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原摩利彦

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INTERVIEW WITH HARA MARIHIKO 2010.05.15

作品について - イメージとして残っている祖母の記憶に関わりを持ちたい

&ART(以下、&) : 「静寂の中の強さをテーマに音作品に取りかかる」というふうにプロフィールに記載されていますが、活動を通してのテーマもそのあたりにあるのでしょうか。
イタリア、モデナでのライブ風景

イタリア、モデナでのライブ風景

原摩利彦(以下、H) : そうですね、僕は静かな音が好きなのですが、 静寂には“癒し”や“優しさ”だけじゃなく、ある程度の強度が必要だと思っているんです。実制作のことで言えば「こういう技術を使おう」とか、「今回は柔らかいノイズの質感で行こう」など、それぞれ一曲づつに技術的なことから、コンセプトレベルまでいつもテーマは持って制作しようと考えています。制作過程では、自分の好きな音をとにかく探っていくというのが1つと、もう1つは例えば誰かとコラボレーションした時、「自分の音と違うな」と思っても、自分の音を推していくよりは、まず相手の音を聴いて「もしかすると、こっちの方がいいのかもしれない」と考える余地は残しています。
& : 先日リリースされたソロアルバム『nostalghia』は、全体を通して雰囲気が統一されている印象があります。どういったコンセプトで制作しましたか。
H : 僕の祖母は1967年に世界旅行をしているんです。イタリア、フランス、デンマーク、スイス、アメリカ、ソ連などたくさんの国を回ったのですが、その時にカメラで撮影したフィルムが残っていて、特にその中の十数枚は、構図もよくすごくキレイなんですね。生前、週に1回は祖母の家に電車で行って、祖母の好きなお寿司を届けたり、一緒に買い物に行ったりしていたんです。入院先の病院に、毎日行っていた時期もありましたし、会話の時間はかなりあったのですが、この旅行についての話はあまり聞かなかったんです。意図的に話をしなかったのではないと思うのですが、語らなかったけれどもイメージ(=フィルム)として残っている祖母の記憶に関わりを持ちたいと思ったんです。

& : 音を通しての関わり方、そして音との関わり方がとても魅力的ですね。原さんの制作の動機はどのようなところにあるのでしょうか。
H : はじめはとにかく全く知らない遠くの土地で、自分の音が流れることに喜びを感じていました。「その場所の人々と自分はコンタクトはとれないけれど、同じものを聴いている」ということに満足感を覚えていたんですね。それもつながりの1つなのですが、徐々にそれが変わってきて、今は身近な人に自分が何をやっているのか、どういう曲を作っているか、を知っていてほしいと思っています。
& : 原さん自身は普段どういった音楽を聴きますか。
H : 『Hayren』(ECM)というアルバムに収録されている、アルメニアの作曲家ティグラン・マンスリアンの『Havik』というヴィオラとパーカッションのための曲があるのですが、その曲を聴くと世界が立ち上がるような印象を受けるんですね。平面的に聴くのではなく、聴いた瞬間に世界が変わり、全く違った経験をできるような、そんな曲が好きですね。
& : ではアイデアを聴くというよりは、イメージを聴いているような感じですか。
H : そうですね。もちろん音の配置やタイミングなど、アイデアに集中して聴くこともあります。
& : 原さん自身の作品でも、様々な音楽的要素を使って作りあげた世界を聴かせたいという感じでしょうか。
H : そういうふうに聴いてもらえたらうれしいと思います。ただ「nostalghia」などはまさにそういうアルバムですが、他のアルバムはまた違ったふうに聴いてほしいです。1つに決めてしまって、そこに閉じこもりたくないというか…心配性なんですかね(笑)。1つの方法が枯渇したらどうしようと考え、2、3つ用意しておいて適時に乗り換えて進んでいくという感じです。

京都について - 色々な場所に行きたいですが、京都に家は構えていたいですね

& : 現在京都大学大学院教育学研究科生涯教育学講座に籍をおいていますが、どのようなことを勉強していますか。
H : 色々なことを教育学的な観点から見るというということでしょうか。生涯教育学という分野自体が、まだ開拓する余地の多い分野なので、説明するのが難しいのですが、研究対象は「成人が勉強するということ」から、「伝統文化などを普及させるような活動をするときに学ぶこと」など色々ですね。
原摩利彦さん

& : 現在京都にお住まいですが、ご出身は京都ですか。
H : 小学校6年生の途中くらいまで大阪に住んでいましたが、小学校は京都の小学校に通っていました。だから15年くらい京都に住んでいます。京都は住みやすい街ですね。すぐにどっちが北か分かるし、自分の位置がわかりやすいじゃないですか(笑)。自分がだいたいどの位置にいるのかを把握することで安心感が得られるというのは、生活するうえで大事なことじゃないかと思います。
& : 現在は京都を拠点としていますが、京都で活動していてどのようなことを感じますか。
H : 京都はゆったりしているので、良くも悪くもマイペースになれてしまいますよね。もう少し意欲的に動かなければならないとは思っています。活動する場所として、色々な場所に行きたいですが、京都に家は構えていたいですね。
& : ラジオカフェFM79.7にて柳本さんと「wave factory」のパーソナリティを、毎月第4金曜日務めていますね。どういった経緯で担当することになったのでしょうか。
H : CAFÉ INDÉPENDANTSのライブのブッキングなどでお世話になっている島田達也君から、「番組を制作することになったから、パーソナリティとして出てくれないか」というお話を受けて、担当することになりました。主にラジオカフェが入っている1928ビルで行われるイベントや、ギャラリーでの展示、京都で行われるイベントに出演するために訪れるアーティストの曲を取り上げています。僕や柳本が気になっていることを紹介したりもしています。

