbow」 2009 撮影:市川靖史
K : 街が適度なサイズという感じはします。また京都の人は京都の文化に対する誇りを持っていますよね。街全体が文化的で、古都であるという素養があり、様々なものが積み重なってきている印象はあります。私自身人生の中で富山の次に長く住んでいます。影響は受けていると思います。
K : マイペースな方が多いですよね。京都に住んでいる方で私が「素敵だな、見習いたいな」と思う方は、自分のキャラクターとペースを持っていて、うまく色々なこととのバランスを取りながら活動している人が多いです。
& : 展覧会に来た方と会話することはありますか。
K : 自分から話しかけることはないですが、声をかけていただいた時にお話することはあります。
& : どういうことをやりとりをすることが多いですか。
「Sound of Silence,“Calling”」 2009 撮影:市川靖史
K : 場合によりますが、「何かを知りたい」といった主旨の質問を受けた時にでも、あまり具体的なことは答えないようにしています。なるべくその人の手助けになる程度にしか話さないように心がけています。制作時には作家としての色々な思いを持ちながらつくっていますが、最終的な答えは観た人の中にあると思っているので。
& : 例えば『After School・放課後の展覧会』で展示した『over the rainbow』は、見つけにくい場所に置いている作品もあり、見つけられなかった人は体験できていませんでした。この辺りストイックな印象も受けますが、ご自身の作品において作家と作品と鑑賞者の関係についてどのように考えていますか。
K : 作品は鑑賞する人にとって“出会い”だと思いますし、私の仕事は出会いの場をつくることだと考えています。だからなるべくベストな状態を用意しなければいけないとは思うのですが、コントロールできない部分もありますよね。例えばギャラリーの壁面にかかっている絵画を観る場合でも、その日が天気がよくて窓からきれいな自然光が入っていたならば、いい状態で作品と出会うことができる。逆に雨で室内が暗く見えづらい状態であったとしても、それはそれで一つの出会いとなります。ここで大事なことは、その時出会った作品自体は“同じもの”だということです。どの日、どの時間帯に来たのかというだけの違いであって、もの自体は変わっていない。こういったことは私の中で重要であり、私が作品の中に入れておきたい要素です。
& : 確かにその日の環境により、体験が大きく変化する場合もありますね。
K : また、先ほどの天気の話は一見ネガティブな事例でしたが、雨の日の湿度と静寂によって、その絵画に向き合う時間が深められることで、濃密な鑑賞をする機会を得ることができるかもしれません。こうして状況によって“出会い”が簡単にひっくりかえることがあるのは、ものや場に関わるのが人だからです。作品との出会いはベストを尽くしたとしても作家が操作しきれるものではありません。そのことも私の創作活動に向かう時の大切な要素のひとつだと思います。
K : 「自分にとって特別な視覚体験が、他の人にとっても同じように特別な体験になるかもしれない」とつくりながら感じることはあります。ただ、どちらかと言えば私自身が「これはすごい」と感じた基準値をもとに、その体験を漠然とながらも信じ、なにか期待感をもちつつ、自分の中で確認しながら進めていく方が多いかもしれないですね。
K : 私は作品をつくることで自由になりたいんです。自分の価値観を超えるような、何かはわからないけど“すごいもの”に出会った時、性別、年齢、社会的な枠組みなんて吹き飛んで、すべてが取り払われた状態で心が震えることがありませんか?私はそういう状況をつくり、その場に身を置きたい。例えば国立国際美術館で展示している『Sound of Silence #1』では、「視覚を獲得していく感覚」を体感する場をつくりたいと思っていました。その身体的な体験を通して、それよりも先に進めないかということが、あの作品で一番挑戦してみたいことだったのかもしれないです。