社会について - 「作品を作ることで世界を作る」と同時に「作品を通して世界を見る」

& : 原さん自身にとって、制作するということはどのような位置づけにありますか。
H : 「作品を作ることで世界を作る」と同時に「作品を通して世界を見る」という両方をやっている感じです。自分がどういう位置にいるかということを掴むには、自分の中で考えるだけじゃなく、たくさんの人に聴いてもらうという作業は必要だと思います。
& : 原さんが2006、2007年に参加した「ニューカレドニアの日系人」のプロジェクトに関してお聞かせ願えますでしょうか。
H : このプロジェクトは、写真作家で成安造形大学准教授の津田睦美先生のプロジェクトで、ニューカレドニアの日本人移民史と日系人をテーマにした展覧会です。ニューカレドニアには1892年から、5000人を超える日本人が移民として渡っていったという歴史があるんです。ニッケル炭鉱の労働者として契約し働きに行ったのですが、主に単身男性のだったので、現地で結婚する人が多く、そこで日系の子どもがたくさん生まれました。しかし当時ニューカレドニアはフランスの領土で、第二次世界大戦が始まると日本は敵国となったので、純血日本人はオーストラリアの収容所に収容され、戦争が終わった後日本に強制送還されたんです。父親だけ送還され、奥さんや子どもは現地に残ったのですが、戦直後の日本は、ニューカレドニアへ戻れる社会状況ではなく、その後送還された人の多くはそのまま日本で新しい家族を作ったんです。展覧会はそういった歴史を踏まえ、日系人の写真や、ニューカレドニアへ渡った日本人を撮影した唯一残っている写真を使ったインスタレーションのような内容でした。僕は現地でrimacona(現在は解散)としてコンサートをやったり、映像作品に音楽をつけたりしました。2006年に現地に下見を入れて2度行きました。展示のお手伝いとコンサートをし、2007年には日本で巡回展があり、横浜、福岡、沖縄、京都ならば立命館大学国際平和ミュージアムで公演しました。当時ニューカレドニアに渡った方は、熊本出身の方が最も多かったので、熊本の民謡を探したところ、30年前くらい前に録音した非公開の資料が残っていたので、直接研究者の方のコンタクトをとって、コピーをいただき、楽曲に取り入れました。
& : プロジェクトを通してどのようなことを感じましたか。
H : 現在日本から観光客がたくさん来るけれど、彼らの言語はフランス語なので話すことができない。彼らは日本人に対してすごく強い想いがあるので、フランス語ができる津田先生がやって来て、日本人と話せること自体がすごくうれしいことなんです。僕も現地の方と一緒に食事をしたり、日本人が眠っているお墓を一緒に回ったりしました。言語が違うので、なかなかコミュニケーションをとれない部分もありましたが、彼らのために作曲するというのはとてもうれしかったです。今も交流は続いていて、日本に来られた時には一緒に京都観光をしたりしています。これらの経験は、これから頑張れば頑張るほど生きてくると思います。

& : こういったことは音楽制作だけに没頭するのではなく、音楽を媒介にコミュニケーションしていくという意識がないと実現できないことですよね。
H : そうですね。このとき制作した楽曲を、音楽的要素だけ切り取って聴かれると、あまりにメランコリックだと言われるかもしれません。でも自分たちとしては悲しくなりすぎずに、前向きな曲を作ったつもりです。日系人の人たちもとても喜んでくれました。音楽関係者や、アート関係者ばかりではなく、こういった形でつながることができるということは素晴らしいですよね。
& : 音楽を通しての関わり方で、意識していることはありますか。
H : ニューカレドニアのプロジェクトをきっかけに、ある政治的な集まりで「コンサートをしてほしい」と依頼され、断ったことがあるんです。その理由として現在のあまり知名度もない状態で、そういった社会性が強い活動はできるだけ避けたいということと、そこで自分が演奏するということに、意味があるのかということを考えたからなんです。掲げているメッセージや目的に対して、自分が曲を作ったり、演奏をしたりということが本当にメリットがあるのかどうかは見極めなくてはいけないと思います。
& : 社会的な活動について、しっかりと結果を考えているところが素晴らしいですね。
H : もちろん結果重視で考え過ぎてしまうと、「子どもたちがボランティア活動をするのも微々たるものだからダメ」ということに成りかねないですし、それは違うと思うんです。教育的に考えると、そういう活動をすること自体に価値があるし、それが大人になった時に何かに繋がるかもしれないという期待もあります。そういったことは、結果が微々たるものでもするべきだと思います。
原摩利彦さん


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